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 この人のニコニコの笑顔を見ると、なんだかこちらまで幸せな気分になってしまいます。でも、めぐみさん(39)の人生は、両親の離婚を機に、17歳から幸せとは縁遠い道を辿りはじめました。

 毎日生きるのに必死だった幼い子を抱えての極貧の車上生活……。その彼女が選んだのはトラックの仕事でした。しかし、ここでも「女なんかには無理」という男社会の壁に何度も跳ね返されます。そこで思い至ったことは……。

 さまざまな念願の鋼材トレーラ乗りになるまでの足跡をめぐみさん自身に執筆してもらいました。

文/トレーラドライバーめぐみさん 写真/フルロード編集部
*2018年12月発行トラックマガジン「フルロード」第31号より


両親の離婚で17歳からサバイバル生活

 はじめまして、トレーラ運転手のめぐみと申します。今回編集部から「素顔の自叙伝」の執筆というご依頼をいただき、かなり悩みました。そんな立派な人生なんて歩んで来ていないし、仕事ができるわけでもないし、トレーラの運転もまだまだ下手っぴな私なので、自叙伝を書くなんて「恥さらしかな?」なんて思いました。

 しかし、そんなドンくさく、人としても運転手としても半人前以下の私が、今こうしてトレーラの運転手をなんとかやらせてもらえていることを知っていただければ、トラックドライバーという職業に少しでも興味を持ってもらえるかなと思い、お恥ずかしい体験だらけですが、自叙伝を書いてみようと思いました。

 私が高校2年生の時に両親が離婚しました。高校2年生にもなれば男女間の事情も多少は理解できる年なので、「両親にも当人同士の事情があるのだからしょうがない」と、すんなり受け入れました。

 離婚の原因は父親の浮気だったのですが、母親が家を出て行くということになりました。私は、ただ単に引越する荷造りが面倒という理由で、家に残る父親と一緒にいることにしました。

 母親が出て行ってすぐに父親の彼女が家に住むようになりました。それは私がどーのこーのいうことでもないので、その彼女とも「同居人として仲良くやっていけたらいいな」くらいの気持ちで軽く考えていました。

 でも彼女からしたら、やっと父親が離婚して二人の生活ができるっていうのに、前妻の子供がいたらそりゃ邪魔ですよね。家で顔合わせて、私から挨拶したり話しかけたりしても全部無視されて……。「あ、そーか。そりゃー邪魔だよな」って気づきました(笑)。

 彼女の気持ちもわかるし、元々私も早く一人暮らしがしたくて、高校1年生の時からアルバイトをして貯金していたので、父親の元を出て一人暮らしをすることにしました。

 18歳以下だと22時以降はバイトができないし、一人暮らしを始めたのはいいものの超極貧生活で、それはそれで飢え死にするかしないかのサバイバル生活で楽しかったし、良い経験になりました(笑)。いっぱいあった食べ物の好き嫌いもなくなり、食べられるだけでありがたいと、なんでも美味しく感じる幸せな味覚にもなることができました(笑)。

 また、当時の高校の先生や友達にも助けられ、感謝の言葉しかありません。それと同時に「何事も頑張れば意外となんとでもなる!」と思える精神が身についた気がします。

 18歳からは、ずっと派遣の仕事です。毎日違うところで商品を売る販売の仕事で生計を立てていました。23歳の時、妊娠が発覚して、いろいろ事情があり、未婚で出産することを決意しました。

産まれたばかりの娘との二人きりの車上生活

 その頃、両親・兄弟など身内の人とは一切音信不通になっていたので、一人で病院に行き一人で娘を産んで帰りました。それからは娘と二人で、周りの人たちからは理解しがたい生活の始まりです。

 いろいろなことがありすぎて、なんでそんなことになったのかすら覚えていないのですが、私は当時産まれたばかりの娘とクルマの中で生活していました。確か、アパートを借りようにも身内はおろか保証人を頼める人もいないし、保証会社に頼もうとしても親族の連絡先を書類に書かないといけなくて、そこが書けない。

