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 近年、車中泊が当たり前のように宿泊の手段として通用する。クルマも車中泊することを見越したような装備を採用したものも増えてきており。電気の供給能力を純正搭載するなど、どんどん使いやすくなっている。

 そんなクルマたちのハシリは何か? そうするとこのクルマが浮かんでくる。そんな存在がS-MXだ。

 今回はそんなS-MXについて、どうして失敗してしまったのかを筆者に振り返ってもらう。実は、質実剛健な良車だった!?

文/清水草一
写真/ベストカーweb編集部

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■かつて「走るラブホテル」とあだ名されたクルマがあった

 先般発表された、内閣府の「男女共同参画白書」(令和4年版)には、以下に紹介する衝撃的な数字が並んでいる。日本では、男女とも晩婚化・未婚化が進んでいるが、男女交際そのものが、大きく減少しているのだ。

<現在、配偶者、恋人がいない人の割合>
20代女性/51.4%
20代男性/65.8%

<これまでデートした人数が0人という人の割合>
20代独身女性/25%
30代独身女性/22%

20代独身男性/40%
30代独身男性/34%

 20代男性の3分の2に、パートナーの異性がおらず、しかも4割は、一度もデートすらしたことがないのである。しかも、「したいけどできない」というよりも、「別に無理してしたくない」というケースが、年々増えているようだ。

 そんな現状からは想像もつかないが、今を去ること26年前、ここ日本で、「走るラブホテル」と呼ばれるクルマが誕生した。ホンダS-MXである。それは、若いカップル向けに作られた、新しいデートカーの形だった。

 1990年代前半のホンダは、得意のスポーツモデルの販売不振に苦しんでいた。そんな時、苦し紛れに出した都会派ミニバンの初代オデッセイが大ヒット。それで息を吹き返したホンダは、「クリエイティブ・ムーバー・シリーズ」と題して、ステップワゴン、CR-V 、S-MX、と、立て続けにRVを発売し、どれもヒットさせた。

 ただ、これら4台のなかで、S-MXだけが一代かぎりで消滅の憂き目に遭っている。その理由はさまざま言われているが、「走るラブホテル」のイメージが強調されすぎて、徐々に敬遠されるようになったこともあるだろう。

■質実剛健な造りとデザインだったが…

 S-MXのパッケージングは非常にまっとうだった。ベースとなった初代ステップワゴンの全長を切り詰め、居住性をある程度切り捨てることで、スポーティな走りを実現。デザインはかつての「ステップバン」を髣髴とさせるシンプルな箱型で、そこには機能美があった。

 居住性を切り捨てたと言っても、大人が4人乗るには充分なスペースだったし、それを全長4m弱で実現していたのは、むしろアッパレだった。S-MXは、見方を変えれば、現在のフリードプラス(2列シート仕様)やソリオの祖先である。

写真はS-MX「ローダウン」で、標準グレードに対して15mm車高が下がっていたり、低音域を強調したマフラーが採用されていたりとライトチューニング的な変更がされている

 ところが、当時のS-MXはそのスペースがむしろ「いやらしいもの」のように思われてしまった。なぜならホンダは「これこそカップルに最適な、新しいデートカーです!」という、明確な方向性を打ち出していたからだ。前後ともベンチシートで男女が密着可能。シートをすべて倒してフルフラットにすればベッドに早変わり。

 しかも、後席右にあった小物入れが、ティッシュボックスを置くのに最適なサイズだったことが、決定打となった。S-MXという車名自体、「SEXの文字りだ」と言われた。

■バブル期の風が生み出した良心

 今の若者にこんな話をしても、「カップルがクルマのなかで、本当にそんなことをするんですか?」と、怪訝な顔をするだろう。

 S-MXのターゲットは、主に20代だったが、今思えば、そこに限定しすぎる必要はなかったし、それがS-MXが一代かぎりで消える運命を決めたように思えるが、とにもかくにも、S-MXはそのコンセプトで発進した。

 背景には、1980年代からバブル期にかけての、若者を取り巻く強烈な状況があった。

 1980年代の日本の自動車業界は、デートカーの時代だったと言える。ソアラに始まり、2代目プレリュード、S13シルビアなど、名だたるスポーツクーペが、デートカーとしてもてはやされた。

 当時の若者はこぞってクルマ好きだったし、誰もが速いクルマに憧れていた。その裏には、人類の本能であるスピードへの情熱だけでなく、「周囲に差をつけたい!」という強烈な願望があった。

 男も女も、乗るクルマのランクによって自分たちのランクも決定されるという意識を持っていたから、男は少しでも速い(あるいは速そうなカッコの)クルマを欲しがったし、女は少しでも速そうなクルマに乗っている男を彼氏にしたがった。

 その背景には、バブルへ向けてバクシンする好調な日本経済があった。誰もがもっと豊かになろうと強欲に競い合っていたが、若者にとって、最大の果実は異性。そのためには、いいクルマが必需品だったのだ。

■実在した使い勝手ではあった

 ところが、いいクルマを手に入れて、いい女を乗せることに成功しても、シティホテルもラブホテルも満室だった(本当)。当時は日本中、どこへ行っても大混雑だったのである。よって若者たちは、カーセックスをすることになる。当時、カーセックスはまったく恥ずかしいことではなく、ステイタスですらあった。

 バブル期、夜になると、駒沢公園沿いの駒沢通りにはずらりとデートカーが並び、ほぼすべての車内で男女がいちゃつき、クルマが揺れていた。今では信じられないが、本当の話である。

 これは世界的に見て、突出して異常な現象とは言えない。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年公開)には、カーセックスのシーンが何度か登場するし、宗教の関係でラブホのないイタリアでも、若者たちはこぞってカーセックスに励んでいた。

 当時のイタリアの若者は、「フィアットパンダに、いつも新聞紙とセロテープを積んでおいて、人のいないところにクルマを止めて、窓に新聞紙を貼って事に及んでいた」とのことである。フィアットパンダなら天井が高いからいいが、狭いスポーツクーペのなかで励むのは大変だ。

 ホンダとしては、もう若者にそんな苦労はさせたくない! もっと広々とした空間を提供したい! 若者のスポーツクーペ偏愛が消滅した今ならそれが実現できる! という純粋な思いだったのだろう。

■スイートスポットの狭さが命取りに

 ただし、S-MXは走りもスポーティに振っていた。全高は高いけれど、サスペンションを固めてコーナーではロールが抑えられていたし、出足がよく感じるように、アクセルセッティングもやや過激だった。そのあたりは、「やっぱり若者はスポーティな走りが好きなはず」という、ホンダらしいこだわりだった。

 が、ホンダはあまりにも親切すぎたし、時代の流れも速すぎた。

需要があったとしても、表立ってカーセックスを目的としてクルマを購入するのは抵抗感がある。その辺り、もうちょっとボカした方がみんな買いやすかったかもしれない

 少し前のスポーツカー世代にすれば、ミニバンタイプというだけで「邪道!」だったし、S-MXが登場した1996年は、すでにバブル崩壊から数年を経て、豊かになる競争は終わっていた。若者がガツガツとカーセックスしたがる風潮も、急速に萎みつつあったのだ。

 S-MXが実際に「走るラブホ」として使われた例は、あまり多くはないだろう。それより2代目、3代目プレリュードのほうが、はるかに多かったのではないか。

 つまり、S-MXはあまりにもスイートスポットの狭い、時代のあだ花だった。しかし、そこまで具体的に踏み込んだクルマ作りをしたホンダには、かぎりない敬意を表したい。私は今でも、S-MXのデザインはシンプルで美しかったと思っている。


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