スタート第一コーナーのアクシデントでラッセルは左リアホイールを壊したものの、そのまま3輪走行でピットには戻れたと彼自身がFIAの技術委員に語っていた。ではなぜ戻らなかったのか? 戻ればレースができた可能性が高かった。しかしラッセルはそうはしなかった。レースを捨てガンユーに駆け寄ったのだ。その行動にはラッセルに罪の意識と甘さがあるという。元F1メカニックの津川哲夫氏が解説する。
文/津川哲夫
写真/Ferrari,Mercedes,Redbull
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シルバーストーン・マジックでメルセデスW13が復活
今シーズン苦しんできたメルセデスが、10戦目の英国シルバーストーンで覚醒した。独自のコンセプトを貫き、ついにポーポシングの持病を解消させた。
そしてW13は真のポテンシャルを発揮し、ハミルトンは安定した走りで3位表彰台をゲットしたのだ。毎年メルセデスが突然速くなるイギリスGPはシルバーストーン・マジックと呼ばれ、今年もメルセデスのシルバーストーン・マジックが具現化することとなった。
今回のハミルトンはそのマジックをしっかりと利用して無理をせず、凄まじいがフェアなバトルを行っていた。サインツとサイドバイサイドで入ったコプスでも、マックスと絡んだ昨年の繰り返しはせずにフェアなバトルだった。ペレスとのバトルもあわやの接触か……の場面もあったが、ペレスの速さを見切り、それ以上の無理はせずにペレスを先に行かせている。ペレスの速さにはまだW13では追いすがることができず、ハミルトンはそれを認めての3位、7回チャンピオンの大人の判断であった。
去年優勝のハミルトン、今年走れなかったラッセル
今回残念だったのは王者ハミルトンの相棒たるラッセルだ。ついに覚醒したハミルトンに今回は間違いなく圧倒されていた。スタートでは若干の出遅れでガンユーに並ばれ、その2台の間に好スタートのガスリーが割り込んできて接触。結果ラッセルとガンユーはクラッシュ、ガンユーは宙に舞って逆さに滑りバリヤーを超えてフェンスを直撃する大事故になった。
幸いなことにガンユーに怪我はなく、F1車体のとてつもない安全性を証明して見せた。
しかし、問題はこの後だ。
昨年、シルバーストーンの名物、高速コーナーコプスで、ハミルトンがフェルスタッペンと接触、レッドブルはアウト側に飛ばされて大クラッシュしてしまった。ハミルトンが事故直後一瞬スピードを緩めたのは事故への若干の罪の意識からだ。この一瞬の躊躇でハミルトンはルクレールに抜かれたが、これを取り返して優勝。チャンピオンハミルトンの強靭なレース魂が垣間見えたレースであった。
では今回のラッセルは?
スタート直後、第一コーナーのアクシデントでラッセルは左リアホイールを壊したものの、ピットには戻れたと彼自身がFIAの技術委員に語っていた。ではなぜ戻らなかったのか? 戻れば再スタートできた可能性は高かった。
ガンユーに駆け寄ったラッセル。何故ピットに戻らなかったのか
ラッセルは大クラッシュしたガンユーの容体を気にしてコクピットを降りて現場へ向かっている。ラッセルはその現場で何をしようと思ったのか? 現場にはプロのマーシャル達が駆けつけていて、ラッセルのできることなど何もないのだ。
ここにラッセルの弱さを垣間見た気がした。
確かにガンユーの容体を気づかったといえば聞こえがよく、一般的にはその気遣いは美談に見えたかもしれない。しかしこれはラッセルの罪の意識にほかならない。事故の原因はさておき、彼のマシンがガンユーのマシンを飛ばしてしまった事実が、ラッセルに「しまった、やってしまった!」という意識をもたせたのだろう。その罪の意識がこの行動を起こさせてしまったに違いない。
ラッセルはこの意識のせいで、走れる可能性のあった母国レースを棒に振ってしまった。
こう言うと冷たく思えるかもしれないが、何もできない現場に駆け寄り、自分のやるべきレースを自ら放棄してしまうのは、F1レーサー失格である。もちろんこれは極論で言い過ぎだが、レースはチェッカーフラッグを受けるまでがレースなのだから……。ラッセルは自ら走れるレースをリタイアしてしまったのだ。
クラッシュ後、走れる状態であればタイヤを引きずりながらでもピットに戻り、メカニックが必死の作業でマシンを間に合わせることができたはず。ラッセルは再スタートして良いリザルトを得てこそファンもチームも納得するのだ。その後に大人のコメントでガンユーを心配するのが真のプロフェッショナルではないか……。
ラッセルへの評価はまだでき上がっていない。
W13が理想的に仕上がってきたとき、果たしてラッセルはハミルトンを下せるのか?
今回の英国グランプリで見られたラッセルのメンタルの甘さは、果たして今後にどう影響してくるだろうか。真にハミルトンを超えるにはこの甘さを捨て、現実的で理論的に揺るがないメンタリティーの強さが欠かせないはずだ。
それでもまだ経験の少ない若さゆえと優しく見つめれば、もちろんラッセルの未来は実に希望に満ちあふれているのは確かだが、生き馬の目を抜くF1界、わずかな弱さも突いて来られるのは当然のこと。果たしてラッセルはこの危うさを乗り越えて、いつハミルトンを本当の意味で超えるのか……。その成長が楽しみである。
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津川哲夫
1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
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