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 1990年代のWRC(世界ラリー選手権)はより市販車に近いグループAレギュレーションのマシンで争われていた。そのためそのベース車として生まれたのが三菱ランサーエボリューションであり、スバルインプレッサWRX、トヨタセリカGT-FOURである。

 これらの強力なライバルに対抗するために日産が投入したのが、パルサーGTI-Rだ。その先行開発車を佐久間健氏がとらえた写真をご紹介しよう!

文・写真/佐久間健

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■世界3大ラリーに数えられたサファリラリー

世界一過酷といわれるサファリラリーで1990年に優勝したビヨルン・ワルデガルドのセリカGT-FOUR

 長い歴史を誇るサファリラリーは、かつて世界3大ラリーの一つに数えられるイベントであった(他は英国のRACとモナコを中心としたラリー・モンテカルロ)。

 その過酷なコースゆえにマシンには厳しいラリーで、その信頼性を試す場ともなっていた。1960年代には日産が海外向けのダットサンブランで参加したことで国内でも有名になった。

 まずは410ブルーバードで好成績を収め(1966年にクラス優勝)、1970年代に入り510ブルーバードへとマシンを変更した。

 その結果1970年には1、2、4位を獲得。1971年には240Zを投入して1、2、7位、1973年には240Z(フェアレディZ)と610ブルーバードで1、2、4位と好成績を収め続けた。

 このあと一時的にワークス活動を休止するが、1979年にワークス活動を再開。160JバイオレットとPA10バイオレットで、1079年~1982年まで4連勝を達成した。

■後の日産パルサーGTI-Rのテスト車両を激写!!

1990年のサファリラリーに現れたN13パルサー。市販車にはないボンネットバルジがあり、N14パルサーGTI-Rのテスト車だと思われる

 しかしその後日産が投入した200SX(シルビア)は、トヨタセリカやヨーロッパの4WD勢には歯が立たず、日産は次世代のラリーマシンの開発を始めていた。

 そして1990年のサファリには、開発中の次世代マシンが持ち込まれたのだが、それを撮影したのが掲載されている写真だ。開発車は当時モデル末期だったN13型パルサーで、サファリラリーの本番中に競技車全車が通過後、同じコースをトレースしてテストを行っていたのだ。

 N13にはないボンネット上の大きなバルジが、N14パルサーGTI-Rのテスト車であることを物語っている。そして1990年の8月にN14パルサーが発売され、その中に最強モデルとして4WDターボのGTI-Rが設定された。

 発売翌年のサファリラリーにこのGTI-Rのラリー車がデビューを遂げた。ドライバーにS・ブロンクビスト、D・レベリン、M・カークランドを迎え、3台体制でのエントリーであった。

 ラリーはレベリンが下位のマシンと事故をおこし早々にリタイヤしたが、ブロンクビストが5位、カークランドが7位というまずまずの成績でラリーを終えることができた。しかしこのあとWRCの3戦に出場するが、あまり良い成績は上げられなかった。

 翌1992年はモンテカルロからWRCに出場。ドライバーにF・シャトリオ、T・マキネンを起用して4戦に出場したものの、スウェーデンにプライベートで参戦したブロンクビストが3位に入った以外はそれほど良い成績は収められず、最終戦RACではマキネンが8位に入るにとどまった。

 結局日産は、この年を最後に再び撤退。GTI-Rを擁しての参戦は、わずか2年間で幕を下ろした。

1991年のサファリに出場した西山寛のGTI-R。この難コースを見事完走して見せた

●解説●
 長い歴史を誇るサファリラリーだが、その過酷さとイベントの特殊性ゆえか、2002年を最後にWRCから除外されていた。
 しかし昨年19年ぶりにWRCイベントに復帰し、トヨタヤリスWRCを駆るセバスチャン・オジエが優勝。2001年の三菱ランサーエボリューションをドライブするマキネン以来の日本車優勝となった。

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