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スカイライン シビック WRX STI… 日本の誇るビッグネームたちの命運を分けた「ターニングポイント」11選

 日本車を代表する人気車として長い期間販売されてきた“ビッグネーム”車たち。その長い歴史のなかには、大胆なコンセプトの変更などが行われたモデルもあった。

 今回は、11台のビッグネーム車のそれぞれ「ターニングポイント」となったモデルを取り上げ、どんな狙いで変革を行なったのか? 変革は上手くいったのか? それとも… など、変革を行なった当時と現状について考察!!

●ラインナップ
・日産 スカイライン(1957年初登場・現在13代目)
・ホンダ シビック(1972年初登場・現在11代目)
・ホンダ オデッセイ(1994年初登場・5代終了 ※2021年日本で販売終了)
・三菱 ギャラン(1969年初登場・10代終了 ※日本では2015年 9代で販売終了)
・三菱 ランサーエボリューション(1992年初登場・13モデル終了 ※2015年消滅)
・スバル インプレッサWRX STI(1994年初登場・9モデル ※WRX1代含む)
・ホンダ アコード(1976年初登場・現在10代目)
・スバル レガシィ(1994年初登場・現在7代目 ※日本では2020年6代で終了)
・マツダ ファミリア(1963年初登場・11代終了 ※2004年消滅)
・日産 フェアレディZ(1969年初登場・現在7代目)
・日産 シーマ(1988年初登場・現在5代目 ※2022年消滅予定)

※本稿は2022年6月のものです
文/片岡英明、永田恵一、写真/ベストカー編集部 ほか
初出:『ベストカー』2022年7月10日号

【画像ギャラリー】ここが運命の分かれ道!! あのメーカーのあのビッグネーム車のターニングポイントはココだった!!(20枚)画像ギャラリー


■日産 スカイライン(1957年初登場・現在13代目)

●こんなクルマ……プリンス自動車工業の時代(当時は富士精密工業)から60年を超える伝統ある日産の象徴。スポーツセダンの代表的存在として君臨している

運動性能を重視して先代型からシェイプアップした8代目日産 スカイライン(R32)。四輪マルチリンクサスペンションも採用され、走行性能は飛躍的に向上

●8代目

 7代目のスカイラインはトヨタを意識してハイソカー路線に振り、ファンを失望させた。信頼を失ったスカイラインは起死回生を図り、8代目で大きく方向転換する。その回答が1989年に登場したR32系スカイラインだ。

 ボディサイズを切り詰め、革新的な4輪マルチリンクのサスペンションや大改造を施した直列6気筒エンジンなどを搭載した。

 走りの実力を飛躍的に高めた8代目は、その3カ月後に電子制御トルクスプリット4WDに2.6L直6DOHCツインターボのGT-Rを投入。レースでも敵なしの活躍を演じてファンを魅了する。

●11代目

 スカイラインは新しい神話を生み出し、人気を盛り返した。そしてゴーン体制になった2001年夏、11代目のV35系スカイラインを投入する。伝統の直列6気筒エンジンやターボ、丸型テールランプなどを切り捨て、新たなスカイライン像を模索したのだ。が、ファンからは大ブーイングで、負の神話を築いた。

(TEXT/片岡英明)

■ホンダ シビック(1972年初登場・現在11代目)

●こんなクルマ……マスキー法を世界ではじめてクリアした初代から歴史が始まるシビック。3代目からは走りのよさでも人気を集めたホンダを代表するモデル

5代目ホンダ シビックの4ドアセダンは「シビックフェリオ」のサブネームで登場

●5代目

 アコードとともにホンダの屋台骨を支えているシビックは、1980年代まで3ドアハッチバックのイメージが強かった。4ドアセダンはデザインが貧相だったこともあり、販売は低迷して目立たない。このイメージを覆したのが、1991年秋に登場した5代目だ。

 セダンには「フェリオ」のサブネームを与え、エクステリアもハイデッキの力強いデザインになる。自慢のVTECエンジンは、高性能追求型に加え、燃費に振った仕様も投入したからファン層は大きく広がり、販売も急上昇。

●8代目

 これと逆なのが2005年に登場した8代目だ。7代目の5ドアは優れたパッケージだったが、フィットに人気をさらわれ、ズッコケた。そこで8代目はセダンだけに絞って勝負に出たのである。

 上質なハイブリッド車や高性能なタイプRを設定するなど、意欲は見られたが、販売は失速。2010年に生産を打ち切り、一時的に日本のファンの前から姿を消していったのだ。

(TEXT/片岡英明)

■ホンダ オデッセイ(1994年初登場・5代終了 ※2021年日本で販売終了)

●こんなクルマ……初代が全高の低い多人数乗用車というコンセプトで大ヒット。ミニバンブームの火つけ役となり、3代目もさらなる低全高化で人気を集めた

4代目ホンダ オデッセイ。2008年に登場するも存在感は低下

 4代目オデッセイは人気の高かった3代目にあやかり、低全高、低床のキープコンセプトで登場した。エクステリアも似たデザインで、ドアは初代から4枚のヒンジ式ドアを受け継いでいる。立体駐車場を使える全高だし、走りもスポーティな味わいだ。

