法務省法制審議会と自民党法務部会の案が対立していること、法務省と繋がっている議員が自民党に複数いること--。
その2点を安倍晋三元首相は把握し、法務省案が採用されないよう布石を打ち始めていた。実のところ、安倍氏はどのように動いていたのか。(3回シリーズの第2回)
どちらの味方なのか
安倍氏の布石について記す前に、実子誘拐の被害者の味方でもあり、法務省の立場でもモノを語っている、どっちつかずの議員たちについて語ることとしよう。
安倍晋三元首相が派閥の会長をつとめる清和会の議員であるA氏。当事者のイベントや議員会館での勉強会などにマメに顔を出し、多くの別居親に慕われている人物である。
そんな彼が意外な顔を見せたのは6月10日。共同親権に関する勉強会での一幕だ。
温厚で真摯な印象のA議員が厳しい調子で声を張り上げた。
「私は心配しています。やっと法制化が目前のところまで来た。なのにとんでもない高めの球を理想論だけで投げて、当事者の分断を生んでいる関係者がいる。こんなことをやっていたら全部がポシャッてしまいます!」
ここでいう理想論とは、法務省が作った法制審議会案に対抗する形で現れた民間法制審案のことを指すとみてまちがいない。というのも、さかのぼること10日前の5月31日、民間法制審の中間試案が自民党の高市早苗政調会長に提出されていたのだ。
同様に、一般には共同親権賛成派とみられているB議員についても記しておこう。民間法制審案の関係者が「共同親権制の実現」を要望するため彼に面会したときのことだ。会って10分か15分で「はい、わかりました。では」と言って、話しを打ち切ろうとしたのだ。
民間法制審案に対して冷淡な、A議員やB議員の態度をどう読み解けばいいのだろうか。せっかく共同親権が実現しようとしている今こそ、大同小異にこだわらず団結すべきだ、というメッセージとして捉えるべきなのか。それとも法務省法制審の案を不採用に追い込みかねない民間法制審案への不快感、警戒感なのだろうか--。
先に紹介した関係者が背景事情も含めて解説した。
「A・B議員はもともと弁護士。彼らは日弁連(日本弁護士連合会)の支持を受けて議員になっています。だから日弁連の考えありきで行動します」
読者には周知の事実かも知れないが、日弁連は政治的にかなり偏った組織である。先述の関係者いわく、
「日弁連は中心にいる左翼系が3割、そのほかの大多数はノンポリ、独自の考えで行動する弁護士はさらに少数。ノンポリ弁護士は役職がほしいので、会の中心にいる左翼系の考えに賛成します。日弁連の中心で活動している層は共同親権に否定的ですから、組織全体も共同親権反対のトーンです」
A、B両議員の法務省との関係はどうか。先の関係者は説明する。
「裁判官を統制する最高裁事務総局は、日弁連と一心同体です。そして、法務省民事局の幹部は、ほぼ全て裁判所からの出向者ですから、当然、共同親権・共同監護には否定的なスタンスになります」
そうした日弁連の希望を組み入れた案が、6月20日に毎日新聞が報道した法務省法制審議会案である。これは名称にこそ共同親権を謳っているが実質は単独親権・単独監護というほぼ現状維持だ。
日弁連や法務省の方針に逆らってまでの活動が大変に困難なのだということは理解出来る。しかし、A、B両議員のどっちつかずの動きには、もどかしさを感じざるを得ない。
安倍氏の布石
ここからは前回、経緯を紹介した、関係者と安倍氏が会談した6月17日に話しを戻す。
その日、民間法制審案の作成に関わる弁護士が2人、安倍晋三元首相の事務所を訪れた。訪問の目的は、どっちつかずで、立場が判別し辛い、A議員やB議員の動きを安倍氏に知ってもらおうというものであった。
ところがだ。安倍氏は2人の予想を超えて、すでに驚くべき行動をとりはじめていた。関係者は言う。
「私がお会いしたとき、安倍さんは複数の議員の名前を挙げました。1人ずつ安倍事務所に呼び出して、どんな考えを持っているのか、彼らから聞き出そうとしたそうです」
安倍氏は、自身が抱いている懸念を彼らに直接にぶつけ、反応を探った。要するに2人がやってくる前から、各議員のスタンスの見極めをしていたのだ。
はっきりとした時期は不明だが、おそらく6月に入ってからのことであろう。安倍晋三元首相はA議員を自らの事務所に呼んで、クギを刺している。安倍氏は清和会という派閥の会長で、A議員はその会に所属。昔の派閥は所属議員に「夏の氷代、冬の餅代」と言われる政治資金が選挙に備えて振る舞われたように、親分と子分の関係と言える。特に憲政史上最長で首相の任にあたった安倍氏のような存在は派閥では絶対だ。
