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<p>リヴァー・フェニックスという伝説。</p><p>リヴァーは亡くなった同年、「あと1作映画に出れば、一番下の妹の大学費用が捻出できるんだ」と語っていたという。</p><p>リヴァー・フェニックスが23歳の若さでこの世を去ってから30年近くになる。スティーヴン・キング原作の青春映画『スタンド・バイ・ミー』(1986)やキアヌ・リーブスと再共演したロードムービー『マイ・プライベート・アイダホ』(1991)などの代表作とともに、彼は未だにハリウッドの伝説として愛され続けている。一体、リヴァーとは何者だったのか?</p><p>By ERI KATAOKA しかし、リヴァーに関してはもう少し複雑で、「神の子供たち」で受けた性的虐待行為も彼のヴィーガン選択に大きく影響しているという見方をする人も多い。それは彼がヴィーガンに関して「ニューヨーク・タイムズ」紙に語った「あらゆる肉は殺戮によってもたらされているんだと十分に理解できる年齢に達したとき、僕はその行為を弱きを支配し、骨抜きにしようとする人間の愚かな方法だと感じたんだ。学校でいじめっ子たちが小さい子たちを支配する様子とそっくりだなって」という言葉のためだ。あまりに幼く、抵抗することもできずに教団の大人たちのなすがままに肉体を支配された少年は、自分と同じ経験はさせたくないと、弱い立場のすべての生物を守ろうとしていたのだろう。 1989年、マーサ・プリンプトンとアカデミー賞のノミニーズ・ランチョンにて。Photo: Ron Galella Collection via Getty Images 有名な話に15歳の頃の交際相手だったマーサ・プリンプトンが、レストランでソフトシェル・クラブを頼んだところ、彼は涙しながらレストランを出てしまったというものがある。そんなリヴァーだが「The River Phoenix Gallery」によると、日本が大好きだったリヴァーは、幻の遺作となった『ダーク・ブラッド』(2013)の現場で日本メディアの取材に対し「早く日本を再訪して大好きなレストラン『モミノキハウス』で食事をしたい」と語ったそうだ。ナスのトマト焼きと、ナスの生姜焼きがお気に入りメニューだったという。 ノンケミライフから一転、ドラッグ浸りの生活に。 『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』(1990)より。Photo: TriStar Pictures/Everett Collection/amanaimages Most Popular</p>