2001年9月11日に世界を震撼させた大事件がアメリカ同時多発テロ事件だ。テレビで報道された現場の映像は、とても現実のものとは思えない光景であった。
そのわずか10日後に開催されたWRC(世界ラリー選手権)を北米に本社を持つフォードから出場するマシンが参戦した。
文・写真/佐久間健
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■悲しみの星条旗
2001年シーズンWRC第10戦として開催されたラリー・ニュージーランドは、9月21日から23日という日程での開催であった。
そのわずか10日程前の9月11日、世界的に大きな事件が起こっていた。アメリカ・ニューヨークの貿易センタービルにハイジャックされた航空機が突入し、3000人余りが犠牲になったアメリカ同時多発テロ事件だ。世界中は大きな悲しみに包まれた。
ニュージーランド・ラリーに、フォードチームはワークスカー3台をエントリー。コリン・マクレーとカルロス・サインツはマルティニカラーのフォーカスだったが、3台目に乗るフランソワ・デルクールのフォーカスは白いボデーに星条旗が描かれた特別カラーリングであった。
そしてボンネットとボディサイドには「Remembering Victims & Families September 11 2001(犠牲者とその家族たちを忘れない:2001年9月11日)」の文字が描かれていた。この文章は、マクレーのフォーカスのフロントウィンドウ上部にも書かれている。
このマシンでスタートしたデルクールは、トップとそん色のないタイムで走行していたが、祖中で転倒してしまう。それでもサービスでメカニックの懸命の作業で再スタートを果たし、このラリーを12位で完走した。
優勝はスバルインプレッサに乗るリチャード・バーンズ、マクレーのフォーカスは2位、サインツのはフォーカスは4位とフォードチームは上位でフィニッシュを果たしたのであった。
●解説●
2001年のWRCはまさに戦国時代。日本車ではスバルインプレッサWRCと三菱ランサーエボリューション(エボ6.5)が参戦。トヨタはF1参戦のため、1999年を最後にワークスが撤退した。
日本車の前に立ちふさがったのは、プジョー206WRCとフォードフォーカスWRC。ほかにヒュンダイアクセントWRCやシュコダオクタビアWRC、シトロエンクサラWRCが参戦。
ドライバーチャンピオンとなったのは、スバルのリチャード・バーンズ。マニュファクチャラーはプジョーが獲得した。
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