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いささか旧聞に属するが、昭和初期に沖縄県北部の今帰仁村(なきじんそん)にある風葬墓・百按司(むむじゃな)墓などから持ち出された遺骨を研究資料として保管している京都大学に対して、龍谷大学教授の松島泰勝氏や百按司墓と関わりがある琉球王朝(第一尚氏)の末裔らが、遺骨の返還と損害賠償を求めた「琉球遺骨返還訴訟」の判決公判が4月21日、京都地裁(増森珠美裁判長)で行われ、原告の訴えを退ける判決が言い渡された。これを受けて原告は即日控訴した。

琉球遺骨返還請求訴訟支援 全国連絡会 Facebookページより

琉球遺骨返還訴訟

原告の松島氏らは、1928〜29年に京都帝国大学(現・京都大学)医学部の金関丈夫助教授を中心とする研究グループが、遺族の許可を得ないまま墓を荒らし、研究目的のため遺骨を違法に持ち去ったと主張し、京都大学に対して遺骨を返還するよう求めていた。

これらの遺骨の一部は、金関氏が教授として転任した台北帝国大学(当時の台湾は日本の統治下)に移されたが、これについては、2019年に台北帝大の後身といえる台湾大学が遺骨36体を沖縄県に返還し、現在は沖縄県教育庁が保管している。松島氏は教育庁に対しても、遺骨を百按司墓などに戻して、再風葬するように求めたが、教育庁はこれを拒絶している。

遺骨の所有権は、民法には明確に規定されていない。判例などでは、民法上の祖先の祭祀を主宰すべき者(祭祀継承者)が遺骨も継承するものとされてきた。京都地裁は、原告らが祭祀継承者に当たるかどうかについて、「墓を参拝しているからといって『祖先の祭祀を主宰すべき者』に当たるとは認められない」として、遺骨返還の請求権は認めなかった。

また、京都大学が学術的価値などを重視して遺骨の保管を継続する姿勢についても、違法であるとは判断されなかった。

原告は琉球独立運動のリーダー

松島氏(リサーチマップより)

事実上の原告代表である松島氏は、これまでさまざまな著作において、遺骨の所有権は本質的な問題ではなく、1879年の琉球処分以降続けられている日本の琉球に対する植民地政策の不当性を明らかにし、遺骨に関わる慣習的な祭祀権や信仰の自由を含め、基本的人権をことごとく奪われてきた琉球人の尊厳を回復することが目標であると主張している。

実は松島氏は、2013年に設立された「琉球民族独立総合研究学会」の発起人代表である。同学会の設置趣旨には、以下のように記載されている。

琉球民族の独立を目指し、琉球民族独立総合研究学会を設立する。会員は琉球の島々にルーツを持つ琉球民族に限定し、学際的な観点から研究を行う。担い手は独立を志す全ての琉球民族である。……日米によって奴隷の境涯に追い込まれた琉球民族は自らの国を創ることで、人間としての尊厳、島や海や空、 子孫、先祖の魂(まぶい)を守らなければならない。新たな琉球という国を創る過程で予想される日本政府、日本人、同化されてしまった琉球民族、各種の研究者等との議論に打ち勝つための理論を磨く。……琉球民族が独自の民族として平和・自由・平等に生きることができる『甘世(あまゆー)』を実現させるために本学会を設立し、琉球の独立を志す全ての琉球民族に参加を呼び掛ける。

一読してわかるように、同会は学会などではなく、「琉球独立を目指す政治結社」といってよい性格の団体である。筆者はかつてこの学会のシンポジウムを見学させてもらおうと事務局に聴講を願い出たが、日本人の聴講は許可できないといわれた経験がある。一般に学会と名の付く会合の場合、所定の参加費用を支払い、登録手続きを行えば、誰でも聴講できる。会場の制約や進行上の差し障りがあれば、断られることはあるが、「血筋」を理由に断られるとは思いもよらなかった。

筆者は、「日本国憲法の第14条には、すべての国民は、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により差別されない、と謳われているじゃないですか」と抗弁したが、事務局は「この学会は琉球の独立を志向する私的な団体ですよ。日本人が差別されるのはあたりまえじゃないですか」とけんもほろろだった。

排他的な琉球ナショナリズムを土台に成り立っている結社のリーダーが、琉球人遺骨返還訴訟の原告でもあるという事実は注目してよい。この訴訟は、過去における「植民者・日本人の不当な差別」を訴え、現在進められている琉球独立運動への共感を呼び起こそうという政治的なパフォーマンスであると見て間違いない。

沖縄のメディアや一部の識者は、琉球人遺骨返還訴訟における原告側主張をきわめて好意的に評価している。京都大学の「植民地主義的アカデミズム」を厳しく批判し、政府により辺野古で進められている普天間飛行場の移設作業も、京大と同じ植民地主義的な暴挙であると糾弾する。「遺骨返還」も「辺野古反対」も「琉球独立」も1本の線でつながっているのだ。

中国が喜ぶ?沖縄独立運動

kdow /iStock

だが、琉球独立を掲げる人々にとって不幸なことに、沖縄県民は、沖縄(琉球)独立をリアルな政治課題として捉えていない。

この件について公的な性格の世論調査はまだ行われていないが、研究者による各種社会調査を見ると(最近では、早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌『WASEDA RILAS JOURNAL NO. 9』に発表された田辺俊介氏の論文『沖縄における「ナショナル」・アイデンティティ ─その担い手と政治意識との関連の実証分析』2021年10月)、沖縄独立を志向する県民は5%以下に留まっており、今後もこの数値が劇的に増える見込みはほとんどない。

ただし、「沖縄独立論」が政府に対する一定の圧力として機能してきた「実績」はある。1990年代後半の大田昌秀知事時代や2014年から始まった翁長雄志知事時代には、沖縄独立を知事が仄めかすことが、政府からの補助金(沖縄振興予算)の維持や増額に寄与してきた。こうした経緯を見るかぎり、琉球独立論・沖縄独立論は、今後も折に触れて浮上し、メディアや識者の支持を集めることになるだろう。

「沖縄独立といっても結局はカネの話か」という意地悪な評価が正しいとは思いたくないが、これまでの経緯を前提にすれば、松島氏らの独立運動が、政治家やメディアによって政治的に利用される可能性は高いといわざるをえない。しかも、現下の東アジア情勢の下では、日本政府に揺さぶりをかける手段として、中国政府に利用される可能性さえある。現に中国には、松島氏らの琉球独立運動にきわめて好意的な論調もある。

「小さな火種」と侮っていると、とんでもない大火傷を負うことになるかもしれない。