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(前号まで) 関東軍の大陸侵攻が続く中、政府の不拡大方針に不満を持つ陸軍急進派がクーデターを画策、首謀者は逮捕されるものの、若槻内閣の政権運営は混迷する。 昭和6(1931)年12月12日夜中午前2時、立憲民政党(以下民政党)若槻礼次郎内閣は総辞職を決めた。 その朝、兜町の株式取引所にこのニ…