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※画像はAmazonより

さて、この吉田所長の命令から2F(福島第二原発)への退避への流れを、鮫島記者たちはどう報じたのでしょうか。

「すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機(p212)」を命令したとなどなっています。しかし、上記の命令は吉田調書には出てきません。A4版400ページ、ハフィントンポスト掲載の原文を目視確認し、念のために「戻れる」や「構内」で検索しましたが、該当しそうな命令はありませんでした。また、朝日新聞自身の訂正後の記事や、他紙の特集にも、吉田調書にそのような命令や指示は出てきません。

誤報以外考えられない理由

吉田調書の内容とは別に、前日から水蒸気爆発が続き構内の放射線量が上がっている状況で、少しでも所員の被曝を減らそうとしていた吉田所長が、「構内に待機」などと言うはずがないのです。また、バスを準備していたこととも矛盾します。

よって、どう考えても「すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機」というのは、鮫島グループによる「吉田調書」の誤読以外に考えられないのです。誤報と呼ばれることに文句があるなら、この部分にきちんと反論しなければ何を言っても無意味です。

「別の独自取材から」などと、今になって言い出すといけませんので、念のために付け加えておきます。仮に発言が真実でも、「吉田調書にそう書いてあった」と記事にすればそれは誤報です。こういう場合は、取材源が別にあることを抽象的にでも明記すべきです。また、何らかの理由でそうした扱いもできないのなら、わざわざこの手の弁解本を出さなければいいのです。脳内ニュースソース(日本語表記では「妄想」)は秘匿するぞと叫びながら、好き放題に書き散らかされたような記事は、よほど笑えるもの以外はあまり読みたくありません。

前回の記事にも書きましたが、「命令違反だ」というような言いがかり気味の報道も、理屈の上では出来なくもないのですが、そこに、「すぐに戻れる」だの「構内」だのと言い出すと、完全な誤報になります。さらに重要なのは「退避」ではなく「待機」と誤読したことで、命令全体の趣旨を、「被曝線量を減らせ」から「絶対に逃げるな」に、ほぼ正反対に解釈してしまったことです。

また、誰に対する命令なのかという点も重要です。吉田調書では、車両を扱うスタッフに対する命令だったのですが、鮫島記事ではなぜかテレビ会議の場ということになっています。これは、吉田調書入手以前に公開されたテレビ会議の映像で音声に空白の部分があったことにこだわるあまり、吉田調書にある命令と混同してしまったのではないでしょうか。

だいたい、テレビ会議で多数の社員に向かってしゃべったのなら、調書にある「伝言ゲーム」は起こるはずがありません。いったい、誰が誰に伝言するのでしょう。

結局、鮫島氏が本書で主張するような「説明不足」や「不適切な表現」の問題ではなく、調書の誤読に基づく完全な誤報、それも捏造を疑われるぐらいに原因不明の誤報なのです。

ちなみに、私が当事者だったら「誤報ではなく単なる説明不足で、これぐらいのことは朝日新聞にはいくらでもある(p219)」というような子供じみた弁明をする度胸は、仮にそれが事実であっても、とてもありません。あまりにもみっともないからです。

ここまでやらかしていながら、迷惑をかけた相手への配慮もなく本書を出すことも立派な傲慢罪じゃないですか。

水蒸気爆発が起きた福島第一原発3号機(2011年3月15日、資源エネルギー庁サイト)

自らの誤報をさらに炎上させる朝日脳

さて、この誤報、記事のなかでサラっと触れられているだけでしたら「小さなほころび(p211)」で済んだかも知れませんが、誤読を拡大し、「吉田社長の待機命令に反して所員の9割が第一原発から離脱していた(p213)」との妄想が立ち上がってくると、もういけません。

あとは、「その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある」とか「その時だれが対処するのかを明確にすべきだ。それは電力会社社員なのか、消防なのか、自衛隊なのか」などと言いたい放題です。ちなみに、運転員が逃げ出すような状況になった原発に、他の社員や消防隊や自衛隊が行って何をするのでしょう。

こうした記事のオマケ部分は、可能性論や提言の形をとっている限りそれ自体は誤報ではありませんが、最初の「小さなほころび」を致命的なものに拡大してしまいました。筆力のともなった妄想とは、つくづく恐ろしいものです。

