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第七章 明日への忍従天宝四載(七四五年)十月十三日、玄宗皇帝は親族や重臣たちを従えて驪山(りざん)の温泉宮(後の華清宮)に向かった。毎年十月には温泉宮で保養するのが慣例だが、この年の行幸には特別の意味があった。二ヵ月前に楊太真を貴妃に任じ、晴れて公(おおやけ)の場で披露できるよう…