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歴代モデルで検証!! 新型にも「クラウンの魂」は受け継がれるのか?

 2022年7月15日、いよいよワールドプレミアを迎える新型クラウン!! これまでとコンセプトを大きく変えて、セダンを超えたセダンプラスとしての登場となり、大径ホイールのSUVテイストが盛り込まれる。

 そこでこれまでの歴代クラウンのコンセプトを振り返り、新型はクラウンとしてのコンセプトをきちんと受け継いでいるのかを検証したい!

文/小林敦志、写真/TOYOTA、ベストカー編集部

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■新型登場を前に「クラウンの歴史」を振り返る

2022年7月に登場予定の新型クラウン(画像は編集部が作成した予想CG)

 間もなく新型クラウンがデビューするとのことで、ネットメディアがここ最近おおいに賑わっている。SUVやミニバンに人気を奪われ、日本国内においてラインナップされる日本車のセダンはごくわずか(海外はそこそこ多く存在する)。

 そのような“セダン受難の時代”にあっても、新型が出るとなると話題騒然状態(かなり大胆に変わるという情報もあるから?)になるクラウンというクルマはやはりその存在感はハンパではないと思える。

 初代クラウンは1955年1月に、日本初の純国産乗用車としてデビューしている。いまでは“壊れにくい”、“燃費がいい”など、その優秀性はまさに日本車の“世界共通認識”となっているが、当時はまだまだイギリスなど海外メーカーから自動車の開発や製造技術を学んでいる状況であった。

 日産はオースチン(イギリス)、いすゞがヒルマン(イギリス)、日野がルノー(フランス)と提携し日本国内で各ブランドのモデルをノックダウン生産していた。しかしトヨタは海外メーカーとの技術提携をせずに、純国産乗用車の自主開発を進め初代クラウンを開発したのである。

 当時自動車はまさに“高嶺の花”であり、自動車を所有し頻繁に乗ることができるのは、政治家や企業の社長、資産家などかなり限られており、しかも乗用車ではアメリカをはじめ海外ブランドモデルばかりであった。

 初代クラウンはこのような層をターゲットにするとともに、“日本のタクシーを純国産乗用車にしたい”といった願いもあったと聞く。

  当時タクシーとして使われていた車両として日野ルノーが有名だったが、これも日野がノックダウン生産している海外ブランド車ということで、海外ブランド車が目立っていた。

 日本車がなかったというわけではない。例えばトヨタでも“トヨペット スーパー”というタクシー向けのセダンをラインナップしていたが、このモデルはトラックシャシーにセダンボディを架装したといった表現が似合うモデルであった。

 一方で初代クラウンは乗用車専用設計ということで、乗り心地なども重視して開発された。

 しかし、当時のタクシー業界から「耐久性は大丈夫なのか?」など、トラックベースではないことでの不安の声が出た場合の対策といってもいいが、トヨペット スーパーの後継モデルとして“トヨペット マスター”が初代クラウンと同時発売となっていた。

 ただ、想像していたほどタクシー業界からの不安の声もなく、初代クラウンがタクシーとして順調に使われていったこともあり、1956年11月にマスターは生産終了となっている。

 初代以降9代目までセダンをベースとした営業車両(タクシー)がラインナップされていた。歴代モデルを通じてタクシー車両として耐久性などの実用性を追求してきたことも、クラウンが初代デビューから67年を経てもラインナップされ続けてきた大きな一因になっているものと筆者は考える。

 ちなみに初代クラウンといえば、リアドアが逆ヒンジタイプになっていることから、前後ドアを同時に開くと、“観音開き”になることが有名。

 1964年に1回目の東京オリンピックが開催されるころからタクシーの“自動ドア”は本格普及しており、初代クラウンがデビューしていたころには、文字通り“助手席”に助手が乗り、お客が乗り降りする時には助手がドアの開け閉めをしていたとのこと。

 そのため、逆ヒンジ式ドアは助手の開閉操作をさらに効率的に行うために採用されたともいわれている。

■国産高級乗用車の象徴

当時のアメリカ車のトレンドを盛り込んだ2代目クラウン

 1962年に2代目がデビューしている。当時はアメリカ車が世界の最新トレンドを担っており、2代目クラウンも当時のアメリカ車の最新トレンドであった、“フラットデッキ(フロントからリアまでフラットな構成になっていること)”を採用。ヘッドライトも当時の高級車の証であった“4灯式ヘッドライト”が採用されている。

