もっと詳しく
※画像はAmazonより

最近「朝日新聞政治部」(講談社)という著書が出版され、週刊誌の書評などにも好意的にとりあげられています。OB記者による古巣批判本は近年売れなくなっています。多くの日本人にとって、朝日新聞など、どうでもいい存在になりつつあるからでしょう。けれども、本書は久々に、ちょっとしたベストセラーになりつつあります。

冒頭の期待一転、先天性朝日脳

書評を見た限り、記者として絶頂だったころの自分を傲慢病と診断し自己批判がこめられている点と、メディアとしての朝日新聞の信頼性に引導を渡したとも言えそうな「吉田調書」事件の当事者が、初めて書く反論という点が面白いということのようです。

「あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!〈本書「朝日新聞政治部」p16;以下(p16)〉」という、著者の配偶者の言葉で始まる書き出しは衝撃的で、これまでのOB本(名著も多々あるので「凡百」とは言いませんが)とは一線を画すものでした。特に、働き盛りの50そこそこの記者が内部告発をするのは異例で、「フクシマ・フィフティ」ならぬ“サメジマ・フィフティ”に大いに期待しました。

ところが、それに続く第一章の「新聞記者とは?」から、雲行きがおかしくなります。自身の就活で、あるメーカー(書中では実名)から内定をもらい承諾しておきながら心変わりして朝日新聞に入ったという話なのですが、自慢話じみている上に多数の関係者に迷惑をかけたことへの反省がまるでなく、入社前からこれでは先天性朝日脳と呼びたくなります。

以下の章の政治部記者時代の話。簡潔でわかりやすい文体と抑えた筆致(個人的には大いに学ぶべきところがあると思います)が奏でる幾多の大物記者の評伝を読めるのは面白く、近現代史の資料としても貴重な記事なのでしょうが、全体としては一種の武勇伝で、「傲慢罪はどうなったのか」と尋ねたくもなります。まあ、自伝的なドキュメントとは、そういうものなのかも知れません。

新聞協会賞「手抜き除染」は、手抜き記事?

そして、原発事故。著者は「手抜き除染」報道で新聞協会賞を受けます。私は、この受賞を朝日新聞社の株主総会での事業報告で知って、軽い違和感が感じたのを覚えています。「手抜き」の具体例に、屋根や自販機を除染するときに使った高圧洗浄機の水を回収していないというのがありましたが、「この記者もデスクも高圧洗浄機を使ったことはないのだろうな」と思いました。ウェブで洗浄機のカタログを調べる程度のこともしていないようです。

Anastasiia_New /iStock

ご承知の通り、高圧洗浄機というのはこびり付いた汚れを水流で吹き飛ばす装置で、飛び散った水を回収するようには出来ていません。何らかの補助装置を使って無理矢理回収したとしても、今度はその汚染水をどうするのでしょう。福島第一原発跡地にあるアルプスのようなシステムが必要なので(ちなみにここではトリチウムの問題は無視します)、現場から大量の汚染水を持ち帰ることになります。どう考えても現実的な話ではありません。高圧洗浄をやめて普通の流水を使っても、モップがけをしても、効率が格段に落ちる上に、何らかの放射性廃棄物を大量に持ち帰ることに変わりはありません。

はっきり言いましょう。広大な地域全体を除染することなど現実的には不可能です。病原菌や化学物質による汚染と違い、放射性の汚染物は何をどうやっても放射線を出し続けるので、できることは遮蔽したり搬出したりして目的の場所の放射線量を減らすことしかありません。そのため、「手抜き除染」が行われた現場のように、低レベルの放射性物質が散らばってこびり付いている状況で、意味のある除染ができるかどうかには大きな疑問があるのです。

ですから、せっかく「手抜き除染」の実態を掴んだのですから、現場の手抜きのみならず、そもそもこういう場所で除染を想定したり引き受けたりすること自体が茶番でしかないという視点を持てれば、行政やその上にある国の政策自体に批判の目を向けることが出来たはずです。

野球にたとえると、外野手の頭を越えるランニングホームラン級の打撃をしておきながら、あまりに走塁がノロくて二塁打にしてしまったようなものです。しかも、それがMVP(新聞協会賞)選出とは……手抜き記事に手抜き授賞ですか、と言いたくもなります。

さすがに総会の場で、「手抜き記事が新聞協会賞など受けたのでは、日本のジャーナリズムのレベルを下げてしまう。今からでも遅くは無い。辞退しなさい」と叫ぶほど、親切でも、凶暴でも、暇でもありませんでしたので、ひとりしらけてブツブツと毒づいていました。もしかしたら、ここで一騒動おこして、それが鮫島氏に伝わっていたら、その後の「吉田調書」事件の展開は変わっていたかも知れませんが、もちろんそんなことは、そのときには知る由もありませんでした。

