通勤や通学でいつも使う路線からちょっとだけ別の方向へ延びている短い支線。行き止まりで短いことから、“盲腸線”と呼ばれたりもする。走っている車両も本線で使われている最新型ではなく、古いもの。それがワンマンに改造されて1~2両、長くても4両くらいで走っていたりする。線路も1本の単線であることも。いつもは使わないそんな路線にあえて乗り、都会にあるのに都会ぽくない風情を楽しんだり、短い路線の先に何があるのかを探索してみたりするのもおもしろい。ちょっと時間が空いた時のミニトリップにもいいかもしれない路線をいくつか紹介してみよう。
文・写真/服部朗宏
【画像ギャラリー】行き止まりの“盲腸線” その先には何がある ミニトリップにもおすすめの日本全国支線探訪(10枚)画像ギャラリー盲腸線の先には寺社がある!? “参拝電車”でGO!
“盲腸線”の一部には神社仏閣への参拝客輸送を主目的に建設された路線がある。娯楽が少なく、人々の信仰心が今よりもずっと厚かった明治・大正期には、参拝客輸送を当て込んでもペイできたし、資金難の鉄道にとっては安定収入のために欠かせないものだったりもした。
こうした“参拝電車”は規模もまちまち。小さいものでは人が押す「人車鉄道」やいわゆるチンチン電車的な路面電車があったが、自動車の登場で戦前には大方がなくなってしまった。規模が大きなものとなれば、例えば関東の京成本線は東京から成田山への参拝客輸送が目的のひとつであるし、近畿の南海高野線や、JR東海の参宮線、伊豆箱根鉄道大雄山線なども参拝電車といえるかもしれない。
本線から分かれる支線としての参拝電車は今も残っている。関東で身近なのは東武鉄道の大師線、京成電鉄の金町線、京浜急行電鉄の大師線だろうか。
東武鉄道大師線は足立区の西新井~大師前間のわずか1.0km、目的は西新井大師への参拝だ。区間が短いので中間に駅はない。車両は2両編成のワンマン車が10分間隔で行ったり来たり。乗車時間はあっという間の2分間だ。終点の大師前駅は無人駅で改札機もない。西新井駅の専用通路に改札機があり、そこを通ったら自動的に大師線に乗車したことになるようにしているのがおもしろい。なお、この大師線、元もとは大師前から先に延びて東武東上線の板橋へ接続する予定だったが、立ち消えになってしまったというエピソードがある。
東京葛飾区、京成の高砂駅から延びる金町線(高砂~金町間2.5km)の中間にある駅は1つだけ。「寅さん」で有名な柴又駅だ。金町線は元をたどると、柴又~金町間約1.5kmの帝釈人車軌道が前身。もちろん柴又帝釈天への参拝客のために1899(明治32)年に開業した。6~10人乗りの小さな客車を人がゴロゴロと押すという、なんとものんびりしたものだった。柴又帝釈天の帝釈堂と祖師堂を結ぶ回廊の欄間には当時の人車をモチーフにした今でも彫刻が残っているほか、2022年4月にリニューアルオープンした「葛飾柴又寅さん記念館」には、復元された人車が展示されている。
京急大師線は京急川崎駅から分かれて小島新田駅に向かう4.5km。駅は中間に5つある。今でこそ支線だが、実はここが京急発祥の地。
川崎大師への参詣客を当て込んで、大師電気鉄道という会社が1899年(明治32年)に現在の六郷橋駅から大師前間を開業させたのが京急のルーツなのだ。その後、戦時中には京浜工業地帯への工員輸送のために延伸され、おおよそ現在の姿になっている。1997年までは一部区間でレールを内側に1本足して国鉄・JRの線路貨物列車が乗り入れていた(京急の線路幅は国鉄よりも約40cm広い)。貨物列車はなくなったが、川崎大師への参拝電車というのんびりした顔と、工業地帯へのアプローチ路線という面は今も併せ持っている。
こうした“参拝電車”は普通の日は乗客も少なくのんびりとしたムードを味わえるが、新年初詣や縁日などの書き入れ時になると表情は一変する。次から次へと参拝客が押し寄せ、電車も増発されてピストン輸送となり、駅も賑わい、華やかさなムードに包まれる。
ひなびた盲腸線だけど、開業当時は本線だった栄光の夢の跡
