世界最高峰の学術誌「ネイチャー」の7月19日付けの記事が、科学クラスタを中心に話題を呼んでいる。話題の記事は、「‘I feel disposable’: Thousands of scientists’ jobs at risk in Japan(「私は使い捨てだと感じる」:日本で数千人の科学者の仕事が危険にさらされている)」。
タイトルからも分かるように、国立大学や国立研究所で、2023年に雇い止めになる可能性がある研究者が3000人近くに上ることを報じたもの。いわゆる「研究者の雇止め問題」だ。
「雇用法の明らかな抜け穴」
ネイチャーは、研究者の雇止めの理由を「10年前に施行された雇用法の明らかな抜け穴のため」としている。「雇用法の明らかな抜け穴」とは、2012年8月に公布され、2013年4月から施行された「労働契約法の一部を改正する法律」の中で、有期労働契約について導入された「無期転換ルール」を指す。
「無期転換ルール」は、一般的には、有期労働契約が繰り返し更新されて通算5年を超えた時は、労働者の申込みにより、期間の定めのない労働契約(無期労働契約)に転換できるというルール。ところが企業側が、通算5年というルールを逆手にとって、5年を超える前に雇止めが行われるケースが一般労働者でも問題化している。
大学、研究開発法人等の研究者の研究者に対しては、無期転換の申込みができるまでの期間を、通算10年とする特例が定められている。この通算10年の期間が、今、迫っている。一般労働者と同様に非正規契約の研究者の多くが、2013年の法律施行から10年の2023年、つまり来年、雇止めされると記事では警鐘を鳴らしているのだ。実際に理化学研究所(理研)が来年3月で研究者600人を雇止めするというニュースも報じられている。
文部科学省は、「無期転換ルール」の導入の際に次のように釘を刺しているが、実態を見る限り、形骸化していると言っていいだろう。
「無期転換ルールを避けることを目的として、無期転換申込権が発生する前に雇止めをすることは、労働契約法の趣旨に照らして望ましいものではありません。また、有期労働契約の満了前に使用者が更新年限や更新回数の上限などを一方的に設けたとしても、雇止めをすることは許されない場合もありますので、慎重な対応が必要です。」
外国人研究者「失われた10年」
ネイチャーは、「すでに追い出された研究者もいる」としたうえで、「常勤になると同じ仕事に就く資格がないと知らされた後、今年は有期労働を失った」という研究者の声を紹介している。また、記事によると、既に来年3月の雇止めを通告された外国人研究者もいるという。この外国人研究者は、ネイチャーの取材に「私は一生懸命働いたが、日本で恒久的な仕事に就くことは決してないだろう。私は使い捨てだと感じている。私のキャリアにとって失われた10年だった」と回答。この外国人研究者は、日本国外で再就職先を探すという。
科学者の雇止めというニュースはこれまでにも数多くのメディアで取り上げられてきた問題で、国内的には目新しいものではない。しかし、このニュースをネイチャーが取り上げた意味は非常に大きい。日本の新聞などとは比べ物にならないほど、ネイチャーの世界的な影響力は大きいからだ。
ネイチャーは、1869年イギリスの天文学者、ノーマン・ロッキャーによって創刊された総合学術雑誌。これまでに多数のノーベル賞受賞者の論文が掲載されており、ネイチャーに論文が掲載されることを目標とする研究者は多い。また、ネイチャーに論文が掲載されると教授になれる、あるいは、教授になる条件がネイチャーへの掲載といった、まことしやかな噂も飛び交っている。
ネイチャーが政治を報じるワケ
ネイチャーは、学術雑誌でありながら今回の記事のように、政治に踏み込んだニュースも多数出しており、その傾向は最近になって特に顕著だ。ネイチャーは、2020年10月6日付の論説記事で、その理由を明らかにしている。
「Why Nature needs to cover politics now more than ever(Natureがこれまで以上に政治を取り上げるべき理由)」といった見出しの記事で、冒頭から「科学と政治は切り離すことができない。ネイチャーは今後、政治に関するニュースやコメント、主要な研究結果をより多く掲載する予定だ」と宣言している。
記事では、「科学と政治は常に互いに依存し合ってきた。政治家の決断と行動は、研究資金や研究政策の優先順位に影響を与える。同時に、科学と研究は、環境保護からデータ倫理に至るまで、様々な公共政策に影響を与え、それを形成している」と政治と科学の歴史的な関係を説明。
さらに、「政治家は学問の自由が守られるようにし、教育機関に平等、多様性、包括性を守るために努力し、これまで社会から疎外されてきた人々の声にもっと耳を傾けるよう約束することができる」と学問における政治家の役割を明らかにしたうえで、昨今の風潮について「しかし、政治家はその逆を行く法律を成立させる力も持っている」と警鐘を鳴らしている。
記事は、「科学と政治の関係を導いてきた慣習が脅かされており、ネイチャーは黙って見ているわけにはいかない」と結ばれている。
しばしば、「外圧に弱い」「外圧でしか変わらない」と揶揄される日本。世界最高峰の権威を持つ学術誌ネイチャーの「外圧」によって、理不尽極まりない研究者の雇止め問題は、少しでも良い方向に変わっていくだろうか。