吉田調書、一報からまずいと思ったワケ

さて、いよいよ「吉田調書」事件です。当時、第一報を紙面で見たとき、「これは何かマズいぞ」と本能的に思いました。記事前文にある「東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた(p216)」というのが、あまりにも異様だからです。

水蒸気爆発が起きた福島第一原発3号機(2011年3月16日、東電撮影、環境省サイト)

15日朝と言えば、水蒸気爆発が次々とおこり危機が一気に拡大した瞬間で、「命あっての物種」とばかり、職場放棄をして逃げ出す所員がいたとしても仕方の無い状況です。ただしそれなら、逃げ出した所員は家族の待つ自宅や恋人の家などに、とにかく向かうはずです。また、福島に思い入れがないのなら、奥羽山脈を越えて日本海側を目指すか、ひとまず東京まで逃げてさらに西に向かうなど、一目散に逃亡するはずです。

なにしろ、吉田所長自身が「東日本壊滅」などとイメージする事態なのですから、わずか10キロしか離れていない福島第二原子力発電所(以下;2F)に「撤退」して安心している場合ではありません。しかも、「命令違反」がばれたとき、捕まって1Fに連れ戻される危険性が一番高そうな場所です。

唯一、彼らが2Fに向かう可能性があるとすると、「怖いから逃げたいけど、事態が沈静化した場合にクビになるのもいやだな」という、引き返す余地を残しながら逃げたいという社員です。しかし、650人全員が偶然に同じことを考え、中途半端な判断をしたのでしょうか。

「おっ、君も日和見か」「奇遇ですねえ。マネージャーもですか」「定年退職半年前の懲戒解雇はγ線より怖いからな」などという会話が、あちこちでささやかれていたのでしょうか。ちなみに、本書にある「待機命令に気づかずに第二原発へ向かった所員(p218)」など、さらにシュールです。「えっ、課長。朝礼には出ておられないのに、なんで2Fに来られたのですか」「ああ、それか。急に夕焼け空が見たくなってな。どうだ、一緒に海に向かって叫ぼうじゃないか」「いいですね」「3、2、1、菅直人のバカヤロー!!!」

何らかの組織的な命令か指示、最低でも申し合わせでもないと、650人が一斉に同じ場所に向かうことなどあり得ないのです。第一、会社のバスが動きません。

さらに、2Fに無事着いたとして、いくら東電社員とはいえ相手は原子力発電所です。突然現れた650人の大集団が、どうやって構内に入れてもらうのでしょう。「ボクたち1Fのスタッフでーす。吉田所長のブラック命令にはついて行けませーん。今日から2Fで働かせてください」「待っていたぞ。さっそくだが、除染でもしてくれ」(ジブリあたりのアニメに出てきそうな話ですが)

吉田調書を読んでみると…

何をバカな話を延々としているのだと言われそうですが、指揮命令系統から離脱した数百人の職員が全員2Fに逃げ込むなど、よほど荒唐無稽なシナリオを妄想しない限りあり得ないことなのです。ですから、最初の「スクープ記事」を見たときから、これはただでは済まないという印象がありました。その後の修羅場にはあまり興味はなかったのですが、今回、この記事を書くにあたり、本書「朝日新聞政治部」と「吉田調書」本文を読み比べてみて、この懸念が的中していたということを思い知らされました。

まずはちゃんと吉田調書を読みましょう。

ハフポストが公開している吉田調書本文によれば、最初に退避を計画したのは吉田社長本人でした。ただし、発令段階では、「2Fに退避」というアイデアを思いつかず、「私(所長)は、福島第一の近辺で所内に関わらず、線量の低いようなととろに一回退避して次の指示を待て〈吉田調書(2011.8.8-9、1-4p56以下〔56〕などと表記〉」などと、行き先については抽象的で曖昧な命令を出してしまったわけです。

「1F周辺の線量の低いところで、例えば、バスならバスの中で〔56〕」というようなことが、所長の頭にはあったようなのですが、「みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避して(いたら)死んでしまう〔57〕」ような状況だったので、「伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです〔56〕」、現場から連絡を受けて「よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけで〔57〕」、2Fへの退避を事後承諾しました(以上、出来るだけ吉田調書の言葉を使って事実関係を再構成しました)。

つまり、所長が出したやや曖昧でそのままでは不適切な指示を、直属の部下が忖度することで補正して実行し始め、数分後(1Fから2Fに向かう途中)に吉田社長に報告し、事後承諾を得たという話なのです。形式的かつ瞬間的には「命令違反」と言えなくもないのでしょうが、緊急性の高い仕事を所長が抱えている状況での部下の対応としては、非難されるべきことではなく実害もありませんでした。

最初の指示の曖昧さに問題があるとしても、鮫島流で言えば小さな小さな「小さなほころび」のさらに一歩手前ぐらいの話で、わけなくそれをカバーした部下たちは、むしろ賞賛に価すると言えます。敵前逃亡扱いされるなんて、とんでもない話です。