元もとは本線(主要経路)として建設されたが、その後の変化で支線に格落ちされてしまった路線の代表例は、南海電鉄の通称「汐見橋線」。大阪市の中心部、難波にも近い都会の中でローカル線気分や昭和レトロな雰囲気を味わえるということで一部で人気になっている。
「汐見橋線」は南海線・高野線の岸里玉出駅から分かれて汐見橋駅までの4.6km、中間に駅は4つあり、2両編成の古めかしい電車が行ったり来たりしている。今でこそ本線から分かれる支線の形になっているが、ここの区間はもともと高野線の本線。高野線は南海本線とは別の会社が建設し、汐見橋駅は高野山へ向かう大阪側のターミナル駅だった。今でも高野線の書類上の起点は汐見橋駅になっているが、年月を経ると人の流れが難波方向に変わっていき、1985年に現在の岸里玉出駅付近が高架になる際についに本線と分断されてしまった。
汐見橋線で面白いのは起点の汐見橋駅。古めかしい屋根のホームに降り立つとレトロな広告が入った木製のベンチが設置されている。駅舎の中は薄暗く、2016年までは昭和30年代の物と思しき年季の入った観光案内路線図(その後同じような意匠で復刻)が掲げられていたりと時間が止まったような感覚を味わえる。駅舎も大阪中心部にある大手私鉄の駅とは思えないほど殺風景なものだったが、近年大きなイラストが描かれてちょっとだけおしゃれに変身した。中間の木津川駅もまるで廃墟のようなたたずまいが、ある面で魅力的だ。
日中は超閑散だけど朝夕は超ラッシュ!! 工場地帯の“盲腸線”
都会の中のローカル線気分を味わうなら、横浜市臨港部の工場地帯を走るJR東日本の鶴見線もおもしろい。京浜工業地帯の貨物輸送と工員輸送のために建設された鶴見線は元は私鉄だったということもあり、今でも独立した雰囲気を色濃く残している。
平日の朝晩は工場への通勤客でにぎわうが、日中や土休日は乗客もまばらで、中間にある無人駅に降りれば人っ子一人見当たらず、シーンとしている。そのギャップがおもしろいというわけだ。
鶴見線にはさらに櫛の歯のような支線が分かれており、浅野駅から分かれる海芝浦支線と安善駅から分かれる大川支線がそれだ。ホームの横はすぐ海という海辺にある海芝浦駅は東芝の従業員専用駅ともいえる構造で、駅自体が工場敷地内で改札を出るとそこは事業所内。もちろん一般人は立入禁止だ。ただ、以前は改札外に出られなかったが、駅直結の「海芝公園」ができてそこだけは入れるようになっている。近年の“工場萌え”ブームもあって、海越しに見える「鶴見つばさ橋」や工場群の夕暮れや夜景がきれいだと人気のようだ。
もうひとつの大川支線は日中(9時台~16時台)には電車が全く走らず、平日でも1日9本、土休日には1日3本しか電車が来ないという超秘境路線。大川駅は降り立っても小屋のような木造の小さな駅舎があるだけで、線路は雑草に覆われ、周囲に人気もない。ただ、そこが都会の中の秘境としてマニア心をくすぐっているというわけだ。
鶴見線の支線はとにかく電車の本数が少ないので、行くときは電車の時刻をあらかじめ調べて綿密に計画を立てたほうがいい。
全国ににまだまだあるおもしろ支線をブラブラ探訪で楽しもう
「支線」や「盲腸線」にはそれができた面白いエピソードに事欠かない。本線からちょっとだけ離れた鉱山だったり、港だったり、車庫だったり、寺社だったり、遊園地や観光地だったりを結んだり、あるいは国鉄が通らなかった町と国鉄・JRとを結ぶ私鉄を地元が建設したりといった歴史がそれぞれにある。
都内練馬区の西武鉄道豊島線、埼玉県の西武園線、狭山線、東京メトロ丸ノ内線の方南町支線(東京都中野区、杉並区)、千代田線の北綾瀬支線(東京都足立区)、関東鉄道竜ケ崎線(茨城県龍ヶ崎市)、名鉄築港線(愛知県名古屋市)、阪神武庫川線(兵庫県西宮市)、山陽本線(和田岬線)の和田岬駅(兵庫県神戸市)、小野田線本山支線(山口県山陽小野田市)、山陽新幹線博多南線(福岡県福岡市)などなど、全国を見渡せば多くのおもしろ支線があなたの訪問を待っている。
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