誤報と妄想の関係がわかりにくいというなら、次のような架空の例はいかがでしょう。

ある元新聞記者が妻から「あなたは傲慢罪。威張っている時のあなたは嫌いよ」と言われたとします。これを、「元新聞記者が妻から『傲慢で威張っているからあなたは嫌い』と言われた」と記事にすれば、これは誤報です。「小さなほころび」かも知れません。しかし、書き手が「この夫婦もうだめだな」という妄想を抱き、「その後、妻の外泊が急増しており(実家の母親の看病のためかもしれません)、誰かと不倫関係になった可能性がある」とか「別れ話が出たとき誰が対処するのか明確にすべきだ。それは親族なのか、弁護士なのか、ケースワーカーなのか」などとやり出すと、最初の誤報はもう「小さなほころび」ではなくなります。

鮫島さん、あなたは、命がけで働いている所員たちに同じことをしてしまったのですよ。

当然、社内外の四方八方から批判が飛んできます。鮫島氏が最も重視しているのは、「待機命令を知らずに退避したのを命令違反と言えるのか」という論点ですが、こういう禅問答じみた定義論で悩むぐらいならもう一歩踏み込んで、そもそも偶然650人全員が2Fに向かうようなことがあり得たのかを、普通に考えてみるべきでした(重要な命令を聞いていない所員がいたこと自体も大問題でしょう)。

その後、「報道と人権委員会」(PRC)の指摘で記事を訂正、関係者を処分して社長は引責辞任で片が付いたと、迂闊にも私は思っており、訂正の内容までは確認していませんでした。「訂正」版の 「フクシマ・フィフティーの真相」 は、言葉の言い換えに終始し、私がこの記事で指摘したような誤報(たとえば、「所長は所内での待機を指示した」とか「吉田の近場への退避命令指示は、的確な指示だったことになる。」とか)、同じウェブページ上にある吉田調書の引用と矛盾しています。「訂正版」を書いた記者も全く吉田調書を読めていません。

以上まとめると、本書「朝日新聞政治部」と現行の朝日新聞のweb記事「フクシマ・フィフティーの真相」が、同じ内容の誤報を別の表記でするという器用なことをやっていて、両者とも過去の誤報をごまかすどころか、いまだに誤りに気がついていないのです。

東京・築地の朝日新聞東京本社(写真:アフロ)

似た経歴の記者を集めることの危険性

ここからは、今回の誤報事件の背景を考えてみましょう。

最初に吉田調書を入手したとき経済部長が「自分たちには手に負えない」と言い特別報道部が引き取った経緯があります(p203)。けれども、特別報道部で担当したのは2人の経済記者で、その後応援に加わるのも経済記者で直前の仕事が「PTAの構造問題」という経済部記者。なんとなく不安です。つまり、経済部長が「手に負えない」読解を、同じ経済部の記者3人が担当したのです。そして、彼らを束ねるのが鮫島デスク、本書の書名を見るまでも無く生粋の政治部記者です。専門用語や略語がふんだんに出てくる吉田調書の読み込みには、最低一人は科学部記者を配置するべきだったのではないでしょうか。

こう言うと、「学生時代の専攻や出身部局が何であれ、新聞記者というものは一定の取材経験を積めば、専門家同様の知識を獲得できるように訓練されているのだ」という反論がありそうです。確かに、朝日新聞社で言えば、阪神淡路大震災で活躍した瀬川茂子記者などは、あちこちの学会でお目にかかり専門的な議論もしましたが、すぐにでも地球物理学教授で大学に勤められそうな方でした(給料は大幅に下がりますけど……)。しかし、全ての記者が、自分の担当分野でプロ並みに成長するかと言うと、さすがにそれは無理でしょう。

ニュースソースを守るための秘密保持の重要性はわかるのですが、素人集団だけで吉田調書を読みはじめたときに大誤報の芽が発生したのではないでしょうか。「政治部や経済部の記者は原発のことを書くな」などと無茶を言うつもりはありませんが、経歴や専門の類似した記者だけでチームを組むと、見落としや誤読の原因になりかねないということは、彼ら自身が自覚しておくべきだったのでは無いでしょうか。もちろん、「素人」を含まない科学記者だけのチームにも、同種の危うさがあるとは思いますが。