被爆地・広島市は8月6日、77回目の「原爆の日」を迎えました。
昨年、「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(平和記念式典)におけるデモ騒音問題についてお伝えし、多くの反響をいただきました。1年経った昨日もまたお読みいただいたようです(参照:マスコミは報じない!広島平和祈念式典を妨害「仁義なき」デモ騒音のリアル)。
今年こそ、「静かに原爆犠牲者の皆様を悼み、心穏やかに感謝の意を捧げ、未来に向けて新たな誓いを立てる」と意気込んでおりましたが、その思いは無残にも打ち砕かれてしまいました。平和記念式典を主催する広島市、広島市議会の一人として、原爆犠牲者の皆様をはじめ、被爆者やご遺族、関係者の方々に、心よりお詫び申し上げます。そして、自戒の念を込めて、これまでの取り組みと課題、今後への思い・決意を改めて述べさせていただきたいと思います。
デモ問題の経緯、規制条例化も
まずは、これまでの流れをまとめます。平和記念式典の挙行中、デモ団体が拡声器などを使ってシュプレヒコールを繰り返し、式典の厳粛な環境が損なわれています。広島市によりますと、2010年(平成22年)頃から行われています。以降、広島市は式典を挙行する上での厳粛な環境を保つため、デモ時の音量を絞るなどの配慮をするよう、再三にわたり、デモ団体に要請してきました。
しかし、デモ団体は何ら配慮せず、状況は悪化していました。そこで、広島市は平成30年度(2018年度)に式典中の騒音に関する市民アンケートを実施しました。この頃か、デモ騒音に対する動きが出てきます。そして、2019年6月、平和記念式典が厳粛な中で挙行されるよう協力を求める決議案が全会一致で可決しました。こうした流れを受け、広島市とデモ団体とが、音量に関する協議を具体的にするようになってきました。
ところが、2020年の平和記念式典で「式典会場に向けて少なくとも10メートル離れた地点での音量測定値が85dB(デシベル)以下となるようにすること」という合意に反し、85dBを超える音量が測定されます。ちなみに電車の走行音を線路脇で聞いた場合が80dBぐらいとされています。
こうした中、21年6月、広島市議会が、広島市の平和行政の基本理念ともいえる「広島市平和推進基本条例」を議員提案により、可決・成立させました。同条例の6条2項で、「本市は、平和記念日に、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式を、市民の理解と協力の下に、厳粛の中で行うものとする」と規定しています。
また、広島市議会に関しては、「市議会は、(中略)平和の推進に関する活動を行うものとする」(第4条)という条文があります。これらは、広島市と広島市議会の責務を定めたものといえます。この条例ができて以降、平和記念式典が2度挙行されましたが、残念ながら、責務を十分に果たせているとは言えません。政策立案検討会議のメンバーとして、この条例案の作成に携わった1人として、忸怩たる思いと同時に、大変責任を感じております。
改善すべき2つの問題
では、今後どうやって改善していくのか、ということになります。そこでまず、8月6日の平和記念式典で厳粛な環境を保つことに関し、2点の問題点を整理する必要があります。
1つ目が、式典開始前の早朝に、原爆ドーム前でデモ団体が集会に類似した行為によって、この一帯を喧噪状態にしていることです。原爆ドームの北側は平和記念公園内です。公の空間にも関わらず、拡声器などで演説をしたり、大勢で座り込んで”占有”したりすることはならないわけです。通行人の妨げになり、また、大音量で叫ぶことで、周囲の環境を害しているのです。
2つ目が、これまで述べてきた式典中の騒音です。式典を厳粛な中で挙行することは、原爆犠牲者の皆様を悼むという式典の目的達成を阻害することといえます。また、今年は実際、来賓あいさつの時、シュプレヒコールがあいさつと重なり、聞き取りにくい場面がありました。岸田首相ら来賓のあいさつの趣旨は、世界の恒久平和を誓うものです。これも、平和記念式典の主目的の1つです。
平和を希求することを誓っている最中に、「憲法改悪反対」「〇〇は出ていけ」といったシュプレヒコールを浴びせることは、ヤジを飛ばしているということと同じと言えます。要人が世界に向けてメッセージを発する機会を奪うことは、式典自体を妨害していることになるのです。
このように、直接的、間接的に、式典の挙行が阻害され、本来の目的が達成できない状態となっています。主催者として、一歩踏み込んだ対応が必要なのだと感じております。つまりは、条例その他で規制をかけることも手段として選択肢の一つとせざるを得ないということです。
平和記念式典の騒擾は、広島市特有の問題ではありません。9月27日に、安倍晋三・元首相の国葬が執り行われる予定です。8月6日に広島市で起きていることは、国葬の会場となる日本武道館周辺でも起こりうることです。だからこそ、多くの国民の皆様に、広島の問題を身近に感じていただきたいのです。
デモ団体のエゴで失うもの
最後に、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島市中心部の上空で原子爆弾「リトルボーイ」がさく裂し、多数の市民の尊い命が奪われました。人類史上初めて落とされたもので、想像を絶する惨劇に見舞われました。当時は新型爆弾などと言われ、放射能の影響で広島市には「75年は草木も生えない」とさえ言われていました。
しかし、今や、人口120万人の政令指定都市として奇跡的な復興を遂げ、「HIROSHIMA」として、世界有数の知名度を誇る都市になっています。ひとえに、先人の不屈のご努力に尽きます。被爆者のそうした思いや命は、被爆2世、被爆3世、被爆4世と脈々とつながり、今の広島市があります。
私自身、祖母が被爆者で被爆3世にあたります。祖母を含めて、先人のたゆまぬご努力、命のリレーがあったからこそ、今、ここに存在している、広島市や日本で暮らすことの幸せを享受できていると感謝の念に堪えません。8月6日は、そのような意味で、多くの皆様にとって、たいへん尊い1日なのです。
安倍晋三・元首相への銃撃事件以降、要人警護に対する、国民の目はシビアになっています。このたびの平和記念式典では、会場周辺に制服警官が多数配置され、いわゆる「見える警護」が展開されていました。デモ団体のエゴによって、これまで以上に、緊張を強いられるのは、原爆犠牲者の皆様を悼むという観点から、残念でなりません。