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<p>安倍晋三元首相が死去 67歳 奈良で街頭演説中に背後から拳銃で銃撃 41歳の男を現場で逮捕 – 社会 : 日刊スポーツ</p><p>【速報】安倍晋三元首相が死去 67歳 奈良で街頭演説中に背後から拳銃で銃撃 41歳の男を現場で逮捕 #安倍晋三</p><p>自民党の安倍晋三元首相が8日午前、参院選の街頭演説を行っていた奈良市内で、不審な男に背後から拳銃で銃撃され、亡くなった。67歳だった。安倍氏は11時30分ごろ… – 日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansports.com)</p><p>自民党の安倍晋三元首相が8日午前、参院選の街頭演説を行っていた奈良市内で、不審な男に背後から拳銃で銃撃され、亡くなった。67歳だった。 安倍氏は11時30分ごろ、奈良市内の近鉄大和西大寺駅前で街頭演説中に、不審な男に背後から襲われ、撃たれた。捜査関係者によると、現場では銃声のような音が2回した後、安倍氏がその場で倒れ込んだ。その後、心臓マッサージを受けたが心肺停止の状態で救急搬送された。奈良県警は殺人未遂容疑で41歳の男を現場で逮捕した。 安倍氏は、祖父に岸信介元首相、父に安倍晋太郎元外相を持ち、同氏の二男として生まれた。成蹊大法学部政治学科を卒業後、南カリフォルニア大政治学科に2年間留学。79年に神戸製鋼所に入社し、ニューヨーク支社などに勤務した後、82年に退社した。 父の秘書などを務めた後、父が91年に急死したことを受け、地盤を引き継ぎ、93年に38歳で山口4区から衆院選に出馬し、初当選した。00年7月には、第2次森内閣で官房副長官を務め、03年には自民党幹事長となり、05年に第3次小泉改造内閣で内閣官房長官として初入閣を果たした。 06年9月には戦後最年少の52歳で第90代首相になったが、翌07年に潰瘍性大腸炎による体調不良などで辞任した。 11年8月には、当時、野党だった自民党総裁選に出馬の意向を示し、同9月の総裁選では、決選投票で石破茂氏を逆転し、総裁に選出。翌12年12月の衆院選で自民党が圧倒し、与党に復帰したことを受け、第96代内閣総理大臣に選出され、吉田茂元首相以来2人目、戦後の日本国憲法下では初めて首相に再就任した。 第2次政権下では、東京オリンピックの誘致、憲法改憲などに強い意欲を見せ、18年10月2日の内閣改造で、大叔父の佐藤栄作元首相の9回を上回る、最多10回目の組閣を行った。19年9月11日にも内閣改造を行い、通算組閣回数は11回に延びた。 また19年11月20日に首相通算在職日数が2887日となり、桂太郎元首相の2886日を抜き、歴代最長となった。さらに、20年8月24日に連続在職日数が2799日となり、佐藤栄作元首相の2798日を抜き、歴代最長となった。 20年8月28日には、潰瘍性大腸炎による体調不良で、辞意を発表。同9月16日の閣議で総辞職した。第1次政権を含めた通算在任日数も、憲政史上最長3188日に上った。ただ、政権末期の18年に森友学園への国有地売却問題、加計学園の獣医学部新設に関わる問題が取りざたされた、さらに19年の参院選前には、金融庁の審議会で老後に資金が2000万円必要との報告書が作成されたことも大問題になった。また17~19年に開催された「桜を見る会」前日に後援会が主催した夕食会で、会費で賄えなかった差額を安倍氏側が穴埋めしたとされる問題など、相次いで疑惑も噴出していた。 21年11月には、自民党細田派の細田博之会長が党本部で開いた派閥幹部会合で、自身が10日召集の特別国会で衆院議長に就任するのに伴い会長職を退き、後任に安倍氏を推す意向を表明。阿部氏は同11日の派閥総会で会長に就任し「安倍派」が誕生していた。 社会最新ニュース</p>