 2代目はデビュー当初こそ直列4気筒のみのラインナップであったが、1965年の自動車輸入自由化を見据え、1965年に直列6気筒エンジンが追加されている。日産セドリックやプリンス グロリアも同様に直列6気筒を設定した。

 また2代目クラウンをベースに3ナンバーワイドボディ化し、V型8気筒エンジンを搭載した“クラウン エイト”もラインナップした(グロリアではグランド グロリア、セドリックではスペシャルが3ナンバー車として用意されている)。

 おもにアメリカ車となるが、自由化により価格競争力を持った輸入車が日本国内に多く出回ることを強く意識したモデルへと2代目は変わっていった。

 1967年9月に3代目がデビューしている。

 “日本の美”をテーマに開発された3代目は、それまでクラウンクラスの各モデルは黒塗りの社用車やハイヤーなどのイメージが強かったので、“白いクラウン”というキャンペーンを展開、さらに“オーナーデラックス”というグレードを設定するなど、パーソナルユース色を強めた販売促進を行っていた。

 さらにシリーズ初となる2ドアハードトップもラインナップさせている。

 日本の美をテーマに開発された3代目だが、マイナーチェンジでセダンは当時のアメリカ車で流行っていた直線基調を強調した顔つきへ大胆に変更されている。この大胆なマイナーチェンジに至った背景ははっきりしないがオーナーカーを意識しすぎた“揺り戻し”だったのかもしれない。

 先進的かつ個性的な形状とされるスピンドルシェイプを採用した4代目は1971年2月にデビューしている。全体に丸みを帯びたそのデザインから“クジラ”との愛称がつけられ今日に至っている。

 当時幼稚園児だった筆者ですら、その特異なエクステリアに驚いたことを記憶しているのだから、ハイヤーやタクシーなどとして使う法人はもとより、個人オーナーからも理解されないことが多く、販売ではかなり苦労したとのことである。

 1973年にマイナーチェンジを実施し、応急処置的とでもいうべき改良を施したが、その“クジラ”スタイルは大きく変わることはなかった。

 4代目を反面教師にしたかのような正統派保守的なスタイルを採用した5代目は1974年10月にデビュー。5代目にして初めて4ドアハードトップがラインナップされた。

 日産セドリック(3代目から)&グロリア(4代目から)も4ドアハードトップをラインナップしているが、日産勢がセンターピラーを持たない“ピラーレスハードトップ”なのに対し、クラウンはセンターピラーを持つ“ピラードハードトップ”を採用していた。

 1979年9月に6代目がデビューしているが、1979年6月に“430型”となる日産セドリック(5代目)と同日産グロリア(6代目)が一足先にデビューしており、後にターボ仕様の追加もクラウンは先を越されるなど、販売面は別としてもその存在感では430型セドリック&グロリアに譲る日々を過ごしていたと筆者は当時受け止めていた。

 1983年8月にデビューした7代目の中盤あたりから日本経済は“バブル景気”の真っただ中に入っていく。7代目ではリアピラーに“クリスタルピラー”という、光沢のある樹脂カバーを配すなど、ゴージャス路線を突き進んでいった。“いつかはクラウン”というキャッチコピーが使われたのもこの7代目である。

■他社高級乗用車との競合

バブル時代の「シーマ現象」真っ最中に登場した8代目クラウン

 7代目をさらにブラッシュアップさせたかのような高質感を持った8代目は1987年9月にデビューしている。

 世の中はまさにバブル経済絶好調期、実車を見ずに企業経営者などから「最上級グレードにフルオプションで持ってこい」と受注がバンバン入っていたのだが、それに輪をかけるように、同時期に登場したV8エンジンを搭載した、3ナンバー専用ボディを採用する日産シーマが、バブル経済の波にも乗って“シーマ現象”と世間でいわれるほど大ヒットする。

 デビュー当初は3L直6までしかなかった8代目は1989年に初代セルシオにも搭載した、4LV8エンジン搭載車を追加したのだが、シーマ現象を抑えることはできなかった。トヨタとしてはシーマ現象の仇は初代セルシオで“倍返し”することとなった。

 9代目からハードトップ系は3ナンバー専用ワイドボディとなり、さらに上級シリーズとなる“クラウンマジェスタ”が用意され、1991年10月に登場している。セダンは8代目を大幅改良してしばらく継続生産していた。そして1995年12月にモデルチェンジを行い、セダンとハードトップは別々に設定されるようになった。

