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<p>コスモスポーツは世界に勝った! 「悪魔の爪痕」を乗越えた夢のロータリーエンジン – 自動車情報誌「ベストカー」</p><p>わが国の歴史に残るスポーツカーといえば、いくつも名前が挙がってくるけれど、マツダ コスモスポーツは他に類をみないロータリー・エンジンを搭載したモデルとして忘れられない。マツダが社運を賭けて開発した名スポーツカーを振り返る。</p><p>わが国の歴史に残るスポーツカーといえば、いくつも名前が挙がってくるけれど、マツダ コスモスポーツは他に類をみないロータリー・エンジンを搭載したモデルとして忘れられない。マツダが社運を賭けて開発した名スポーツカーを振り返る。</p><p>当時はまだマツダではなく、東洋工業という社名であった。フェリクス・ヴァンケル博士(1902~1988)が発想し、NSU社と共同研究で実用化一歩手前、というところまで辿り着いたエンジン。 それをどこがいち早く実用化するかということは、当時の自動車会社のなかではちょっとした話題であった。従来のピストンの往復運動によるエンジンとはまったく異なり、ハウジンクのなかを「オムスビ形」のローターを回転させてパワーを得る。 理論的にはロスが少なく、部品点数も押えられて軽量コンパクト、それでけっこうな性能が期待できる、というのだから画期的であった。実用化競争は昨今の電気自動車競争のようなものだった。 一時は20社ほどが手を挙げて、日産はサニーに搭載したり、メルセデスは4ローターのエンジンを搭載したプロトタイプを発表したし、シトロエンもGSにロータリーを載せたプロトをつくったりした。近年は、NSU社を傘下に収めたアウディがEV用にロータリー・エンジンを持ち出して注目を浴びている。 そんななか実用化して、それを搭載したいくつものモデルを送り出し、世界一のロータリー・ブランドとして名を挙げたのは、ほかならぬマツダであり、そのはじまりを告げるモデルとしてのコスモ・スポーツは、やはり忘れられない、記憶にとどめておくモデルにちがいないのだ。 ■2ローター、491cc×2 最初、1963年の第10回「全日本自動車ショウ」に飾られたのは、400ccの1ローターと2ローターの2種のエンジンの試作品であった。エンジンだけで、車輛はパネルだけの展示だった、という。そのショウに冒頭に紹介したプロトタイプで登場し、広島の工場まで自走してみせたというのだから、まあ、話題としてはこのうえないほどのものだったことが想像つくだろう。 「東京モーター・ショウ」と改称された翌1964年の第11回のショウでようやくプロトタイプが展示されたが、つづく第12回、第13回も飾られたのは市販車ではなくプロトタイプ。ようやく最後のプロトタイプ展示に「来春市販予定」の表示が出され、1967年5月にそれは実現したのだった。 それだけエンジン開発には手間がかかったということを物語っている。コスモ・スポーツ発売より前にNSUヴァンケル・スパイダーが市販されたが、それは1ローター・エンジンで耐久性を含め多くの問題を抱えていた。ロータリ・エンジンは理論だけで実用にならない、そんな定評さえつくりかねない状況だったのだ。 そうしたバックグラウンドもあったものだから、コスモ・スポーツの完成度の高さはそれこそ世界が注目、賞賛するものになった。世界初の「実用、量産ロータリー・エンジン」という形容がしっかり与えられた。 最終的に市販までの間にエンジンは491cc×2ローターになっており、当初はマツダ・コスモだった名前もコスモ・スポーツ(英語綴りはsport)に変化していた。 実用化されたエンジンは110PS/7000r.p.m.と発表された。先のヴァンケル・スパイダーは500ccで50PSとされていたから、そこそこのパワーではあったが、もっと性能アップの余地があると噂され、それは1年ののちに実現することになる。</p>