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太宰治が愛した果実

 さて、我が自称果樹園には、1本のさくらんぼがある。ホームセンターの隅っこにあった背丈ほどの苗木をクルマに載せて連れ帰り、4、5年もすると見上げるような丈になった。この類は、毛虫など害虫の餌食になりやすいので、大した期待もなかったけれど、結果としては目も舌も喜ばせてくれる最も優等生となった。

雪のように眩い真っ白な花が咲いた

 3月半ば…背丈2mちょっとの樹は真っ白な花で覆われる。それは春の光で眩しいほどだ。隣で枝を伸ばす梅の花は、どちらかといえばしっとりとした白。さくらんぼの輝くような美しさは対照的で、春が少しずつ進んでいることを感じさせる。やがて、花びらが萎み、少し寂しさを覚える頃、その付け根にマッチ棒の先ほどの青い実が顔を見せる。これがさくらんぼの赤ちゃんで、愛らしいことこの上ない。

 大学卒業後、出版社に入る前に2年ほど食品会社に在籍していた。鮪の缶詰を中心にさまざまな食品を扱う企業だったが、その果物缶詰工場が福島にあって、品質管理などに従事したことがある。初夏にはさくらんぼ、その後は桃などの果実缶を製造し、トラックで大量の果実が搬入された。さくらんぼは山形から来ることが多かったが、実が割れやすいので保存が利かず、毎朝その日に生産する量を仕入れるのだった。そうして運び込まれる大量のさくらんぼは、喫茶店のレモンスカッシュで見るような見事な粒。しかし、それがどんなふうに育って、熟してやってくるのかは見たことがなかったから、さくらんぼの赤ちゃんの可愛さは、自分で育ててみるまで知らなかったのである。

花が萎れ、やがて花びらが落ちると、可愛いさくらんぼの赤ちゃんが…

 さて、緑色の小さなさくらんぼは、それはそれは可憐で頼りなく、本当にあの艶やかで甘い果実になるのが俄かには信じられないほどだが、4月の半ば過ぎには親指の爪ほどに育ち、ゴールデンウイークに差し掛かる頃、赤みが広がり始める。スーパーの店頭ならその程度の熟度でパック詰めされたものも売られているが、せっかく育てているのだからもう少し待って、真っ赤な樹上完熟といきたいところだ。…で、ジリジリしながら我慢、我慢(笑)。

 4月の最終週に入ってひとつ摘んで味見をすると、爽やかな甘みが口に広がった。しかし、少し早い気がする。そのままにして家路についた。

少しずつ色づき、膨らんでくる
4月下旬…赤くなってそろそろ甘みも増してくるけれど…

 2日ほど経って、また出かけてみた。あっという間に赤く色づいていて、葉の緑とのコントラストの見事さに目を奪われる。摘んでみた。口に含むと微かな酸味のあとに、濃厚な甘みが舌を支配する。「美味い!」、思わず叫んだ。しかし、樹の1/3ほどはまだ薄い紅色で、全体が熟れてからでもいいような気がした。3日後にはゴールデンウイークがやってくる。家族みんなで収穫しようと決めて、20粒ほどだけザルに納めて帰宅した。

【筆者の紹介】
三浦 修
BXやXMのワゴンを乗り継いで、現在はEクラスのワゴンをパートナーに、晴耕雨読なぐうたら生活。月刊誌編集長を経て、編集執筆や企画で糊口をしのぐ典型的活字中毒者。

【ひねもすのたりワゴン生活】
旅、キャンプ、釣り、果樹園…相棒のステーションワゴンとのんびり暮らすあれやこれやを綴ったエッセイ。