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 今回の乗りバスは都営バス「亀21」系統だ。路線は比較的新しいのだが、有名商店街や狭隘路まで走る興味深い路線だ。東陽町駅前から亀戸駅前まで乗車した。

文/写真:小野寺利右
編集:古川智規(バスマガジン編集部)


スタートは東陽町駅前!! ここにはバス好きのツボがてんこ盛り

 東陽町駅前バス停は江東区役所の近くで、東京メトロ東西線に接続するバス路線の系統も多く、江東区内では重要な交通の要衝だ。ここから出発する亀21系統に乗りバスしてみた。通り名が多く登場するので路線図を示した。

亀21系統の路線図(都バス運行情報サービスから)

 亀21系統は、東陽町駅前から亀戸駅前までを結ぶ路線で、本数は概ね15分毎。歴史は比較的浅く、誕生は昭和49年で丸八通りの開通と共に開設された。担当営業所は江東営業所だ。

いまもさらっとS代の西工U車が来る路線!

 東陽町駅前は交差点の東西南北4方向に乗り場がある。目指す亀21系統は永代通り東方面行きの、1番乗り場から発車する。やってきたのは日産ディーゼル・西日本車体工業のスペースランナー、局番S690だ。

 都営バスではずいぶん車両数減ってきた西工車なので、現在では貴重なのかもしれない。出発してまずは永代通りを東に進み江東運転免許試験場前を通り、日曹橋交差点を左折し明治通りへ。

日産ディーゼル・西日本車工業製のS690

 明治通りに入り一つ目の南砂三丁目に止まり、次の信号を右折する。ここは以前に都電跡地の記事(関連記事参照)で紹介した南砂三丁目交差点で、都電跡が通りから別れた地点だ。同時に都電跡をトレースする都07系統ともお別れ。曲がるといきなり道路が狭くなり仙気稲荷通り、元八幡通りを通る。

バス停名と通り名に使われている元八幡って何?

 元八幡通りをしばらく進むと、元八幡停留所に止まるが、この名称が気になったので降りて謎を確かめてみた。信号を南に進むと神社が見えてくる。ここは富賀岡八幡宮と称し創建は奈良時代。その後の江戸時代は寛永年間にこの地から現在の深川に移したとされる。それで元あった八幡神社で元八幡と言われているようだ。

何の元なのか?元八幡

 江戸時代には桜並木の参道があり、その美しさは歌川広重の「名所江戸百景」に見てとれる。時代は変わっても当地の鎮守様である。この区間の道路は本当に狭い。バスの離合もなかなかの苦労だ。運転士のプロテクニックには頭が下がる。

新旧の葛西橋には注意が必要

 元八幡を巡ったところで、再び亀戸駅前行きのバスに乗車する。元八幡通りから突き当りを左に折れて北向きに走り、葛西橋のたもとに出て葛西橋通りをそのまま直進。その先の突き当たりを左折して清洲橋通りに入ると旧葛西橋停留所。

 旧葛西橋はこの道の延長線上にあり、昭和38年に現在の橋に架け替えられた。通りの終端に史跡として看板が残されていて、この辺りは釣船屋があり古き良き時代を今に伝える。余談だが葛西橋停留所は川沿いの番所橋通り上にあり、葛西橋を渡る系統などは止まらないので注意だ。

系統が大きく分離する丸八通りと商店街

 清洲橋通りを西に向かい、亀高橋交差点右折して丸八通りを走る。この区間は都営バスの系統がいくつかあり、乗り換えもできる。比較的に利用者が多いのは、秋26系統と亀29系統だろう。秋26系統は以前の乗りバス記事(関連記事参照)をご覧いただきたい。亀29系統は亀戸駅前から西葛西駅前などを結ぶ。

 この2つの系統に乗り換えれば、東は江戸川区から西は中央区や千代田区まで行ける。この辺りから亀戸駅方面は2つの経由が存在することになる。

亀高橋バス停

 丸八通りに入り亀高橋の次は北砂七丁目停留所。左手に商店街のアーケードがあり、有名な砂町銀座商店街だ。この商店街は西に伸びて明治通りまで繋がっていて長さは670mある。

 銀座商店街の名称は各地あるが、そのうちの1つだ。銀座はすべてではないが、銀貨を鋳造または銀の地金を扱っていた場所を示すことが多い。毎月10日には「ばか値市」というイベントや、シーズン別のイベントとしては七夕祭りなどもある。

 以前は北砂七丁目止まりの東21系統があった。永代通り、晴海通り経由で東京駅南口まで行っていた。東21系統の歴史は古いが、なぜ北砂七丁目が終点なのか。

 それは丸八通りが全通したのは昭和49年で、当時はここから北方向にはバスが通れる道ではなかったからだ。この頃は通りが少しセットバックしていて、その敷地を利用してUターンしていた。今はその面影はない。

亀戸駅前までラストスパートと旧ルート

 砂町銀座商店街を左に見てバスは北に進む。丸八橋という小名木川の太鼓橋を渡ると江東区大島地区に入り、大島駅前で都営新宿線と接続する。バスも新大橋通りを走っているが、停留所は少し離れているので注意が必要。大島駅を過ぎるとまた太鼓橋が現れる。

 首都高速7号小松川線の下を流れる堅川にかかる堅川大橋である。現在はそのまま直進して京葉道路を左折しているが、昭和末期までは橋を渡り亀戸駅方面は左折し一本裏の通りを走っていて、明治通りから亀戸駅にアプローチしていた。当時は途中にさらに2つの停留所があった。1つは平岩公園で公園の目の前に停留所があった。

首都高速は前の東京五輪に間に合わせるため用地確保をしなくて済む川の上を走ることが多い

 もう1つは第二亀戸小学校通りという停留所だ。筆者は平岩公園は覚えていて、昔ながらの丸ポールがポツンと公園の前にあったのを記憶している。もう1つの停留所はなぜか記憶にない。

 現在のルートに戻ると京葉道路を走り亀戸六丁目、都電跡の水神森と停車し、明治通りを右折して亀戸駅のロータリーへ入る。ロータリー左端で降車扱いをしてバスは5番乗り場へ向かう。東陽町駅前方面はここから左に出発し、駅の西側を大回りして京葉道路に入る。

亀戸駅前降車専用停留所

 この路線は以前から乗車したことはあったが、路線の歴史としては比較的新しいながらも地域に根差した路線であるのが改めて分かった。このような地域密着路線は変わらず存続してほしいものだ。

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