やつらは一枚上手だった
やがて、色づいて、収穫が近づいてきた。ネットの中では、実がどんどん赤みが増して、収穫の算段を始めたある午後…。
熟れ具合を確認してタイミングを見極めようと畑に寄ってみた。さくらんぼに近づくと、なんだか騒がしい。樹をぐるりと包んだネットの中に何かいる…鳥だ…野鳥が何羽かで実を啄んでいる。と、私の姿を見て焦りまくったのか大混乱となり、羽をばたつかせて飛び出してきた。
なんで?入れるはずのないネットの中にどうやって忍び込んだ?穴が開いているわけでもないし。
しかし、今回も彼らが一枚上手だった。上からかぶせたネットは、幹の根元付近で軽く絞って、縛ってあったけれど、あまりきつくしては樹も苦しいだろうと、緩めてあったのである。風などで少しずつそれが広がったのか、よく見ると、拳ふたつくらいの隙間ができていたのだった。彼らはそれを見逃さず、忍び込んで、初夏の美味に舌鼓を打っていたのである。鳥が舌を打つかどうか知らないけど(笑)。
いやはや、あっぱれ…。大したもんだ。
「すげぇなぁ…」。そう呟いて、電線に戻った彼らを眺めるしかなかった。…とはいえ、今回の被害は軽微。農薬を使っていない我が果樹園にとって、害虫を食べたり、肥料になる糞を落としてくれる野鳥の存在はありがたい存在でもあって、共存共栄のパートナーと言ったっていい。それに、食べられたのは、その御礼と思えば熨斗を付けて渡してもいいくらいの量だ。柿なども、同じ想いで収穫の最後に2,3個残しておくけれど、今回はその前払いのようなもの。そう思えば、腹も立たなくなった。
で、その年は目論んだくらいの収穫が叶った。太宰も愛したというあの甘酸っぱさを思い切り堪能し、ジャムも拵えることにした。弱火で煮ていくと、鍋の中に鮮やかな紅色の液体が広がり始め、台所からリビングへ、なんともいえない爽やかで甘い香りが広がっていった。皮が気になるかも…と心配したけれど、我が家のさくらんぼはことのほか皮が薄く、取り越し苦労に終わった。
瓶に詰めて10本近くになっただろうか。パンにつけても、クッキーやヨーグルトと合わせても、マヨネーズに加えて野菜と合わせても、炭酸で割って飲んでも、驚くほど美味しかった。で、知り合いの料理家に渡すと目を丸くしてくれた。
以来、年によって季節の訪れが違ったり、雨が多かったり少なかったりで、出来のよしあしはあったけれど、毎年、家族や友人で楽しむ程度の収穫はあった。悩ましいのは、摘果ができないことで、あの小さくてかわいい赤ちゃん時代から眺めていくと、間引きができなくなってしまうのである。すると、店頭にあるような百円玉ほどの実にはならず、ひと回り小さな姿のままで熟してしまうわけで、味はいいけれどちょいと小柄…。摘果をして実の数を減らせば太ることは分かっているのに、情が移ってしまって、それができずに年を重ねてきた。毎年収穫が終わると、「来年こそは摘果をしよう!」と誓うのだが、翌年、白い花が咲いて、小豆ほどの実が顔を出すともうダメ…(笑)。
今年も、収穫を終えて早ふた月が過ぎた。幸いにも大した害虫がつくこともなく、葉を繁らせている。この夏はちょっと暑すぎるけれど、なんとか乗り越えてほしい…と、いつの間にか親のような心持ちなっている。
【筆者の紹介】
三浦 修
BXやXMのワゴンを乗り継いで、現在はEクラスのワゴンをパートナーに、晴耕雨読なぐうたら生活。月刊誌編集長を経て、編集執筆や企画で糊口をしのぐ典型的活字中毒者。
【ひねもすのたりワゴン生活】
旅、キャンプ、釣り、果樹園…相棒のステーションワゴンとのんびり暮らすあれやこれやを綴ったエッセイ。