 だが、Lクラスの主流は、背が高くて押しが強く、使い勝手がいいスライドドアを採用したミニバンに移っていた。エンジンの電動化でも後れをとったので販売は低調に終わっている。そこで2013年に登場した5代目オデッセイはドライバーズミニバンからの脱却を図り、宗旨替えした。

 全高を高くするとともに後席用ドアをスライド式にして快適性と乗降性を向上させたのである。2016年には待望のハイブリッド車も投入する。が、決断はちょっと遅かった。

(TEXT/片岡英明)

■三菱 ギャラン(1969年初登場・10代終了 ※日本では2015年 9代で販売終了)

●こんなクルマ……コルトとは別の新しいセダンとして初代コルトギャランが誕生。1970年にはギャランGTOも登場。3代目〜5代目は「Σ」のサブネームが付いた

1987年登場の4代目三菱 ギャランは4WDなどを採用

 5代目からギャランはFFファミリーカーに生まれ変わり、ボディの軽量化を実現するとともに広いキャビンスペースも実現した。シグマを名乗っていることもあり、上級志向が強く、途中でV型6気筒エンジンも追加している。

 1987年秋にシグマを切り離した6代目ギャランを送り出した。リーダーのVR-4は新設計のDOHCターボエンジンや4輪操舵の4WS、革新的な4WDシステムなどのテクノロジーを積極的に採用し、痛快な走りを実現している。ランエボの礎となり、新たなファンの獲得に成功。イメージアップも果たした。

 7代目は背伸びして3ナンバー枠に全幅を広げ、再びV6エンジンを主役の座に就けている。ラグジュアリー度は高かったが、反発したファンから信頼を失った。

(TEXT/片岡英明)

■三菱 ランサーエボリューション(1992年初登場・13モデル終了 ※2015年消滅)

●こんなクルマ……ランエボの名で親しまれているランサーエボリューションは世界最高峰の2Lターボ+4WDを、ホモロゲの関係で毎年のように走りを進化させた

三菱 ランサーエボリューション。第二世代エボとして登場したエボIVはシャープなデザインも人気だったが、左右輪の駆動力を制御するAYCを初搭載したのが最大のトピック

●エボIV

 ランエボが第2世代にバトンタッチするのは1996年だ。ランエボIVはデザインを一新し、4G63型DOHCターボは、ついに自主規制上限の280psに到達。4WDシステムは今につながるAYCを初採用した。

●エボV

 それから2年後の1998年、全幅を1770mmまで広げたワイドボディのランエボVを限定発売している。トレッドが広がり、4WDシステムも熟成されたので、チョーの付く意のままの走りを披露した。この年、WRCで念願のマニファクチャラーズタイトルを獲得し、当初の目的も達成。

●エボVII

 2001年にはセディアをベースにしたランエボVIIに進化させ、初めてACDを導入する。路面に関わらず異次元の走りを見せる4WDへと成長を遂げていったのだ。

 シリーズ最後となるエボXは惜しまれつつ2015年に消滅。

(TEXT/片岡英明)

■スバル インプレッサWRX STI(1994年初登場・9モデル ※WRX1代含む)

●こんなクルマ……インプレッサWRXをベースに、パフォーマンスと速い走りを極めたのがSTIで、ランエボとは宿敵関係にあり、毎年のように超絶進化させた

スバル インプレッサWRX STI。「バージョンIII」からカタログモデルとなり販売も激増。世界一安いコンペティションだった

●バージョンIII

 最初はSTIがチューニングした持ち込み車検の限定車として送り出されていたが、大きく変わるのは1996年で、バージョンIIIからスバルのカタログモデルとなり、改造車検を取る必要がなくなった。

●バージョンIV

 1997年1月、リトナをベースにWRカーと同じ2ドアクーペを投入。搭載するのは、EJ20型水平対向4気筒DOHCターボで人気となった。

●3代目

 2007年には3代目インプレッサWRXのリーダーとしてSTIを設定し、初の5ドアボディを採用。厚みを増したワイドフェンダーが大迫力。

●WRX初代

 2014年に登場の4代目ではインプレッサからの独立を宣言。車名もインプレッサが外れWRX STIとなった。

(TEXT/片岡英明)

■ホンダ アコード(1976年初登場・現在10代目)

●こんなクルマ……シビックの兄貴分で、シビック同様にセダン&ハッチバックを設定。ちょっとおしゃれな大衆車というキャラクターでデビューから支持された

リトラクタブルヘッドライトで人気だった3代目ホンダ アコード

 3代目アコードはセダンとしては珍しいリトラクタブルヘッドライト、DOHCエンジンとなるB型エンジンの搭載、四輪ダブルウィッシュボーンの採用など、ホンダらしいモデルだった。

