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昭和15(1940)年7月に第2次近衛内閣を組閣してからの近衛文麿は、自分に欠けているのは、自らを政治的に補佐する与党勢力の確保と理解していた。そのため大政翼賛会を設立し、その国民的支持基盤を厚手にして内閣を強化するはずであった。ところが近衛のこうしたもくろみは根本から崩れてしまった。 …