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ブラッキー フックスベルガーの謎のアルピナ。公式には、このクルマは世の中には存在しない。この1974年のBMWアルピナは、秘密のエンジンを搭載したプロトタイプであった。最初のオーナー: アルピナ創設者ブルカルト ボーフェンジーペンが、テレビスターで、モータースポーツファンでもある彼に売却したのだった。

4年前、南ドイツのクラシックカーのマーケットを歩いていた、クラシックカー愛好家のハラルド コラー氏は、はっとした。そこに、手描きの販売用メッセージ(「興味があれば、メモしてください」)と共に、黒いアルピナが置かれてあったからだ。その周りには、小さな人だかりが。「オーナーは命懸けで議論していた」とコラー氏は語る。

なぜなら、その年配の男性がそこで売っていた、この1974年製のワンオフと思われる「BMWアルピナ」を、人々は疑っていたからだ。最初のオーナーはアルピナ創設者のブルカルト ボーフェンジーペン。2代目オーナーはテレビスターのJoachim “Blacky” Fuchsberger(ヨアヒム フックスベルガー)。3代目オーナーは、42年間大切に使ってきたその老紳士。

1975 年、アルピナ創業者のブルカルト ボーフェンジーペン(1936年生まれ)が、ブラッキー フックスベルガー(1927-2014)に車を贈呈した。

コラーはこのアルピナに興味を持ち、購入を決意、そして家に持ち帰ってから調査を開始した。ザルツブルグ近郊に住むこのBMWファンは、自分のクラシックカーのガレージに何か特別なものがあることを確信している。この車はリアに書いてあるように、当時、輸出モデルとしてシリーズ生産モデルとして販売されていた「アルピナB2S」ではない。しかもこのアルピナは、一台だけ作られたユニークなプロトタイプであり、そのボンネットには秘伝のエンジンが搭載されていた。

1974年、BMWが納品したクルマ

この一台は「ボーフェンジーペン(アルピナ)」社の実験車だったんです」とコラー氏は言う。BMWは、1974年12月、この車をボーフェンジーペンに引き渡した。「E12」シリーズの普通の「525」として、初の5人乗りで「ノイエクラッセ」の後継車だ。コラー氏は当時の納品書を持っている。145馬力、2.5リッター6気筒、ラジアルタイヤ、2段式フロントガラスワイパー、そして当時は「シガーライター」と呼ばれていた煙草に火をつけるための装備とオプション(後席オートシートベルト、救急箱、三角巾)はほとんどない。ブラックの塗装、ブラックの張り地、すべてが非常に控えめだ。

しかし、その後、ボーフェンジーペンが車のあらゆるパーツを改造し、スポイラーを付け、テストエンジンを搭載する。それが「おそらくアルピナのターボの先駆けでしょう」とコラー氏は言う。

リアスポイラーはB2Sトリムの一部だ。現オーナーはアルピナでオリジナルを再現してもらったそうだ。

しばらくして、”ブラッキー” フックスベルガーがアルピナを注文したいと言い出した。しかし、ボーフェンジーペンは生産車がないので、テレビスターにその試乗車を売ってしまう。納品書には「保証書なしの見たままの中古品」と書かれている。そして、タイプ名は、「BMW 525 Alpina」だった。当時、ボーフェンジーペンはまだエンジニアで、自らメーカーになったのは1978年のことである。

エンジン交換のためと思われるが、引き渡しには時間がかかる

1976年には、早くもフックスベルガーがこの車を譲り受ける。その後、クラシクカーマーケットにいた3代目のオーナーのいるミュンヘンのガソリンスタンドへ。アルピナのボス、ボーフェンジーペンが仲立ちをした。彼はそのガソリンスタンドの店員と顔見知りだったのだ。

“ブラッキー” フックスベルガーは3代目オーナーにアルピナの納車にはしばらく時間がかかると告げた。その時間稼ぎは、新しい標準的なエンジンとの交換のためだったと推測される。

当時、BMW 525は145馬力の性能を発揮していた。アルピナチューニングにより、249馬力を発揮するようになった。

ハラルド コラー氏は、元々どんなエンジンが入っていたのか、まだ分かっていない。「アルピナは教えてくれなかった」と言う。今のプロトタイプには、「アルピナB2」の標準エンジンである230馬力の3リッターエンジンが正式に搭載されている。しかし、この車には、数え切れないほどのデザイン変更が加えられている。

「このクルマは、当時のクラシックな改造車ではない」とコラー氏は言う。そして、「BMW E3 3.0 Siの強化クラッチ、5速のアルピナ製スポーツギアボックス、1速は左手前のポジションです」と、絶賛している。エンジンを回すと、ゴロゴロと音がする。