 身内の連絡先もわからない20代そこそこの、産まれたばかりの赤ちゃんを連れている怪しい人には、不動産屋さんもアパートなんて貸してくれなくて当然ですね(笑)。

 家も無い、子供を預けるところも無いので仕事もできない状況で、あの頃は生きることに必死過ぎて、どんな生活をしていたのかすらあまり覚えていません(笑)。ただ一つ「国なんて何も助けてくれないものなんだな」って感じたのは覚えています。

 娘が生後2カ月になって、やっと小さい無認可の保育園が預かってくれるということで、娘を預けて仕事を始めました。でも、無認可なので保育料が高いこと高いこと。仕事をしても保育料で給料なんて無くなってしまいました。

 いつしか保育園の園長先生と仲良くなって、事情を話すようになりました。どうやらそこの保育園は、夜間は飲み屋のお姉さんたちの子供を預かっているようで、私も仕事が終わってから保母さんのアルバイトをさせてもらうようになりました。

 アルバイトをしながら娘とも一緒にいられるのでちょうど良いと思っていたのですが、他の園児達と遊んだりしていると、娘がヤキモチを焼いて泣くは怒るは大変で……。

 これじゃちょっとむずかしいなと思い、娘はそのまま夜も保育園にお願いして、昼間の仕事が終わってからの、ちょうどよい時間帯のアルバイトを探すことにしました。昼間の仕事に支障のない時間帯で、そこそこ給料がいいのが夜間のコンビニ配送のアルバイトでした。

「女性は無理」の壁を乗り越え、初めてのトラックの仕事

 でも、求人を見て電話をしても「女性は無理」とのことで断られました。他にも夜間の配送のアルバイトがあったので、手当たり次第に電話しましたが、どこも同じでした。

 「同じ普通免許しか持ってないなら、男性を採用するんだな」と思ったので、まずは資格だけでもと思い、大型免許と大型特殊、フォークリフト、車両系建設機械の免許を取得しました。運送業界なんて全くわからないので、なんとなく持っていたら「たくましく見えそう」という安易なチョイスです(笑)。

 その甲斐あってか、やっと2t車でコンビニの配送のアルバイトを始めることができました。これが私とトラックとの初めて出会いですね。そして男の世界での仕事のスタートです。

 朝8時から17時まで本職の販売の仕事をして、夜20時から朝5時までコンビニ配送の毎日で、仕事の合間に保育園行って娘とご飯食べて、娘は保育園でお風呂に入れてもらえるので、自分は銭湯へ……。まだ家もなく、クルマでの車上生活でしたが、のんびりする時間も無かったので不便はありませんでした(笑)。

 初めてのトラックに乗る仕事は、周りは男の人ばかりの男社会。同僚の男の人達も親切な人達ばかりで楽しかったのですが、「女の子は良いねー」とか「女の子には無理だよ」という言葉を何度も聞かされて、同じ仕事をしていても「女ってだけで多少なりとも偏見はあるんだな」と感じていました。

 そんな中、私も28歳になり、本職の販売のユニフォームがピンクのミニスカートとピンクの上着だったため、この年でこの格好はいかがなものかと思い始め、転職を考えました。

 そこで本格的に運送屋さんに就職して本物の運ちゃんを目指したいと思い、懲りずに求人を見て電話しますが、やっぱり前回同様「女性はちょっと……」と面接すらしてもらえず、問い合わせの時点で門前払い。

現在のめぐみさんは、スカニアを駆るトレーラ運転手だ(取材時)

 とりあえず雇ってくれたのはクルマを運ぶ陸送屋さん。そこでは先輩方にもめぐまれ、女だからって差別もなく、仲間として受け入れてもらえました。

 仕事が遅くなって娘のお迎えが間に合わない時は、手が空いている人が代わりに迎えに行ってくれたり、陸送屋の仕事が休みの日曜は、夜間に加えて昼もコンビニ配送のバイトを入れていたので、私がバイトに行っている間に娘を遊びに連れて行ってくれたり、みんなが協力してくれて仕事仲間の絆というものを強く感じました。

