「しつこいぞ」「いい加減にしろ」「ちょっと受けたらって調子に乗るな」「それしか知らんのか」というような生温かい御声援を受けながら、4回に渡って引っ張ってきたましT医大の不正入試問題。さすがに今回で一段落とします。
それにしても、「点数操作で女子が不利な扱いを受けた」ということばかりがえらい騒ぎになりましたが、本来なら医師になれないはずの新入生のその後と、それに関して多額の金銭が発生している実態については、新旧どちらのメディアもあまり取り上げません。
裏口入学でも「問題なし」なのか
まず金銭についてですが、学校法人ないし医療法人への寄付というような形で、法的には適正に処理されたと考えられます。巨額なのにマル査も出てこないのですから、突っ込みようの無い話なのでしょう。また、そのお金が医療関係者の養成やら病院設備の充実に使われたのでしたら、とりあえずメデタイとしておくしかありません。
ところが新入生の方は簡単には行きません。以前に指摘したような「大喜利入試」で分厚い座布団を敷いてもらって入ってきた連中が、数年後には、あなたの腹をメスで切り裂くかも知れないのですが、「そういう医者の首には聴診器の代わりに荒縄を巻け」という声は上がりそうにもありません。
いつ始まった不正なのか、何人が不正に合格したのか、そして何よりT医大だけの不正なのか……あちこちで前代未聞の医療ミスがおき大事件になりそうなものですが、逆に、今のところ何事も無く今後も何もおきないとしたら、これはこれで逆の意味で問題です。大学入試、特に医学生を選抜する力試験とは、いったい何なんでしょうか。
そもそも、三角関数や微積分が苦手というだけの理由で医者になれないというルール。「数学で理論的に考える力を見ている」というのがよくある説明ですが、高校数学の思想と、医療現場のエビデンスベース思想とは、初歩的でいい加減ということ以外にはあまり共通点はないでしょう。このレベルの論理的思考なら、必要な職業は文系を含めていくらでもあり、何も医療に限った話ではなさそうです。医学部入試での数学重視は単なる慣例と理解するしかありません。医学部入学後に数学で留年したという話もききません。
T医大の差別入試の根っこの構造
他にも、落ち着いて考えると変な話がたくさんあります。医師という職業が特殊なのは、全員が医学部の卒業者だということです。また、逆に医学部卒業生の大部分は医師になります。つまり、未成年のうちに進路を決めた者ばかりの世界なのです。そのため、学外や他学部からの情報が少なく、医学部の常識や発想が世間と微妙にずれる原因になっています。以下、細かく見ていきましょう。
入試での医学部の特徴は、
① 定員が厳格なこと
② 正確で高速の処理能力を求められること
③ 秩序や常識が重んじられる
ことの3つだと思います。
まず、①の定員の問題。「医師養成には多額の費用と人員が必要だから」という説明がされ、「医師一人を養成するのに○○万円かかる」なんてよく言われますが、内訳を見たことがありません。機械類・薬品・実験動物・御遺体などいくら経費がかかるとは言え、理学部や工学部の何倍にもなるものでしょうか。
5・6年次のポリクリ(病院実習)や初期研修(免許取得後;2年)に人手がいると言っても、工夫のしようはあるはずです。逆に後期研修(初期研修終了後;3年)生は、あきらかに戦力と見なされブラックな働き方をしているのですから、課程の調整だけででも定員増は可能なはずです。
例のT医大の差別入試でも、「女子が増えすぎると外科のなり手が足りない」というのであれば、男子の追加合格で対応すれば良さそうなものですが、これが不可能なのは厳格過ぎる定員のせいです。
極端な優等生を求めるが…
次に、②の入試科目や出題傾向を見てみましょう。国公立大学医学部の受験生にとって最初の壁になるのは共通テスト(旧センター試験)の要求点数の高さです。苦手科目がなく、ミスをせずに問題を高速で片付けていくというタイプ以外には合格は難しくなります。
私大入試でも「共通テスト利用」か、同様の独自マークシート式試験などが多く、極端な優等生タイプの優等生が求められていることが大きな特徴です。考えてみれば当然のことで、「わたし、失敗しない……わけじゃないけど、同じミスは二度としないから、御子息の死は無駄になりませんわ」と言われて納得する親はいません。医療の世界に「二度目」はなく、ミスは取り返せないことを身に染みて分からせるのが医師教育なのです。
