テレビ朝日のスポーツ番組『GET SPORTS』では、萩野公介と斎藤佑樹のスペシャル対談を放送。
活躍した世代こそ違うが、ともに高校時代から脚光を浴び、それぞれの競技で一時代を築いた2人。
栄光と挫折を味わい、似た境遇を持つ彼らが今だから語る本音に迫る。(前編はこちら)
◆斎藤にとっての恩師「僕はこの人を超えられない」
前編の「栄光と挫折」「現役引退の真実」に続き、2人が語り合ったテーマは「恩師」。
それぞれの引退に立ち会った恩師との太い絆は、どのように育まれたのか?
斎藤:「萩野さんにとって平井伯昌コーチはどんな存在でした?」
萩野:「もちろん水泳のテクニックを教えるのは一流ですが、人を育てるという面に関して本当にすごいと思います。何がすごいかというと、例えば選手を見ていて『この選手は今ここに問題があるな』と思っていたとしても、本人がそのことに気付くまで待つんです。
苦しんでいる選手に対して『こうしたほうがいいよ』と答えを出さずに、その道しるべとなる“道路標識”みたいなものを置いて、『こっちに行ったほうがいいんじゃない? そこは一方通行だから行かないほうがいいかもしれないね』という感じです。
その人の人生というか人間性みたいなものを育てて、最終的に問題にぶち当たった時に、自分でそれが問題だったんだと気づかせる。そこまで待つんです。それってものすごいことだと思います。やっぱり言いたくなっちゃうじゃないですか」
斎藤:「平井さんが教えてくれたことで、一番印象に残っている言葉はありますか?」
萩野:「本当にいろいろあるんですけれど、『水泳を水泳だけで解決するな』という言葉ですね。なかなか言えないと思うんです。
水泳でタイムが出なくて困っているのに、『朝飯、今日は誰と一緒に食べたんだ? 誰かと話しながらご飯を食べたか? 昨日の寮生活の晩飯どうだった? 休みの日一緒に後輩とラーメンでも食べに行ったか? 後輩連れて行ってメシぐらい行けよ』とか、要はそういう感じです。
僕自身人との出会いはご縁だと思っていて、平井先生や大学の同期、ライバル、先輩・後輩、いろいろな人との出会いがあって、今の自分がいる。それはすべて水泳がつなげてくれたことだと思います。
それこそ斉藤さんにも野球がつなげてくれた人はたくさんいると思います。なかでも栗山英樹監督はやっぱり大きな存在でしたか?」
斎藤:「まさにそうですね。栗山監督とは、僕がプロに入って2年目の時から10年間一緒にやらせてもらいました。高校3年生のとき、キャスターだった栗山さんに取材をされる立場としてお会いしたのがファーストコンタクトですが、そこから数年後にチームの監督になってお会いして、『僕はこの人を超えられないな』と思う瞬間が多々ありました。
なぜかというと、本当に言葉一つひとつに重みがあるし、すべてが胸に刺さる。僕がケガをして全然結果を出せなくなっても、『最後までちゃんとやり切りなさい。とにかくがむしゃらになって、泥だらけになって、その姿をちゃんとみんなに見せなさい。それが佑樹のやる責任だ。自分にわがままでいいから、とにかく好きなだけ野球をやりなさい』と声を掛け続けてくれました」
斎藤:「ずっとファイターズに対しても恩返しをしたいと思っていたんですが、なかなかできなくて…。でも栗山監督にそう言ってもらえて、本当に最後までがんばれました。だからこそ、僕も引退して栗山監督みたいになりたいという思いがあるんです。今、平井さんのような存在になりたいと思います?」
萩野:「思わないですね(笑)。平井先生のようになりたいというよりも、たぶんなれない。僕は絶対無理です。平井先生があまりにもすごすぎるから、僕は指導者に向いていないと思います」
斎藤:「僕自身も引退してすぐ指導者になるなんて絶対無理だと思っていました。でも、引退していろいろな方たちのお話を聞いていると、『やっぱり自分の経験や考えてきたことを後輩たちにちゃんと伝えていかないといけない。そういう役割が絶対にお前には回ってくるから、その準備をちゃんとしておきなさい』と言われることが多くて。
