「ロシアによるウクライナ侵攻」は日頃ニュース番組を見ないような若年層にすら衝撃的なインパクトを与えた。今回の参院選ばかりは各党の有意義な安全保障論議が交わされるのかと期待を抱いたが、相変わらず心許ない中身になっているというのは前編で述べた通りだ。
「戦争をさせない」「頑固に平和」という一部野党の外交と抑止力に対する認識と現実のギャップが昭和のままというのにも唖然とするが、与党が掲げる「防衛力の抜本的な強化」についても問いたい。肝心なのは、この「抜本的」という言葉は何を表しているのかということだ。
防衛力の「抜本的な強化」とは
「抜本的」という言葉の意味は、「根本に立ち返り問題を是正すること」である。
まさにそのとおり、自衛隊は「根本的な問題」を多く抱えている。岸田総理もそのことを承知の上でこの言葉を用いたものと信じていた。しかし、最近の言動を見ているとどうやらそうでもないような気がしてきた。
この「根本的な問題」を解決するためには、いわゆる「戦後レジーム(体制)からの脱却」を国防に関して果たす必要がある。また、これは、第二次大戦後まもなく占領軍(GHQ)の影響下で制定された、いわゆる「平和憲法」と称されてきた現行憲法に根差した、国民の「軍事(防衛)力」に対する潜在的な拒否反応からの脱却も意味する。
つまり、「専守防衛(守りは自衛隊、攻めは米軍)」、「非核三原則」、「武器輸出三原則」、こういった縛りをすべて取り払った上で、ガラガラポンして必要な防衛力を再構築するということである。自衛隊が、真に戦える軍隊たり得ていない「根本的な問題」は、すべてこれらに起因しているといっても過言ではないからだ。
これらを解決するために、憲法も変える必要があるということになるのだろう。
たとえば、「敵基地攻撃」とか「反撃」というような、イメージだけを意識した用語にとらわれるのは意味のないことだ。それよりは、軍事的なカテゴリーとして、多くの市民も犠牲となる大量破壊兵器のような「戦略兵器」は保有しないが、敵の攻撃基盤を無力化する「戦術兵器」は保有するというような、現実的な線引きを行うことだ。その上で、核戦力をどうするかは、「検討の余地がある」ということなのだろう。
以上のようなことは、今すぐにすべてを決められるものでもないだろうが、「抜本的な強化」を図るうえで避けて通れないことだ。しかし、岸田総理は、これらの原則を「変えない」、と明言してしまった。これでは、虎視眈々と領土や勢力圏の拡大を狙う中国やロシアに足元を見透かされてしまうに違いない。
自衛隊最大の懸案事項、近い将来の大問題
最後に一つ、誰も触れようとしない、安全保障政策上最大の懸念事項がある。
それは、自衛隊員、特に一般隊員(兵士に相当)の充足率の問題である。現在8割を切ろうとしている一般隊員の充足率は、今後少子高齢化が進む中でますます深刻な事態となることが予想される。これは、お金(防衛費の増額)では解決しない問題である。
ここで少し話は横道にそれる。
最近何かと話題になるパフォーマンスがお得意なある政党の政策担当者が、NHKの日曜討論(6/19)で、「日本は戦争当事国になるな」、「戦争に行かされるのは自衛隊員でしょ。若い人だったり、あまりお金のない人たちなんだ。大金持ちは戦争に行かず好戦的なことだけ言って戦争でお金儲けをしているんです」と言い放ったのには開いた口がふさがらなかった。
まず、「戦争の当事国にならないように」軍事力が必要なのは前述のとおりである。
「戦争に行かされる自衛隊員…」については、戦争の当事国、特に侵攻されている国家において戦うのは国民すべてなのであり、軍人や兵士たちだけが戦っているわけではない。これは、ウクライナの現状を見れば明白ではないか。自衛隊員を「国家の傭兵」とでも思っているのではないか。だから、自衛隊員の処遇についてだけは反対しないのか。
言っておきたいが、筆者は自衛隊のOBだが、大金持ちの自衛隊員を何人も知っている。同時に、30年余の間にかなりの数の隊員を部下に持ったが、お金だけを目的に入隊した自衛隊員を見たことがない。閑話休題。
今後、さほど遠くない将来、わが国周辺の情勢がドラスチックに変化しない限り、わが国の徴兵制についての議論は避けて通れないだろう。この少子化の傾向が続くことは間違いなく、もう志願兵制度では限界が来るのは目に見えているからだ。しかし、今これに触れる政治家はいない。先ほどの「国家の傭兵」の話ではないが、徴兵制などと言えば、国民から猛反発が来るのは間違いないと思っているからだろう。
しかし、お隣の韓国を見てほしい。世界的な人気を誇る韓国の7人組男性グループ「BTS」の実質的な活動中止(と本人たちは言っていない)は、メンバーの徴兵(予定)に端を発していると見られている。これこそが真摯に国の守りを重んじる国家の姿であり、国防は、国民の奉仕によってこそ支えられるべきものなのである。
そして、政治家は、このような国民にとって重大な、耳の痛いことこそしっかりと訴え、理解してもらうような努力をして頂きたいと思うのである。何より大切なのは、自分の国は自分で守るという国民の気概を養うことであり、このような精神が行きわたれば、将来を担う若者たちも、何らかの形で国の防衛に関する奉仕活動を行うことに、さほど抵抗は感じなくなって行くのではないだろうか。
さて、どこに、誰に投票すればよいものやら。(おわり)
■