そして③の秩序や常識についても「優等生」の対応が求められます。ほとんど全ての大学医学部の入試で面接や性格テストが不適切そうな受験生を落とすために行われています。個性や潜在能力を発見するための他学部の面接とは、目的が全く違います。
実は東大(性格や人間性に問題があっても、ずば抜けて賢い者は受け入れるというコンセプトの大学でしょう)の理Ⅲ(事実上の医学部)入試に面接を導入するきっかけになった青年本人を見たことがあります。銀縁眼鏡で、やや太めのオタク系で、どこにでもいるような好青年でしたが、ただ一つだけ異彩を放っている点がありました。友人と会話したり移動したりするとき以外、常にクルクル回っているのです。将来どんな名医になっても、患者としては回転手術は勘弁してほしいと思いました。
こうした極端な例は別としても、迷ったときに「よし、進もう」と判断しがちなタイプは現代医学の世界では医師向きではないのでしょう。当然、予備校などでは面接や性格テスト対策をして、ダークサイドを見つけられないようにしていますが、そういう対策ができる人はあまり問題がないのです。そこが入試の場であることを忘れてなのか、むき出しの自分を見せてしまう非常識な受験生は、正直者なのかもしれませんが、医師には向かない人とされています。
国家試験は地雷原
さて、「日本の大学は入るのは厳しいが出るのは楽」であると未だに思われているようですが、それは昭和の話。たとえFランク大学でも、平成の後半から単位をとるのが格段に厳しくなっています(学力が格段に上がったわけではなさそうですが)。特に医学部を卒業することの難しさは、諸外国と変わらないはずです。
医学部の専門科目は原則として全て必修です。1科目でも不合格だと進級できません。しかも、「同一学年での留年は1回のみ」というような、他学部にはない縛りもよくあります。また、座学が終了する4年次にはCBTという全国共通の進級試験があり、学内の試験でいくら点数が良くても、これに合格できないと留年です。
そして、いよいよ卒業間際の医師国家試験です。2日制、400問の4択マークシートというのも壮観ですが、それに加えて「禁忌」という独特のルールもあります。これは、10問程度の問題の選択枝にあえてとんでもないもの(実行すれば患者さんが即死したり医療犯罪になる選択肢=禁忌肢)を入れておき、それを4つ以上選んでしまうと、仮に他が満点でもアウトです。この地雷じみたルールを見ても、いかにミスをしない保守的な優等生が望まれているかがわかります。
国家試験に合格すると、数か月後には他人様の命を日常的に扱う生活が待っています。医者になるということは、入試の緊張感を引退の日まで持ち続けるということなのかも知れません。こうした時代離れした厳しさが、世界一の日本の医療の土台の一部になっていることは間違いありません。
優等生タイプの優等生集団の欠点
けれどもこれには困った副作用が2つあります。まず、臨床医ではなく研究者志望の学生が諸外国と比較して少なく、医大が難関化した近年にはさらに激減していることです。「何かを自分で思いついて、それを試してみる」というタイプを、優先的に排除してしまう教育システムなのですから仕方ありません。「ワクチンを使うのはうまいが、自分たちでは開発できない国」などと言われてしまいそうです。
もうひとつ、精神科・心療内科などで「心に問題を抱えている」患者さんの場合、優等生タイプの優等生である主治医のキャラが治療の障害になりうるということです。そもそも、治療の場では、医師=強者、患者=弱者という構造があり、ほとんど医者はこのことに問題意識を持ち、それなりに準備はしているのでしょうが、ふとしたことから、この構造があからさまになってしまうこともあるようです。
こういう時に、患者の側が優等生タイプの劣等生だった場合、「どうせ先生は立派な方ですから、私らの気持ちなんか、おわかりにならないでしょう」となりがちです。私のような劣等生タイプの劣等生の患者なら、「私の病気が治らないのは、先生がヤブだからでしょ。その分、治療費安くしてくれ」と……これはこれで問題ですよね。
こんなときに、オッチョコチョイの研修医や、半分呆けたような老医がいると、随分問題が緩和されるのではないでしょうか。もちろん、院内全員がそういう医者というのも困りますが。優等生タイプの優等生ばかりの病院というのも問題があります。
こんなことを書くと、「それならどうすれば良いのか」と言われそうです。私なりの解決のイメージがあることはあるのですが、記事にするのはもう少し勉強してからにさせてください。劣等生タイプの劣等生にスピードを求められても困ります。