だから栗山監督という偉大な方を目標にしながら、今は自分がどうやって選手に伝えたらいいかと考えながら日々を過ごしています」
◆活躍する同世代へ感じていた“本当の気持ち”
萩野と斎藤のスペシャル対談。最後のテーマは「88年世代、94年世代」
甲子園を沸かせた斎藤と同じ1988年度生まれ、別名「ハンカチ世代」には、田中将大をはじめ、坂本勇人、前田健太、大野雄大など現役で活躍する球界のスターがズラリと居並ぶ。
一方、萩野と同じ94年世代といえば、羽生結弦や大谷翔平らスポーツ界の顔ともいえる多彩な選手がそろう。
斎藤:「同世代の活躍はどのように見ていましたか?」
萩野:「やっぱり誇らしいですよね」
斎藤:「ご自身もずっと第一線を走られてきたじゃないですか。自分が引っ張っていくという思いもきっとありましたよね?」
萩野:「全然ないです。僕の年代って水泳でも同級生に瀬戸大也選手がいて、それ以外の選手もみんなめちゃくちゃ強かったんですよ。俺が引っ張ってやるという感覚は全然なかったですね。
それこそ他競技にも94年生まれは強い人たちがたくさんいるので、誇らしかったです。『同い年か。うれしいな』みたいな気持ちしか出てこないですね」
斎藤:「大谷翔平選手の存在はどのように見ていますか?」
萩野:「毎日楽しく見ています。何度かお会いしたこともありますし、食事もしたこともあるんですけれど、やっぱりすごくいい方でいい選手」
斎藤:「食事に行ったらどんな会話をするんですか?」
萩野:「僕本当に野球を見るのが好きなんですよ。最初に会った時は『あの時のあれってさ…』と聞いちゃうわけです。最初は笑顔で答えてくれたんですけれど、途中から向こうがちょっと引いていたので『ヤベ~あまりにもファン出しすぎたな』と思って(笑)。『ごめん。ごめん。もうこれは聞き流してね』という話をしたり」
萩野:「それこそ斎藤さんの世代も同業ですごく活躍されている方がたくさんいますよね。その人たちの活躍からもらったエネルギーはやっぱりありましたか?」
斎藤:「ありましたね。僕も高校3年生の時に甲子園で優勝して、周りから『斎藤佑樹がこの世代を引っ張っていくんだよ』と言われていました。でも、たぶん能力的には僕よりすごい選手たちがいっぱいいて、それこそ今でもまだ現役バリバリで活躍している選手もたくさんいるんです。
そんな選手をずっと見ていて、彼らに負けないようにがんばろうというよりも、彼らは彼らですごいなと誇りに思いながら、自分がちゃんとしなくちゃダメだとずっと考えていました。
同世代をすごいと思っていてもあまり関係ないし、自分がやるべきことをちゃんとやろうと。刺激は受けていたんですけど、それがプレッシャーになることはもちろんなかったです」
◆「今、幸せですか?」
萩野:「自分も斉藤さんも引退を決断して、今こうして違った形でスポーツに携わっていて、『そんな自分でも自分だよね』という風に感じています。
僕、人には“色”があると思うんです。人にはいい部分も悪い部分もあって、そのいいも悪いも全部ひとつになったら、それぞれの色になるんじゃないかと。
斎藤さんには斎藤さんの素晴らしい色があると思います。だから今日ひとつお聞きしたかったのが、『今、お幸せですか?』ということ(笑)」
斎藤:「どうしたんですか? 大丈夫ですか(笑)」
萩野:「本当にごめんなさい。僕『人の幸せとは』とか『人って何で生きているんだろう』とか『人って何で泳ぐんだろう』とかすごく考えてしまうんです。だから今日対談させていただくことになって、引退をご決断された斎藤さんにお幸せですかということを最終的に聞こうと思っていました」
斎藤:「なんだか本当に素敵ですね。僕は本当に今も幸せで、もちろん選手の時も幸せでした。つらいこともケガしたこともたくさんありましたけど、それでも33歳までずっと野球をやることができて、こんなに幸せな野球人生はないと思っていました。
今引退して半年ぐらい経ちますが、こうやって普通だったらお会いできない方にお会いできて、こんな人生本当に幸せだなと思います」
萩野:「斎藤さんが幸せなら、もうそれが幸せです」
斎藤:「ありがとうございます」