家事・育児を旦那さんにまかせ本格的に運転手の仕事へ

 そんな生活をしているうちに、私は先輩の中の一人と結婚することになりました。旦那は元々腰と首が悪いらしく、調子の悪い時は立ちあがることもできない状態だったのと、私よりも全然マメな性格だったので、旦那が家族と育児を担当して、私が家族を養っていくことにしました。

 というか、私はもっと本格的に運転手の仕事がしたかったので、「ちゃんと養っていくので家のことをよろしくお願いします」と旦那にお願いしたのです。

 ここからが本腰入れての運転手としての生活のスタートです。今までお世話になった陸送会社を退職し、またまた雇ってくれる運送屋さん探しです。

 もう電話での門前払いも慣れっこで、次から次へと手当たり次第電話して、「やっぱり女はダメなのかな?」と諦めかけた頃、面接してくれる会社がありました。4t車でトラックの部品を工場に持って行くのをメインにやっている会社でした。

 面接では仕事内容をいろいろ説明してくれましたが、運送会社の仕事ってどんな感じなのか全く知らなかったので、話を聞いてもピンときません。

 フォークリフトで自分で荷扱いをするということで、恐る恐る「フォークリフトの免許は持っているのですが、実務経験は全くないので、もし採用していただけることになったら、入社するまでの1カ月の間、仕事が終わってからこちらでフォークリフトの練習をさせてもらってもいいでしょうか?」と面接の人に聞いてみたら、「いいですよ。ぜひ練習しに来て、入社する頃には少し慣れた状態にしてください」と言っていただきました。

 その「入社前にフォークリフトの練習をしたい」というところにやる気を感じてもらって、めでたく採用してもらいました。

 そして約束通り、入社の日まで仕事が終わってからフォークリフトの練習をしに通ったけれど、もともと運動神経もセンスも無い私には、なんともむずかしいこと! きれいにパレットを積み重ねることもなかなかできませんでした。

 あとから聞いた話ですが、新しい会社の運転手さん達も、女性が入社すると聞いて、「女がトラックに乗れるわけない」「シート掛けができるわけない」「ロープ、ガッチャ、荷扱い、全部できるわけない」と大反対だったみたいです。

さまざまな試練が待ち受けていた4t平ボディの仕事

 新しい会社では4tの平ボディに乗ることになりました。何もかも初めてのことで、まるでいきなり戦場に立たされたかのようです。

 部品を作っている工場で、自分の積む荷物を見つけて積み込みするのですが、他にも積み込みをする人が後ろに並んでいるので、フォークで手早く積んで荷締めをして出ないと、後ろの人に迷惑がかかります。

 降ろす工場でも同じで、自分で降ろして、空パレを積んでロープ掛けして……。後ろで待っている人達から「早くしろ」の圧力が伝わってきます。

 でもドンくさい私は、みんなのように手早く荷扱いができなくて、終いには後ろの人に「すぐ終わるからフォークリフトを先に貸して」ってまくられ、でも荷扱いが遅い私は何も言えず……。

 次々と後ろから来る人にフォークリフトを取られて貸してもらえず、思うようにできない自分に苛立ち、悔しくて悔しくて……。仕事中はとにかく必死でしたが、仕事が終わってから家まで泣きながら帰ることがしょっちゅうありました。

 私がやりたいって言いだしたことなので、旦那に弱音を吐くわけにもいかず、「とにかくできるようになって見返してやる!」の一心で、みんなより1時間以上早く出勤して、誰か来る前に1回目の積み込みと荷降ろしを終わらせて、あとは一番仕事ができると言われている先輩にコツを聞いたり、実際荷扱いしているところを見させてもらったり、休みの日も会社に行って練習しました。

