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<p>国鉄の基幹路線になるはずだった? 「阿武隈急行」完成まで25年の紆余曲折 またも地震被害 | 乗りものニュース</p><p>あと800m…!諦めなくてよかったですね。 【国鉄の基幹路線になるはずだった? 「阿武隈急行」完成まで25年の紆余曲折 またも地震被害】</p><p>2022年3月の地震により、一部区間で運休が続く阿武隈急行線。近年、台風など災害の影響を何度も受けている路線ですが、同線の過去を振り返ると、紆余曲折を経て開通に至っています。当初、その大きな役割は、「東北本線のバイパス」でした。</p><p>近年は災害に見舞われながらも復旧、また被災、また復旧というように、何度も打ちのめされ、立ち上がってきました。2011(平成23)年3月の東日本大震災、2019年10月の令和元年東日本台風(台風19号)、そして3月の地震……。今回はホームの損傷、道床流出、コンクリート柱の傾斜などの被害がありました。 ただ、さらに同線の歴史を見ると、計画から全通まで何度も頓挫し、工事再開を繰り返してきました。それと同時に、実は東北本線になるかもしれない路線でもありました。現在の第三セクター鉄道になるまで、どんな経緯があったのでしょうか。 時は明治時代までさかのぼります。明治政府は鉄道をすべて国が建設、運営するつもりでした。しかし資金がありません。そこで民間会社による鉄道建設が始まります。最初の事例が「日本鉄道」で、東京と青森を結ぶ構想でした。後の東北本線です。当初、福島から仙台まで、奥州街道ルートと阿武隈川沿いのルートなどが検討されました。しかし結果的に、当時は奥州街道ルートが選ばれました。</p>