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マイクロカーの代表選手

日本では戦後、昭和20~30年代、三輪の自動車が多かった。そのうちの1台は、弊サイトでも以前に記事でご紹介している。これは元々、日本では戦前から三輪トラックが根付いており戦後もその文化が続いていたためであるが、一方、第二次世界大戦後のヨーロッパでは、またこれとは違った意味で三輪車が人気を博していた。敗戦国であるドイツとイタリアで特に多く見られた、”カビーネンローラー”、”キャビンスクーター”、”バブルカー”などと呼ばれる車両がそれである。

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これは文字通りスクーターをベースに車輪を増やし、全天候型ボディを被せたものだ。経済的に疲弊し乗用車を所有する余裕などなかった庶民の足として、スクーターでは風雨に晒されるのが辛いという声に応えて、最低限の自動車(のようなもの)として生まれたのが、こうした車両である。その中で、特に日本でも有名なのが、BMWのイセッタと、メッサーシュミットのKR200であろう。

メッサーシュミットは、第二次世界大戦中は軍用機の生産に従事していたが、ドイツの敗戦後は航空機の製造を禁じられ、他の産業へと転換を余儀なくされた。そんな中、フリッツ・フェンドというエンジニア(元、ドイツ空軍の技術将校)がコツコツと研究・開発を続けていたペダルカー(障碍者のためにモーターサイクル用エンジンを取り付けていたものもあった)に同社は注目。彼の工房と提携し1953年にキャビンスクーターとして商品化したのが、KR175と呼ばれるモデルだったのである。

このKR175は後のKR200と比べると、フロントフェンダーが前輪を完全に覆っているのが特徴だ。単気筒エンジンを175ccから191ccに拡大してKR200となったのは1955年のこと。しかし、この頃メッサーシュミットは航空機業界への復帰を許され、三輪車の生産・販売に興味を失っていったとのことで、1956年、KR200に関する事業はFMR社に委ねられた。このFMRはフェンドが設立した会社で、「メッサーシュミット」の名を使うことも許されたという。ヒットモデルであったKR200だが、自動車の普及とともに人気を失い、1964年に生産を終了した。

作る側にハイテックを要求するキット!
さて、ここでお目にかけているのは、グンゼ(現GSIクレオス)から1/24スケールでモデル化されたKR200を組み立てた作品だ。これについては、以下、作例を手掛けた北澤志朗氏の解説をお読みいただこう。

「グンゼ製のメッサーシュミットKR200は、1980年代半ばにまず「ハイテックモデル」として登場し、その後イセッタとセットになったプラモデル版に切り替わり、今世紀に入るまで定番品として長く販売されていたが、残念ながら現在は生産休止中だ。ここで制作したのは『ハイテックモデル』の方で、インジェクション成型のプラパーツとゴム風の軟質プラパーツ、ホワイトメタル鋳造パーツ、エッチング、そしてアルミ丸棒などで構成された、マルチマテリアル・キットである」

「エンジンも再現されているとはいえ、基本的にはシンプルなキットである。しかし、パーツ構成や、プラ以外の素材の選択に少々難があり、思いのほか作りにくい。例えば、キャノピー開閉部はボディカラーの部分まで一体のクリアー成型なので塗装がやりづらいし、接着しにくい軟質プラ製のウェザーストリップは塗装後の取り付けが難しい。ピンと張ったコシと磨きやすさが必要な化粧モールに曲がりやすく磨きにくいアルミ線が、曲面に合わせて曲げる必要のあるキャノピーのメッキトリムやフロントバンパーのエッチングにパリッと硬いステンレスが用いられ、およそ適材適所とは言いかねる構成だ」

「尤も、キットは所詮は素材に過ぎないのであって、使いにくいものは使わなければいいだけのことだ。1/24のメッサーシュミットとしては事実上これが唯一のキットで、今後も他メーカーからのリリースは望み薄と思われる。そこでこの作例では、少々厄介なこのキットを『プラモデル的に作りやすく』する方法を考えてみた。バブルカー好きなモデラー諸兄のお役に立てれば幸いだ」









































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