 9代目4ドアハードトップは“くじらクラウンの再来”と呼ばれるほど、そのエクステリアには賛否がわかれた。全体に丸みを帯びたスタイリング、とくにリアまわりを“クラウンらしくない”とする声が目立っていたのである。1993年に行われたマイナーチェンジでは、“マイナーチェンジの範囲を超えている”といわれるほど、リアまわりの大規模改良を行っている。

 ちなみにマジェスタでは新開発モノコックボデーなのに対し、クラウンの4ドアハードトップではペリメーターフレーム採用となっていた

 クラウンセダンが1995年に3ナンバー専用へフルモデルチェンジしたタイミングで、タクシー専用車として、“クラウン コンフォート及びコンフォート”が同時デビューしている。いまでは有名無実化している地域も多いが、小型タクシー車両としてコンフォート、中型タクシー車両としてクラウン コンフォートとなっていた。

 6代目トヨタ マークIIセダン(X80系)をベースとし、リアピラーを立たせて乗降性を高めるなどタクシー専用設計が余すところなく行われた。当時初めてクラウン コンフォートのタクシーに乗った印象は「これはクラウンじゃない」というものであった。

 シートバックはクラウンセダンベースでは居間のソファのように寝ているが、コンフォートシリーズは立ち気味なのが目立った。また車内の静粛性もクラウンセダンベースの車両は圧倒的に静かなのに対し、クラウンコンフォートでは、一般車両並みのレベルであった。

 すっかりコンフォートシリーズにタクシーが入れ替わったころに、“最後の生き残り”のようなクラウンセダンベースのタクシーに乗ったが、コンフォートとは明らかに異なる車内空間に改めて驚くとともに、“ずいぶん贅沢していたんだなあ(クラウンセダンベースのタクシー車)”と考えてしまった。

 クラウンという車名が残っているものの、車両開発ではタクシー車両を意識する必要がクラウンにはなくなったことになる。

 ハードトップシリーズでの11代目は1999年9月にデビューしているが、11代目ではドアサッシを持つセダンスタイルとなった。それまでのセダンはマイナーチェンジして継続ラインナップされたので、2タイプのセダンをクラウンは持つこととなった。

 2003年12月に登場した12代目は11代目に引き続きセダンボディを採用した。“ゼロからのスタート”をテーマに主要パワートレーンを一新したことから“ゼロクラウン”と呼ばれている。

 それまでは、一昔以上前のアメリカ車のように、かなりソフトな足回りで“舟をこぐような”と呼ばれるほど柔らかい乗り心地だったクラウンが、ドイツ車張りに硬い足回りを採用するなどしてユーザー層の若返りを行おうとした意欲作であった。

 ただし、そのころはまだ初代までとはいかなくとも、2代目や3代目からクラウンを乗り継いできたようなオーナーもまだ多く、“足が硬すぎる”といった話も多くあったと聞いており、2008年2月にデビューした13代目では少々“先祖返り”したような乗り心地になっていた。

 昔からの流れを汲むセダンシリーズは2001年8月にコンフォートシリーズをベースとしたモデルが登場し、2017年にJPNタクシーが登場するタイミングでラインナップから消えている。

■代替わりとともに得たものと失ったもの

マイナーチェンジを一度も行わずにモデルチェンジすることになる現行型クラウン

 13代目のキャリーオーバーとして2012年12月に登場した14代目は、王冠をモチーフにしたフロントグリルが賛否を呼んだ。オーナードライバー向けに存在感を示したようなのだが、すでにメインニーズともいえるハイヤーや社用車、個人タクシーとして使うには少々目立ちすぎるという声が多かった。

 そして現行15代目は2018年6月に登場した。シリーズでは類を見ない、1度もマイナーチェンジを行わずに次世代モデルへバトンタッチすることとなる。一部改良でインパネを大幅変更するなど、販売台数ではいまひとつだったものの話題には事欠かなかったことになる。

 ファストバックスタイルを採用し、走行性能も相当進化したとされたが、実際に乗ってみると“これでクラウン?”というものを感じてしまった。足回りの硬さなどは個人の好き嫌いはあるだろうが、とにかく運転していると“うるさい”のである。

 クラウンというクルマは、代々乗り継いでいるオーナーからすると、「某他メーカー同クラスモデルに乗り換えたら、燃料タンク内のガソリンがポタポタいう音が聞こえた」というぐらい(本当なのか?)静粛性への高いこだわりのなか歴代モデルは開発されてきた。

