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<p>【記念コラム】NXGN Jリーグ|2022シーズン5月度最優秀若手選手|三戸舜介(アルビレックス新潟) | Goal.com</p><p>/ 5月のJリーグで最も輝いた 若手選手は #三戸舜介!🏅 \ Jリーグで活躍する21歳以下の若手選手を表彰する『#NXGNJリーグ2022』。 5月度の月間最優秀若手選手に、#アルビレックス新潟 の三戸舜介を選出! コラムは🔽</p><p>【NXGN Jリーグ 記念コラム】元日本代表FW田中達也氏からアルビレックス新潟の背番号14を受け継いだ三戸舜介。プロ2年目の2022シーズンは確かな成長を見せながら、さらなる向上に燃えている。</p><p>5月21日の第17節・横浜FC戦では、開始27秒でいきなり先制点を奪取。さらに6分、ゴール前でのハイテンポな崩しに絡み、同期でもある小見洋太のプロ初得点をアシストした。 続く第18節・水戸戦でも1得点1アシスト。0-0で迎えた53分、自陣で相手の横パスをカットすると、勢いそのままにドリブルで独走してミドルシュートで先制点。85分には流れるようなワンツーで、本間至恩のビューティフルゴールをお膳立てした。 三戸は2002年9月28日、山口県に生まれる。幼い頃は陸上教室に通っていたが、小学3年生から2つ年上の兄と共に地元の原サッカー少年団に入った。親に「早く帰ってきなさい」と怒られるほど、いつまでも外でボールを蹴っている子どもだったという。 プロを意識するようになったのは小学5年生のころ。身長130cm台ながら、感覚でプレーしていたセンターバックだったそうだが、地域のトレセンメンバーにも選ばれるようになっていたこの時期、ふと目にしたテレビ番組が三戸の運命を変える。 特集されていたのは、同じ山口県出身のサッカー選手・田中陽子。当時、INAC神戸でプレーしていた彼女が通っていたというJFAアカデミー福島が紹介されていた。「ここ、面白そうじゃない? 」。一緒に見ていた父親に言われたことがきっかけで、その門を叩くことになった。300名以上が受験した中、十数名に絞られた合格者の1人になることができた。 ■「タツさん」からの的確な助言 JFAアカデミー福島U-15ではボランチが主戦場となった。中学3年生のときに出場した第32回日本クラブユースサッカー選手権(U-15)で、当時U-15日本代表監督だった有馬賢二氏の目に留まり、10月のフランス遠征代表メンバーに選ばれる。そこから年代別代表にコンスタントに招集されるようになった。アカデミー福島U-18では2列目の選手として躍動。19年のU-17ワールドカップ(W杯)プラジル大会にも出場した。 同世代トップクラスの選手たちと戦う経験は、意識を高める上でも良い方向に作用した。「常に自分の中で、代表でのプレーを基準に持ちながらやっていました」。高校3年生になった20年9月、アルビレックス新潟の加入内定を勝ち取った。 164cmと小柄だが、体も負けん気も強く、切れ味鋭いドリブルと、左右どちらの足からでも打てるパンチのあるシュートは魅力。ライン際で相手に進路を塞がれたと思いきや、脇の下から抜け出してシュートを打ったり、プレスをひょいとかわして仕掛けたりと、その俊敏性や小回りも生かしたプレーは大きな武器だ。ルーキーイヤーの21年は、25試合に出場(うち14試合で先発)し、2得点と結果を残す。 プロ2年目となる今季は、背番号を「37」から「14」に変えてスタート。昨季、新潟で現役生活を終えた田中達也氏の番号を受け継いだ。その田中氏は今季からトップチームのアシスタントコーチに就任。三戸は全体練習後、田中氏の下で、他の若手選手らとシュート練習に励んでいる。過去、さまざまな指導者から吸収してきたものを「体で表現できていると思う」と言うが、目下、最も影響を受けているのは「タツさん」こと“田中コーチ”だ。 1つの成果が出たのは、4月27日の第12節・いわてグルージャ盛岡戦。自陣からドリブルで運んで決めた豪快なミドルシュートは「思い切りGKに向かって打てば、お前だったらアウトにかかるから」という田中コーチのアドバイスを思い出し、右足を振り抜いて生まれたもの。「その通りになった」と手応えをつかむと、5月に2得点2アシストと結果を出した。 ■J1へは「自分が連れていく」 その原動力の1つは、U-21日本代表への思いだ。今年3月と5月に行われたU-21日本代表候補合宿は、いずれも追加招集。「2回目の招集があったときに、『また追加か』と悔しかった。アジア選手権は意識していたので、結果を出さないと呼ばれない」と奮起した。 2度目の合宿から戻った後の2試合目。5月21日の第17節・横浜FC戦で1得点1アシストし、3-0での完封勝利に貢献すると、その3日後となる24日に、念願のAFC U-23アジアカップへの招集が発表された。 発表翌日の第18節・水戸戦でも1得点1アシスト。ただ前半はボールロストが続き「過去一番酷かった」という内容だった。しかしハーフタイムに「代表に選ばれて浮かれていたのかな。あんなプレーで代表に行くのは本当に恥ずかしい」と自分に矢印を向けて立て直し、3-0で連勝する流れを引き寄せた。「今まで調子が悪い試合では印象に残るプレーができなかった。今日、結果を残せたのは1つ良かったところだと思います」。三戸自身にとっても大きな意味のあるゴールになった。 U-23アジア杯からは銅メダルを持ち帰り「パリ五輪に行きたい気持ちが強くなった」と語った。大会では左右のサイドハーフで持ち味を見せたが、グループステージ第3節・U-23タジキスタン代表戦で退場となり2試合出場停止に。3位決定戦となったU-23オーストラリア代表戦で復帰すると、積極的にシュートも狙い3本を放ったが、いずれも枠外。特にクロスバーを直撃した2本目は、最も得点に近づいた場面だった。 帰国後、その場面について「タツさんからは、ああいうときは冷静に流し込む方がいいと教わっていた。でも実際の試合球やピッチの感覚から、自分は流し込むシュートが苦手だったので、あの場面でやるとゴロゴロになってキャッチされると思って、ああいう判断になっちゃった。でも決められなかったんで、何を言われてもしょうがないと思っています」と唇を噛み締めた。 ただ、そこは負けず嫌いな三戸。さっそく田中コーチと居残りでシュート練習に取り組んだ。「オーストラリア戦と似たシーンを練習しました。悔しかったので、自分からやりたいと言いました」と明かした。 また代表遠征中、三戸と右サイドハーフでポジションを争う松田詠太郎が1得点2アシスト、シマブク・カズヨシが1得点1アシストと、結果を残したことも刺激になっている。 「今年はJ1に行く。やっぱり得点とかアシストとか、目に見える結果でそこに貢献できるように。『自分が連れていく』くらいの勢いでやらないといけないなと思います」 伸び盛りの19歳。悔しさを糧に成長し、ライバルとも切磋琢磨しながら、ここから、もっと大きくなる予感に満ちている。 取材・文=野本桂子 MF 14 三戸 舜介 Shunsuke MITO 2002年9月28日生まれ。164cm/60kg。山口県出身。利き足:右。原サッカースポーツ少年団-JFAアカデミー福島U15-JFAアカデミー福島U18を経て2021年に新潟に加入。J2リーグ通算40試合5得点。(6月27日時点)</p>