E9用リアアクスル

「レース用鍛造ピストンは冷間時に音が大きく、暖機すると静かになる」。コラー氏は、マルチブレードファンホイールを備えた拡張ラジエーターパッケージ、ソレックス製レーシングツインキャブレター、車高調整式サスペンションについても、目を輝かせながら語ってくれた。

ハラルド コラー氏は2018年からこのクルマを所有している。ステアリングホイールはアルピナシリーズのものだ。

「リアアクスルはE9のものなので、ドライブシャフトは短くなっています。加えて、アルピナ製マニホールド、アルピナ製Yパイプ、アルピナ製エキゾーストシステムについても特別製のため言及すべきです」と語る。

走行距離146,000km

この車はとにかく、50年近い歳月を経て、現在までのところ、146,000kmしか走っていないのだ。「フックスベルガーが最初のエンジンで走った50,000kmほどの距離も含めてね」と、コラーさんは笑う。

現在、原状回復をするかどうか検討中とのことだが、それはエンジンではなく、外装をとのことで、実際に、ガソリンスタンドの運営会社がリニューアルを行った。「まずブラックメタリックに塗装してもらった。そして、B7用のリアスポイラーとフロントスポイラーを追加した」。当時、アルピナはその結果、5km/hの速度向上を約束した。そして、低燃費。後者については、コラーも苦笑いするしかない。「本当に速く走れば、100kmあたり30リットルも消費するんですよ」。

アルピナは、他の希少種とともに暖かく乾燥した場所に生息している。BMW E9 3.0 CSi(1972年製)、スイス軍のウィリス ジープ(1958年製)、ベルトーネ フリークリンバーシリーズ1(1989年製)。

「B2S」のレタリングも後付けされた。しかも、3代目のオーナーは、アルピナストライプまで接着していたそうだ。「手で切り取ると、端の方が見えてしまうんです」と、コラー氏は完璧ではない箔押しを指さす。その後、アルピナからワンオフのオリジナルフロントスポイラーが送られてきたそうだ。

今、アルピナは249馬力を発揮する

コラー氏はすでに、現代的なラジオをBMWの「バイエルンS」に換装した。そして、エンジンルームに最適化されたエアボックスを設置し、テストベンチの測定では249馬力を発揮するようになった。灰皿はまだ掃除していないオリジナルの状態だ。「フックスベルガーのタバコの灰がまだ残っているはずだ」とコラー氏は言う。

ヨアヒム カール “ブラッキー” フックスベルガーは、2014年にミュンヘン市グリューンヴァルトで87歳の生涯を閉じた。未亡人のグンドゥラは現在も元気に過ごしている。コラー氏は彼女に手紙を出したが、まだ返事をもらっていない。

追記: ちなみにハラルド コラー氏は、購入後、すぐに車を点検したが、「前のオーナーはラジエーターグリルに蹄鉄を装着していたに違いない」と検証した。そしてそれは形から推測するとおそらく競走馬のものだろう。

【ABJのコメント】
この春にはなんとも衝撃的なニュースを発表し、世界中のアルピナファンにショックを与えたアルピナとボーフェンジーペン(正確にはその息子)。衝撃のニュースを思い切り要約・意訳すれば「アルピナではもう車は生産せず、BMWの一ラインナップとしてBMWが生産し販売する」というもので、あの少量生産で、一台ずつ手塩にかけていたアルピナはどこへいってしまうのか、と唖然としたアルピナオーナー(予備軍)の人を僕は知っている。

まあBMWも、アルピナの価値を十分に理解しているはずで、単なる「アルピナライン」とか「アルピナパッケージ」のような、「色と形だけアルピナです」のような安売りモデルを販売することはないだろう。きっとないはず、ないだろうなぁ、いやいや絶対ないと信じていたい。という未来のことはさておき、とにかく今回のレポートを読むと、昔のアルピナというのはこういうものだったのだという片鱗を知ることができる。そう、アルピナとはその昔は、こういう感じの謎めいた成り立ちの自動車で、その神秘的な部分こそが魅力なのであった。

その昔、ル・マン24時間の優勝者でF1レーサーでもあった世界屈指の自動車ジャーナリストとして活躍され、アルピナをこよなく愛していた、故ポールフ レール氏が最初に試乗したアルピナも、きっと今回のレポートで紹介されたモデルの一台だったはずで、公式もなにも、ぜんぶワンオフの特別なモデルが普通だった(はず)、それが今から半世紀以上前の状況だったのである。そんなアルピナがBMWに会社ごと買われて、きっとこれから、今よりもずっとポピュラーな存在になる・・・。時代の流れというのはなんとも予想もつかないことをしてくれるもの、である。(KO)

Text: Holger Karkheck
加筆: 大林晃平
Photo: BMW Alpina