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 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、全日本ツーリングカー選手権(JTC)を戦った『ホンダ・シビック(EF型)』です。

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 全日本ツーリングカー選手権(JTC)は、1985年~1993年までの9シーズン、グループA規定で開催されていた。車両規定からグループAとも通称されるこのシリーズのなかでも、最後までメーカー同士によるコンペティションがあった最小排気量クラスにおいて、1987年~1993年まで製造者部門タイトル7連覇という偉業を成し遂げたのが、『ホンダ・シビック』だった。

 そんなグループAにおけるホンダ・シビックの歴史のなかでも、1988年シーズンの途中から1992年の序盤戦まで使用され、製造者部門タイトル7連覇にもっとも貢献したのがシビック(EF型)、通称“グランドシビック”だった。

 EF型シビックの市販車は1987年9月に登場した。しかし、JTCにおいては同年中まで熟成が極まっていた先代のAT型シビックが継続使用され、シーズン全戦で優勝という快挙を成し遂げて、タイトルを獲得。シビックEF型がJTCに導入されたのは、1988年第2戦のことだった。

 この1988年の第2戦で、無限の走らせる『無限MOTULシビック』がEF型へと切り替えた。続く第3戦で『無限MOTULシビック』は、シーズン初優勝を達成する。無限のシビックEF型が勝利したのは、この1戦だけだったが、この年のドライバーおよび製造者部門のタイトルを獲得した。

 新導入されたEF型シビックは、エンジンこそ先代より継承されたZC型だったが、ボディサイズは拡大された。ボディの大型化はデメリットとなると思われたが、ホイールベースが伸びてトレッドも広がった結果、操縦性がマイルドになるというメリットを享受してポテンシャルがアップする。これが、AT型からEF型に切り替わっても、継続して好成績を収めた要因のひとつだった。

 導入2年目となる翌1989年。この年もEF型シビックは、シリーズ6戦中4勝を挙げる好成績を収めた。内訳は、無限MOTUL CIVICが2勝、PIAA CIVICが1勝、出光 MOTION シビックが1勝となり、シビックユーザーのなかで勝利が分散してしまう。

 このため製造者部門のタイトルは防衛したが、ドライバー部門に関しては、安定した成績を収めたつちやエンジニアリングの走らせるADVAN COROLLA LEVINに奪われてしまった。

 1990年になると、前年に市販車がマイナーチェンジされたことを受けて、1989年シーズンまでのEF3型からEF9型へと主力マシンをチェンジ。このEF9型ではエンジンがZC型からホンダの誇る可変バルブタイミング機構“VTEC”を採用するB16A型へと進化を遂げたことが最大のトピックだった。

 しかし、このVTECを採用したB16A型をもともとZC型エンジン搭載を前提としていたEF型のボディに搭載するのには課題も多く、エンジン搭載位置がZC型よりも前進してしまったことに伴って、ドライブシャフトにトラブルが発生する。当初は、信頼性などの問題からVTECを“効かせず”に戦っていたりもしたが、そのトラブルも徐々に克服していき、1990年と1991年にシリーズ6戦中3勝をマークする。

 1990年についてはまたもADVAN COROLLAにドライバー部門のタイトルを奪われたが、製造者部門については1987年から続く王座を防衛することに成功した。

 こうして、およそ4シーズンに渡り活躍し続けたホンダ・シビック(EF型)、通称“グランドシビック”は、培ってきたノウハウとともに1992年の途中に登場するEG型シビックに主力の座を受け継いでいく。そしてEG型となってもなお、ホンダ・シビックの伝説は続いていくのだった。

1988年に鈴木利男、佐藤浩二のコンビがドライブしたオロナミンCシビック。
1988年に鈴木利男、佐藤浩二のコンビがドライブしたオロナミンCシビック。
1989年のシリーズを戦った佐藤浩二、岡田秀樹組のPIAA CIVIC。写真の仙台ラウンドでは、クラス2位でフィニッシュした。
1989年のシリーズを戦った佐藤浩二、岡田秀樹組のPIAA CIVIC。写真の仙台ラウンドでは、クラス2位でフィニッシュした。
1991年にドライバー部門のタイトルを獲得した中子修、岡田秀樹組の出光MOTION 無限CIVIC。
1991年にドライバー部門のタイトルを獲得した中子修、岡田秀樹組の出光MOTION 無限CIVIC。