【編集部より】安倍晋三元首相の生前の政治スタイルには毀誉褒貶が続きましたが、批判された言動の中にはにわかに信じがたい報道や論評もありました。暗殺事件から1か月。安倍氏に何度も取材をしてきたライターの梶原麻衣子さんが、確かなエビデンスに基づき、安倍氏に対する「巷の批判」を多角的な視点から検証します。
第2回は、安倍氏が「皇室を軽んじていたのではないか」という左派の指摘に対し、取材時の秘話を交えて真っ向から異論を唱えます。(3回シリーズの2回目)
「安倍が上皇陛下や皇室を軽視」!?
安倍政権下で顕著だったのは、「尊王派」と目される人々が、従来の右派から左派へとすっかり入れ替わったことだった。「憲法を破壊する」と左派が見なす安倍政権に対抗すべく、彼らが持ち出したのは現・上皇陛下だった。その振る舞いは一部から「ネオ皇道派」とまで揶揄されるほどだった。
そうした中で、「安倍が上皇陛下や皇室を軽視していた」とする証言も飛び交った。特に気になるのが、亀井静香氏や毎日新聞編集委員の伊藤智永氏が発信元だというエピソードで、東日本大震災時に上皇陛下(当時は天皇陛下)が避難所の床に跪き、被災者と同じ目線でお話になったことを、安倍総理がモノマネまでして茶化した、という話だ(参照:BEST TIMES「本当の保守とは思えない。安倍首相の「皇室軽視」を作家・適菜収が喝破する」)。
話の真偽や安倍総理の真意はもはや確かめようがないのだが、これとは相反する、安倍総理の上皇陛下に対する思いが感じられるエピソードを紹介したい。
それは2011年5月、東日本大震災直後に雑誌で安倍元総理に取材した時の話だ。
当時の筆者は、未曽有の大災害を前に民主党政権の震災対応に心底腹を立てていた。その怒りは「保守政権が始まったと思った途端に終わらせた」安倍元総理にも向いていたのである。
確かに安倍元総理への取材の趣旨は「自分の政権だったらどう震災対応をしたか」を聞くものだった。だから当然と言えば当然なのだが、民主党政権がアレをしていない、コレもできていないという手続きの話に終始する安倍元総理に、まだ若かった筆者は取材の最中も物足りなさを感じていた。
そこで取材の最後に質問の機会が回ってきた際に、失礼を承知でこう、尋ねたのである。
「どうしてこんな大変な時に、自民党が政権を担っていないのか。私ですら腹が立つんですが、そのことに関して、忸怩たる思いはありませんか」
要するに「あなたの責任もあって、政権与党から滑り落ちたためにこんなことになっているのでは」と言外に述べているわけである。
しかし安倍元総理は特段、怒ったり反発したりもせず、こう述べた。
「それはとても残念で、われわれが踏ん張れなかったことを、大変反省しなければならない」
胸下に秘めていた「お言葉」
そして少し間をおいて静かに胸ポケットから1枚の紙を取り出した。それは、当時の天皇陛下、現在の上皇陛下が震災に際して発表された「お言葉」のコピーだったのだ。
どんな思いだったのか。記事を引こう。
最後にどうしても触れておきたいのは、天皇陛下のお言葉です。私は文面のコピーを毎日持ち歩いているくらいで、本当に素晴らしいお言葉でした。全文を掲載しなかった朝日新聞や毎日新聞はどうかしていると思いますが、読んでいると、陛下御自身が何度も推敲を重ねられたものであるとわかります。
朝日新聞や毎日新聞に当てつけているのはご愛敬だが、実際、毎日持ち歩いては読み返していたようで、コピーはこの当時ですでにヨレかかっていた。想定外の質問の流れから取り出したものであって、前もって「これを見せてやろう」と準備していたものではない。
安倍元総理は陛下のお言葉が真っ先に自衛隊の名を挙げたこと、それは〈損得を価値基準に置いてきた戦後において、損得を超える価値があること、命を懸けてでも守るべきものがあること〉を自衛隊が災害救助や原発へのヘリ放水などで示したことを、陛下も評価されたことを示している、と述べたのち、こう続けている。
陛下は、お言葉の中でこう述べられています。
《被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。》
この「雄々しさ」という言葉は、陛下が考え抜いて使われたものだろうと推察します。
生涯に九万首以上の歌を詠まれた明治天皇は、日露戦争の時にこのような歌を詠んでおられます。
《敷島の 大和心の雄々しさは ことある時ぞ あらはれにける》
そして、昭和天皇は敗戦の翌年の歌会始で、
《降り積もる み雪に耐えて 色かへぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ》
という歌を詠んでおられます。
陛下は、明治天皇と昭和天皇が節目で使われた、「雄々しさ」という言葉を今こそ国民に向けて伝えようと、深い思いを込めて使われたのだと思います。
まさに、我々も「雄々しく」、いかにこの震災を乗り越えていくかを示さなければなりません。
陛下や皇室への思いを感じ取った瞬間
筆者は当時、「なぜこれだけの大災害に瀕して、日本の政治家から、国民を強い気持ちで復興に向かわせる歴史的な演説や言葉が出てこないのか」と思っていたところでもあった。
その思いから、関東大震災発災当時の永田秀次郎・東京市長の言葉を探し出し、「なぜこういうことが言える政治家がいないんだ!」と嘆いたりしていた。
「市民諸君に告ぐ」と題した演説での永田市長の言葉はこうである。
我々東京市民は今や全世界の檜舞台に立って復興の劇を演じておるのである。我々の一挙一動は実にわが日本国民の名誉を代表するものである。
震災でも、コロナ禍でも、危機に瀕した国民を勇気づける政治家の言葉として、残っているものがあるだろうか。
取材当時も安倍元総理自身の「国民を奮い立たせる言葉」を聞ければ一番よかったのだが、しかし胸ポケットから陛下のお言葉を取り出し、しみじみと見つめる安倍元総理の様子を見て、「陛下や皇室に対する思い」の一端を感じ取ることができたのである。
皇統問題や、生前譲位の問題など、確かに上皇陛下と安倍元総理の間で意見の食い違いがあったのは確かだろう。しかし、この場面を目の当たりにした筆者としては、「安倍が皇室をないがしろにしている」「敬意など全くない」とする指摘には、どうしても疑問を覚えるのである。