日本中を歩いて日本地図を作った伊能忠敬は、海岸線だけでなく内陸にも足をのばしている。ある時、私は、忠敬が文化10(1813)年に広島城下から吉舎村(現広島県三次市)まで測量していたことに気付いた。忠敬は、道中の村名、地名、神社、橋名などを日記に詳細に記していたので、日記の記述をもとにル…
日本中を歩いて日本地図を作った伊能忠敬は、海岸線だけでなく内陸にも足をのばしている。ある時、私は、忠敬が文化10(1813)年に広島城下から吉舎村(現広島県三次市)まで測量していたことに気付いた。忠敬は、道中の村名、地名、神社、橋名などを日記に詳細に記していたので、日記の記述をもとにル…