その安倍氏はA議員にこう問いただした。
「あんた弁護士会にずいぶん気兼ねして、法務省にすり寄るようなことをしてるって聞いてるけど本当なの?」
これは法務省法制審議会案と民間法制審案が出てきた後、民間法制審案に対して牽制したことやそれに類するA氏の行動について、安倍氏が確認したと考えるのが自然だ。
するとA議員は血相を変えて否定した。
「絶対にそれはない。そんなことはあるわけないじゃないですか!」
『政治とは情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である』とはマックス・ヴェーバーの名言だが、安倍元首相はA議員に、その「情熱」がちゃんとあるのか、と問いただしたかったのではないのか。苦しんでいる親子を救おうとの「情熱」をもち、日弁連や法務省という「堅い板」に大きな穴をくり貫いていく覚悟がA議員に本当にあるのか、と。
法制審に左翼系の“活動家”が入りこんでいることを把握し、懸念していた安倍氏は、閣僚経験のあるCという女性議員も事務所に呼び出している。
安倍氏がことに問題視していた“活動家”が、ある女性団体の代表だった。法務省にこの代表を引き入れたのは誰か。もしかすると、C議員が引き入れたのではないか。そう疑っていた安倍氏は、C議員に会って聞いた。
「私も代表のことは承知している。誰があの人を連れてきたのか。もう官邸にも入り込んでるんでしょ。はっきり聞くけど、引き入れたのはあなたか?」
安倍氏がズバリ問いただすと、C議員は声を震わせ、明らかに動揺した。
「そんなことは絶対ない」。C議員は真っ青になって否定した。
すかさず、畳みかける安倍氏。
「あの代表は第4インターとの関係があるという情報がある。第4インターってどういうものか知ってるか。トロツキストだよ」
そういって安倍氏はC議員を震えあがらせた。しかし、派閥の会長から問いただされても彼女は口を割らなかった。
安倍氏は言った。
「Cさんは嘘をついているね」
安倍氏の手元には、女性議員飛躍の会(代表:稲田朋美衆院議員)が間に入り、その活動家をC議員が法務省に引き入れたことを示す詳細な資料があった。
安倍晋三という埋めがたい損失
そもそも子どものいない安倍元首相はなぜ親子問題に関心を強く持っていたのだろうか。
民間法制審案の関係者が言う。
「それは安倍元首相の父、晋太郎さんの生い立ちが影響しているのではないでしょうか」
昭和末期、有力な総理大臣候補だった安倍晋太郎氏。『絶頂の一族 プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」』(松田賢弥、講談社)によると、晋太郎氏は母の顔を知らずに育っている。というのも彼の両親は、晋太郎氏が生まれてまもなく離婚しているのだ。彼は生後2か月あまりで、両親と引き離され、郷里にいる親類に預けられた。
その後、母が東京に居ると聞いた晋太郎氏は、上京する度に、母が住んでいる場所を必死に探したが再会は叶わなかったというのだ。その話を安倍晋三氏は父親から何度も聞かされて育ったはずである。
亡くなってしまった今となっては、安倍晋三元首相の胸の内はわからない。しかし親子関係やその法律の改正について、ずっと目を配っていたことは確かだ。
自民党の派閥の領袖として、絶対的な影響力をもっていた安倍氏のひとかたならない協力。民間法制審案を採用させようとしていた勢力にとってこれほど心強い存在はなかった。
裏返して言えば、その安倍氏が逝去することでの影響が心配になる。
先の関係者は言う。
「事件の衝撃は、非常に大きかったんですよ。安倍元首相がいてくださるから、『民間法制審案でいける。大丈夫だ』という確信を持っていたんです。反対派を押さえてくださってましたから」
今後はどうだろうか。安倍晋三元首相が亡くなったことで、反対派への押さえがなくなってしまうのではないか。関係者は悲痛なまでに訴える。
「おっしゃるとおりです。法務省に出向している裁判官だけでなく、揺れ動いている議員たちもこれで箍(たが)がなくなってしまうんですよ。いまだからこそ、安倍晋三元首相の遺志を汲み取り、彼らが使命を果たすのかどうか、多くの人たちに見届けていただきたいのです」
それぞれの議員が法務省、日弁連、女性団体などとの板挟みで苦悩している面があることは理解する。それでも、国会議員が第一に考えるべきは、制度の欠陥で苦しむ親子をどう救うかではないか。安倍元首相の遺志を胸に、集票力のある女性団体におもねらず、法務省や日弁連を叱り飛ばすぐらいのことはやって欲しい。