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<p>こりゃ最高だ…63歳サーファーの目頭を熱くした12年ぶりの海開き – ライブドアニュース</p><p>【感激】こりゃ最高だ…63歳サーファーの目頭を熱くした12年ぶりの海開き 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故を経て、16日に12年ぶりに海開きした福島県楢葉町の岩沢海水浴場。無邪気に歓声を上げる子どもたちの姿を、感慨深そうに見つめる男性がいた。</p><p>東日本大震災と東京電力福島第1原発事故を経て16日に12年ぶりに海開きした福島県楢葉町の岩沢海水浴場。無邪気に歓声を上げる子どもたちの姿を、感慨深そうに見つめる男性がいた。この海がサーフィンに向いている</p><p>ことを40年前に発見し、通い続ける“レジェンドサーファー”の関根乃(おさむ)さん(63)だ。 復興拠点、福島・大熊の中心部で整備開始 帰還と移住、促進へ 海開きのセレモニーが終わると、集まった地元の小学生たちが一斉に海へ走り出した。関根さんは波をかぶって大笑いする子どもの姿を見つめ「こりゃ最高だ……」と目頭を熱くさせていた。「夏の海は子どもであふれ返っているのが自然の光景だよね」と、ほほ笑んだ。 隣接する富岡町の海の近くで生まれ育ち、夏休みには毎日のように海で遊んだ。中学生のころ、波を求めて世界各地のサーフィンポイントを旅する1960年代の米映画「エンドレス・サマー」に衝撃を受けた。19歳で念願のサーフボードを手にし、仲間と福島の海に通った。岩沢の海と出合ったのは80年ごろ。大きな波が安定して来る。「こんな所は他にない」と気に入った。 うわさを聞きつけて各地からサーファーが集まった。海水浴場としても整備され、震災前は毎年約3万人の海水浴客らでにぎわう観光地となった。 「余生はサーフィンざんまいで」と、勤めた会社を早期退職したが、直後に震災と原発事故に襲われた。今は亡き母親と、姉を連れて郡山市や広野町などで避難生活を続けた。今も帰還困難区域内にある富岡町への帰郷は諦め、5年ほど前に楢葉町に家を購入した。 楢葉町は原発事故で警戒区域とされ一時全町避難したが、2012年に自由に出入りできる「避難指示解除準備区域」に再編された。関根さんは再び岩沢の海へと通った。当時はがれきも散らばっていたが、親しんだ海でのサーフィンの楽しさを再確認したという。 12年ぶりにオープンした海水浴場。この海をよく知る関根さんは同じサーフィン仲間と3人で町の委託を受け、ライフガードとして安全を守る役に徹する。【柿沼秀行】</p>