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「天下一の茶の湯者」であった千利休(1522~1591年)の本来の職業は大阪・堺の商人である。その一端を示す史料の一つは「財産処分状」だ。天正19(1591)年2月に豊臣秀吉の命で利休が切腹する直前に書かれたとされる財産譲渡の記録で、「末期の文」とも称される。《問ノ事泉国ある程の分 同佐野問しほ…