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ロシアとウクライナの戦争は開戦から5か月が経過した。サイバー戦や情報戦など21世紀の「新しい戦争」はどう繰り広げられたのか。自衛隊時代、サイバー防衛隊の創設にも携わった佐々木孝博さん(広島大学、東海大学客員教授)に日本が学ぶべき「教訓」をお聞きしてきましたが、最終回は防衛駐在官としてロシアの日本大使館に赴任した経験のある佐々木さんに防衛駐在官の任務や、相手国との防衛交流の意義について伺います。(3回シリーズの3回目)

iStock / Djapeman
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日本はウクライナに学べるか

――ウクライナはクリミア危機からの8年で、欧米の支援も得ながら、ロシアのあらゆる攻撃に耐える「抗たん性(基地や施設が敵の攻撃を受けても、その機能を維持する力)」を備えました。日本は今後、例えば10年でどこまで「抗たん性」を伸ばせるでしょうか。

佐々木孝博(ささき・たかひろ)1962年東京都生まれ。1986年防衛大学校卒(30期)、博士(学術)。海上自衛隊入隊後、オーストラリア海軍大学留学、在ロシア防衛駐在官、下関基地隊司令などを経て、2018年防衛省退職(海将補)。初代統合幕僚監部サイバー企画調整官として防衛省のサイバー攻撃対処指針の制定・サイバー防衛隊の創設に携わった勤務経験などから、ロシアの軍事・安全保障、情報戦、サイバーセキュリティなどを専門としている。著書に『近未来戦の核心 サイバー戦』(育鵬社)、共著に『現代戦争論―超「超限戦」』(渡部悦和氏との共著、ワニブックスPLUS新書)など。

【佐々木】サイバー領域の戦いに対する備えは、「戦車を買う」「船を買う」「戦闘機を買う」といったものとは違って、何をどのように備えればどれだけ戦力が上がるのか、想像しづらいこともあり、予算増の理解を得るのが難しいところはあります。

ウクライナの例をどれだけ我がこととして考えられるか。それによって十分な備えを蓄えていくことが必要ですが、サイバーの場合は「攻撃されてみないと被害も、必要な備えも分からない」ため、これがなかなか難しい。アメリカでさえ、アメリカ軍の指揮通信システムが大規模なサイバー攻撃に見舞われて初めて、「サイバー戦の能力を格段に進化させる必要がある」という話になりました。

――一度痛い目を見ないと……。確かに今やサイバー大国になったエストニアも、2007年にロシアからの大規模サイバー攻撃を経験しています。

【佐々木】攻撃されて初めて脆弱性が分かる、対処の方法が分かるというのがサイバー戦の厄介なところです。そのような見地から、ウクライナ侵攻後、特に当初は完全に失敗した分、今後のロシアはその失敗から学んで、備えを強化する。より警戒が必要でしょう。

防衛駐在官のインテリジェンス

――佐々木さんは防衛駐在官として、2004年から2007年までロシアにいらっしゃいました。どんな仕事をされていたのですか。

【佐々木】業務に関する話はできないことも多いですが、オープンにできる範疇でお話ししますと、防衛駐在官の仕事は、ひとつは情報の収集・分析活動、いわゆるインテリジェンス活動です。と言っても、皆さんが「情報活動」と聞いて思い浮かべるような、映画「007」の主人公のような危ない橋を渡ってどうこう、という話ではありません。各国とも相互主義で駐在武官の駐在を許していますが、行動制限があります。「立入禁止」「撮影禁止」区域が決まっているなど、相手国の国内法や規則に従って、その範囲で情報を収集し、分析するのが任務です。もちろんそのために人脈を広げることも必要となってきます。

現地での新聞やメディアでの報道、といった公開情報を精査するOSINT(オープン・ソース・インテリジェンス)だけでも、いろいろと情報を集めて、外部の目で精査すると、かなりのことが分かります。

例えば私もロシア駐在中に、ロシア軍の演習を見に行きました。日本の陸上自衛隊の「富士火力展示演習」などもそうですが、見せるためにやる演習、というのがありますよね。これだけではなかなか分析できないのですが、しかし見せない演習もあり、そういうものは「国内でどう報じられているか」や「どのポストの人間が今回の演習を仕切ったのか」などの公開情報を得て、ロシア軍のもともとの戦略やドクトリンを比較することで、「こういうところに狙いがあるのかもしれない」というのが見えてきます。

佐々木さんの離任1年後、2008年5月、モスクワ「赤の広場」で行われた軍事パレード(rusm /iStock)

「この恩は永久に忘れない」

――『近未来戦の核心 サイバー戦――情報大国ロシアの全貌』(育鵬社)のあとがきでは、駐在中のエピソードを紹介されています。

【佐々木】これがもう一つの仕事にかかわるのですが、いわば防衛部門における日本とロシアの「窓口、あるいはパイプになる」ということです。

拙著にも書きましたが2005年8月4日にロシア太平洋艦隊所属の潜水艇が、カムチャッカ半島の入り江の水深約190メートルのところで浮上できなくなり、7名の乗組員が閉じ込められる事件が発生しました。この時、ロシア国防省・海軍総司令部から、在ロシア日本国大使館防衛部経由で、私のところに連絡が入ったんです。「こういうわけだから、潜水艇の救援をお願いできないか」と。

それで東京に報告したところ、当時の防衛庁はすぐに国際緊急援助法に基づいて、海上自衛隊の潜水艦救難艦「ちよだ」と、掃海母艦「うらが」、掃海艇「うわじま」と「ゆげしま」の4隻の派遣を決めたんです。

海上自衛隊は基本的には緊急時に対応する部隊は数時間以内に出航できる体制を取っているのですが、ただカムチャッカ半島までがあまりに遠くて、72時間かかってしまう。結局は、ロシアがアメリカとイギリスにも救難要請をし、そのうちのイギリスが空輸した無人潜水救難艇によって7名全員が無事に救出されました。さすがにアメリカやイギリスの軍は世界規模で兵力を展開しているので、救難艇を空輸する装備も持っていたんですね。

日本が現場に到着する前に救難が終わったのですが、それでも当時のセルゲイ・イワノフ国防大臣から当時の大野功統防衛庁長官に対し「日本が世界で最初に行動を起こしてくれた、この恩は永久に忘れない」と電話連絡がありました。

――感動的な話です。

信頼醸成措置と国益と

勲章を授与される木下群司令(防衛白書

【佐々木】さらに続きがあって、「今回の救難に対し名誉勲章を授与したい」という申し出もあり、翌年、派遣部隊の指揮官だった木下憲司第二潜水隊群司令(当時)に対して、ロシア連邦名誉勲章の伝達が行われたのです。自衛隊員がロシアの勲章を授与されるのは史上初めてでしたし、これを機に「日露防衛交流の覚書」の改定などをはじめとする相互交流が進化していきました。

しかし私の任期の最終年あたりからロシアの態度は変わり始め、2008年のジョージア紛争、2014年のクリミア危機が続き、そして今回のウクライナ侵攻が起きてしまいました。

――そんな、人間的な交流ができる人たちでも、ああいう侵攻に及んでしまうんですね……。

【佐々木】防衛駐在官は、まさにそのような信頼醸成措置(CBM)のためにも存在しているのです。もちろん先ほど言ったような情報収集や分析も大きな仕事ですが、相手国との関係における信頼を、どれくらい構築できるか。そして相手国の脅威をどれだけ低減できるかといったことも重要な仕事、任務なのです。

最後に一点付言しますと、関係構築のためといって決して相手国に取り込まれてはならないということも重要になってきます。常に我が国の国益のために行動しなければならないということです。(おわり)