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<p>「闘う政治家だった」夕刊フジでもコラム連載の安倍元首相、政治部長・矢野将史「温かく誠実な人柄」拉致被害者に涙も 日本はかけがえのない人物を失った(1/3ページ)</p><p>「闘う政治家だった」安倍元首相、政治部長・矢野将史が悼む 「温かく誠実な人柄」拉致被害者に涙も 日本はかけがえのない人物を失った #安倍元首相 #安倍晋三</p><p>安倍晋三元首相が亡くなった。「銃撃された」という一報を聞いて、何とか一命をとりとめてほしいと祈り続けたが、かなわなかった。言論を封じるようなテロは断じて許さ…</p><p>安倍晋三元首相が亡くなった。「銃撃された」という一報を聞いて、何とか一命をとりとめてほしいと祈り続けたが、かなわなかった。言論を封じるようなテロは断じて許されない。 安倍氏と夕刊フジの関係は、自民党幹事長代理時代の2004年年末にさかのぼる。党本部での取材後に雑談をしていたとき、記者が「連載コラムをやってみませんか?」と提案すると、安倍氏は「それ、面白いね!」と身を乗り出し、その場でコラム「挑戦する政治」が決まった。 翌年1月の第1回は特別インタビューだった。取材当日、くしくも朝日新聞が朝刊1面で、「NHK『慰安婦』番組改変」「中川昭 安倍 『内容に偏り』」「前日、幹部呼び指摘」という記事を掲載した。 旧議員会館の部屋に入ると、安倍氏は「これをやろう!」とすでに戦闘態勢だった。コラム初回は、1面掲載で「捏造記事だ」と、朝日新聞に真っ向から反論する内容となった。「闘う政治家」を直に感じた。 「挑戦する政治」は、第1次政権発足直前の官房長官時代まで続き、憲法改正や拉致問題などへの思いをつづった。第1次政権はわずか1年で終わったが、教育基本法改正や、防衛省昇格、憲法改正に必要な国民投票法制定などは達成した。</p>