 さらに当時の日本車とはひと味違ったしなやかな乗り味も好評だったのに加え、ボディも3ドアのエアロデッキ、USクーペと豊富だったこともあり、日本でも成功を収めた。

 日本向けアコードは1993年登場の5代目が3ナンバー幅、1997年登場の6代目で5ナンバー幅、2002年登場の7代目以降3ナンバー幅となっている。

 欧州仕様をベースとした7代目はスポーツモデルのユーロRを含め全体的に質感の高いモデルだったのだが、セダン需要の減少に加え、ワゴンも3代目オデッセイとのバッティングもあり伸び悩み、日本でのアコード低迷の始まりとなった。

(TEXT/永田恵一)

■スバル レガシィ(1994年初登場・現在7代目 ※日本では2020年6代で終了)

●こんなクルマ……併売されていたが、実質的にレオーネの後継モデル。日本にステーションワゴンブームを巻き起こし、当時経営難だったスバルの救世主となった

3代目スバル レガシィ。ワゴンに加えセダンのB4も大人気

 レガシィは初代、2代目ともにワゴンが大人気だった。逆に言えばセダンの存在感が薄かったのだが、5ナンバー幅のまま正常進化した3代目でセダンはワゴンから若干遅れてB4のサブネームを持ち登場。

 3代目レガシィはワゴン人気をそのままに、セダンもスポーツセダンというキャラクターを強めただけでなく、価格がリーズナブルだったのもあり、レガシィの柱に成長。

 4代目レガシィはBMW3シリーズのようなプレミアムカーを目指したモデルだったこともあり、日本では人気。だが、スバルのメインマーケットとなる北米では室内の狭さにより低迷。

 そのため5代目は北米を意識し、ボディサイズを拡大したことにより、日本でのレガシィ人気は終焉。しかし、5代目が北米でヒットした功績はスバルにとって多大だったのも事実だ。

(TEXT/永田恵一)

■マツダ ファミリア(1963年初登場・11代終了 ※2004年消滅)

●こんなクルマ……マツダの最量販ベーシックコンパクトで、トヨタ カローラ、日産 サニーという当時の巨星に果敢に挑んだ。海外では323として販売され人気

5代目マツダ ファミリア。赤いファミリアが若者に大人気!

 ファミリアは1980年登場の5代目でFFに移行。5代目ファミリアは初代ゴルフを手本にしたところがあり、このことも幸いし全体的に完成度が高かった。

 なかでも特に赤い3ドアハッチバックのラウンジシート付きが人気で、陸サーファーと呼ばれる人々が現われたほどだった。結果、5代目ファミリアは当時ピンチだったマツダを初代RX-7とともに救う存在となった。

 ファミリアは5代目以降も6代目の4WDターボ、スタイリッシュなアスティナもあった7代目も魅力のあるモデルだった。

 しかし、1994年登場の8代目はマツダが低迷し始めた時期だったのに加え、世の中も低価格化が悪い意味でのトレンドだったこともあり、前期型に3ドアクーペ的なNEOがあったことしか印象はなく、ファミリア低迷の始まりとなった。

(TEXT/永田恵一)

■日産 フェアレディZ(1969年初登場・現在7代目)

●こんなクルマ……日産を代表するスポーツカーであると同時に日本の宝。美しさ、高性能に加えて安価なのも人気の要因

3代目日産 フェアレディZ。V6と直6を同時設定するなど迷走

 1983年登場の3代目Zは軟派な方向となった2代目から、3L、V6ターボの搭載など硬派な方向のキャラとなった。3代目Zはサスペンションなど車体が動力性能に追いついていないところや、直6エンジンの追加など迷走感もあったが、1989年登場の4代目での高性能化の序章も感じさせてくれた。

 その4代目だった2000年に一度絶版となるものの、2002年に5代目として復活。「日産のシンボル、日産リバイバルプランの目玉」という役割もあった5代目Zはクルマ自体の魅力に加え、汎用性の高いFMプラットフォームの採用による低価格もあり大成功し、Z継続に多大な貢献を残した。

(TEXT/永田恵一)

■日産 シーマ(1988年初登場・現在5代目 ※2022年消滅予定)

●こんなクルマ……セドリック/グロリアの高級版として登場するや否やシーマ現象を巻き起こすほどの人気となった

2代目日産 シーマ。高級感は増したが、人気は凋落した

 2代目シーマは、初代シーマの役割はY32型セドグロのターボ車に移行した面があったのもあり、「クラウンマジェスタ的なポジションで、英国風な内外装を持つラージセダン」となった。このコンセプトは一般的なユーザーにはわかりにくかったようで、シーマの存在感は一気に薄れてしまった。

 3代目シーマが2代目から一番変わった点は、インフィニティQ45の絶版により海外も含めシーマが日産のフラッグシップとなったことである。3代目シーマ自体は「ポリシーが薄いモデル」というのが率直なところだが、3代目はシーマらしさを取り戻した4代目へのつなぎ役として重要。

(TEXT/永田恵一)

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