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源頼家が暗殺された翌1205年春、畠山重忠の乱が起こりました。畠山重忠は「坂東武士の鑑」といわれました。怪力かつ勇猛でありながら、実直かつ情に厚い。畠山の謀反の疑いから、無念の最期を迎えることになります。大迫秀樹氏が著書『「鎌倉殿」登場! 源頼朝と北条義時たち13人』(日本能率協会マネジメントセンター)で解説します。