 “キャラ変”云々の前に、代を重ねるごとに失ってしまったものが大きかったのではないかとも感じている。

 アメリカンブランドでは、GM(ゼネラルモーターズ)や、ステランティスのクライスラー系ブランドではいまもOHVの大排気量V8エンジンを搭載するモデルがある。そして、新しくエンジニアとして入社すると、“アメリカンV8 OHVとは何ぞや”というものが先輩から伝承されるとのこと。

 何を受け継いできたかを知り、それを新しい、例えばBEV(バッテリー電気自動車)などで世界観を実現すれば、「やっぱりアメ車だ」となるのだが、日系ブランドはどうもその辺りが苦手なようにも見える。進化するのは構わないが、“クラウンとしてはずしてはいけないもの”があったはずではないかと考える。

 歴代モデルを駆け足で見てきたが、まずターニングポイントとしては“タクシー車両”との決別がある。東京などでは4年間で50万kmあたりまでタクシー車両は走行するといわれている。そのタクシー需要のなかで培われた耐久性能の高さはまさにクラウンの“宝”ともされた。

 また、筆者などはドイツへ出張に行き空港から市内までメルセデスベンツのタクシーに乗っただけで、“なんかドイツってすごい”と思ってしまう。日本でも自動車が庶民からは遠い存在のころでも、クラウンのタクシーに乗れたことは大きいし、それがそれほどクルマに興味のない人でも“クラウン=高級車”というイメージを根づかせてきたとも考える。

 しかし、コンフォート系にタクシー車両を分けてからすでに30年近く、コンフォート自体がなくなってからも5年が経とうとしている。トヨタが次期型でも重視している若い世代ほどクラウンというネーミングへの愛着も何もない。

 そういう意味では過去を全否定してもよいかもしれないが、まだまだ“いつかはクラウン”時代を知っている人も新車を購入する“お客”としては存在している。

 キャデラックは確かに大昔とはまったく異なるものとなったが、XT5(SUV)あたりのミドルモデルを運転すると、V8ではなくV6エンジン搭載とはなるものの、「ああ、キャデラックだなあ」という世界観を感じることができる。

 長い歴史のあるモデルだけに、最新モデルでもその歴史の一片を体験できるようなクルマ造りが大切だと思うが、果たして次期型クラウンでは“やっぱりクラウンだな”という部分はあるのだろうか。

 またクラウンは“失敗のないクルマ”のようにも見えるが、4代目くじらクラウンをはじめ、3代目や9代目あたりもマイナーチェンジで“大改良”を実施している。また、モデルの問題ではないが、バブル期にはシーマ現象にも悩まされている。歴史が長いだけに、車両開発には相当苦労が重なることにもなるだろう。

 最後に気になるのは次期型がさらにパーソナルユースを強めた場合、社用車やハイヤーなど、トラディショナルな需要をフォローするモデルは日本車からはなくなることになる。

 自動車だけではなく、今の日本では“作れないもの”が多くなっていると聞くが、トラディショナルな4ドアセダンは今後日本国内ではメルセデスベンツやBMWなどの外資に取って代わられることになるのだろうか?

 まあ、セダンにこだわらなければ、日本にはランドクルーザー300やアルファードがあるから心配することはないのかもしれない。

 街なかでの次期クラウンに対する反応が聞けた。

 まずは販売現場であるトヨタ系ディーラー「クラウンがモデルチェンジすると聞いてご興味を示しておられたお客様がいらっしゃいました。しかし、次期型のご案内をすると、『これならいらない』と購入を諦められました」とはセールスマン。

 さらに、街なかでクルマ好きとも思える男性の集団の“クルマ談議”に耳を傾けると、「今度のクラウンって本当にあんな風になるのかなあ(ネットニュースなどの予想イラストのこと)」と切り出すと、「ハイヤーやパトカーとしてはまず使えないが、どうするんだろ?」などとクラウンネタで盛り上がっていた。

 クラウンに限らず最近のトヨタ車はそのエクステリアに対し不安の声をよく聞く「『これ大丈夫なのかな』と最初は思うことが多いです。次期シエンタも少々不安ですが、そのうち慣れていくんですよね」とは前出セールスマン。

 トヨタは国内販売で圧倒的な販売シェアを持っているので、デビューして販売活動を進め、街なかに多く走りだすと自然に街の風景に溶け込んでいき、デビュー当初の不安が消し飛んでいく。そう話すひとが、それを“トヨタマジック”と呼んでいた。

 次期クラウンもまずは“トヨタマジック”効果が出るほど量販できれば(つまり成功モデルになること)、今言われている“不安”は消しとび、“これぞクラウン”ということになるだろう。

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