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韋堅はもともと運輸における手腕を発揮して玄宗に重用されていた。陝郡(せんぐん)の太守や江淮租庸転運使(こうわいそようてんうんし)を歴任し、開元二十一年(七三三)の大凶作以来食糧危機におちいっていた長安に、大量の穀物を運び込む態勢を作り上げた。そのため韋堅の評価はさらに高まり、李林…