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<p>未来への勇躍か? 苦肉の策か? 新型「クラウン」でトヨタが過去との決別を選んだ理由 – webCG</p><p>未来への勇躍か? 苦肉の策か? 新型「クラウン」でトヨタが過去との決別を選んだ理由</p><p>まさかの4モデル構成。グローバル展開の発表で世間を驚かせた新型「トヨタ・クラウン」。1955年に誕生した伝統の国産高級車は、なぜこのような姿となったのか? トヨタに変革を決断させた世の潮流を振り返りつつ、新型のなかの「クラウンらしさ」を探った。</p><p>1955年の初代モデルから「トヨタ・クラウン」の歴史をたどる映像が流され、暗転すると幕の後ろから豊田章男社長が登場。スティーブ・ジョブズばりにステージを歩き回りながら、歴代モデルと、開発を主導した主査の考え方を紹介した。日本初の純国産乗用車として生まれ、モータリゼーションの先頭に立つ。豊田社長はクラウンが高級車の代名詞となった輝かしい足跡を語った後、バブル崩壊後の苦境についても触れた。“右肩下がり”という表現を使い、クラウンという存在が危機に陥っていることを正直に認めたのだ。 新車発表会なのに、長い時間をかけて15代にわたる歴代モデルを振り返ったことには理由がある。今までと同じことをやっていたのでは未来が開けないことは、トヨタ自身が一番わかっているのだ。過去と決別するために、クラウンとは何だったのかを理解しなければならない。 「徳川幕府の江戸時代も、15代で幕を閉じております。16代目のクラウン。日本の歴史に重ね合わせれば、それは明治維新です」 なんとも壮大な例の言葉をきっかけに幕が上がると、ステージに現れたのは4台の新型クラウン。ちょっとしたサプライズだ。2021年12月に電動化戦略を発表した際も、16台のEVを並べて意表をついた( )。物量で圧倒するのが最近のトヨタの戦術である。ティザー映像では「SEDAN? SUV?」と思わせぶりなキャッチコピーで期待をあおっていたが、実際にはセダンもSUVも、そしてハッチバックもワゴンも、だった。豊田社長は得意満面だ。 セダンが残されたというのが、最大のトピックだろう。2020年11月に中日新聞が「次期クラウンはセダンではなくSUVのような車形に」と報じて以来、さまざまな臆測が飛び交っていた。日産は「シーマ」と「フーガ」の販売を終了するし、欧米でもセダンから撤退する動きが広がっている。乗用車のメインストリームはすでにSUVになっていて、クラウンがSUVになってもおかしくない状況だった。 一時は「セダンをやめ、SUVになる」とうわさされていた新型「クラウン」だが、実際にはセダンを含む4車種のラインナップで登場することとなった。</p>