 3カ月くらいたった頃には、やっと人並みにフォークリフトも扱えるようになって、並んでいると「先にやっていいよ」と譲ってもらえるようにもなりました。長かったー。たぶん、普通の人はすぐにできるようになるんだろうけど、センスのない私の3カ月、長かったぁー(笑)。

 メインの地場の仕事ができるようになって、長距離も行かせてもらえるようになりました。長距離に行くと、行きの荷物は自社のトラック部品なのでなんてことないのですが、帰りは他の運送屋さんやいろいろなところから荷物をもらうので、毎回どこに行くのか、何を積むのかわかりません。

 私的にはそれがドキドキワクワク楽しかったのですが、行く先々でやはりいつもの「なんで女の子が平ボディなんて乗ってるの?」「シート掛けとかできないでしょ」「トラックに乗りたいならダンプとかパレット積みのウイングとか乗ってれば?」。時には「女の子なんかにうちの荷物積ませて大丈夫?」とか「男の人はいなかったの?」とか……。

 とにかく「平ボディ業界は女の入るところじゃない」って言われているようで、悔しかったです。

 ちょっと何か手伝ってもらえば、「女の子はなんでも手伝ってもらえて良いね」と、色目を使ってやってもらっているみたいに言われる。男の人だって手伝ってもらうこともあるのに、私だけ自分ではやらないみたいに思われるのが嫌で、手伝ってくれようとするのを「大丈夫です」って断ると、今度は「女のくせに生意気だ」みたいなことになるし、うーん、むずかしい(笑)。

付いて回る「女だから」 男社会の中での葛藤

 同じことをしていても「女の子は良いね」って言われるのが当時は嫌で嫌で、言っている人に悪意が無いのはわかっているのですが、たぶん自分が女であること自体がコンプレックスだったみたいです。

 私はこの仕事が好きで、ただみんなと同じように仕事がしたいだけなのに、どこに行っても、誰と話しても「女だから」っていうのが付いてまわるのが悩みでした。本気で「オジサンになりたい!」なんて思っていました。いま思い返せば、バカヤローですね(笑)。

キツイ平ボディのシート掛けも今ではバッチリ決める

 仲の良い先輩に相談したら、「別にいいじゃん。『女の子は良いねー』って言われたら、『良いでしょー』って自慢すれば?」って言ってくれたけど、当時の余裕のない私には、それがどうしてもできませんでした。本当、何をそんなにムキになっていたのか、自分でもわからないくらい必死に「打倒、男!!」みたいな感じで仕事をしていました。

 男の人が「キツイ」って言っている仕事を、自分から買って出て、「女の私でもちゃんとできますけど? 女だから無理とかありませんけど?」みたいな無言のアピールをしていた気がします。

 トラックの整備も、オイル交換も、タイヤ交換も、床板の張り替えなども、休みの日に出て来て、やり方を教えてもらって自分でするようになって、そこまで行くと何十年もいる大ベテランさんなどは「頑張っているね」と見守ってくれるんですが、3~5年くらいの近い先輩からしたら生意気に見えるらしいんです。でも誰が見ても、生意気な嫌な女ですよね(笑)。

 そんなだったので普通に生活していたらなかなか体験できない、昔のテレビに出てくるような陰険なイジメにもあいました。

 荷物にシートを掛けて積み置きしていたら、シートがカッターで何カ所も切られていたり、タイムカードに新聞や雑誌の文字を切りぬいて「早く辞めろ」みたいないろいろな文句が書いてあるお手紙をもらったり、デタラメなうわさ話を流されたり、絵にかいたようなベタなイジメ(笑)。

 放っておけばいいことなのに、当時は悩みました。会社に相談したら今度は「自作自演だ」って陰で言われて、またその言葉に反応して悩んで悩んで……。自分でも「面倒くさい奴だったなー」と反省しています。

(後編につづく)

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