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終章 二 こんと、梅は、西へ、九州に逃げたと思われる。何故なら豊前(ぶぜん)の西郷家によって、隆兼(たかかね)が妻子に宛てた手紙が今日までのこされたからである。二人が九州でどのように生きたかはつたわっていない。岩国は毛利領に?(の)み込まれた。弘中民部丞(みんぶのじょう)は、隆兼、隆助、全…