2009年、ツインリンクもてぎ(当時)にDTMドイツ・ツーリングカー選手権の代表団が訪れ、スーパーGTをプロモートするGTアソシエイションに、DTMとGT500の技術規定の統一をもちかけた。DTMとスーパーGT GT500クラスという、フォーマットも文化も異なるレースの技術統一には多くの障壁があったが、2012年にDTMが、2014年にGT500が技術規則『クラス1』に向けた技術規定を採用。両者はひとつずつ問題をクリアし歩み寄りながら、“ほぼ”近い規定となった2019年に、ドイツのホッケンハイムで開催されたDTM第9戦ホッケンハイムでレクサス、ホンダ、ニッサンから各1台がゲスト参戦。さらに11月には、富士スピードウェイにDTM車両が7台参加。15台のGT500と7台のDTMが争う、“ドリームレース”が開催された。
ただ、当初両シリーズが目論んだ日独6メーカーの車種が争う状況は、最後まで生まれることはなかった。2019年の交流戦の後、世界は新型コロナウイルス禍に見舞われ混乱。あれから2年半ほどが経った。実現することはなかったが、それでもたしかに存在した『DTM車両のスーパーGT参戦』の可能性を振り返りたい。連載最終回となる3回目は、いまやWEC世界耐久選手権やスーパー耐久、アジアン・ル・マン・シリーズなど、さまざまなカテゴリーをアストンマーティンで戦っているD’station Racingだ。すでにマネージングディレクターを務める藤井誠暢に聞いたが、この可能性については藤井自身が2021年8月に自身のコラムで記しているため重複する部分もあるので、その点はご容赦いただければ幸いだ。
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【3】D’station Racing×アストンマーティン・バンテージDTM
2018年まではポルシェ911 GT3 RをスーパーGTで使用していたD’station Racingは、2019年からアストンマーティン・バンテージAMR GT3にスイッチ。アストンマーティン・レーシング=AMRの名を関した『D’station Racing AMR』というチーム名で、藤井とジョアオ・パオロ・デ・オリベイラのコンビで挑んだ。
ポルシェを走らせていた頃は、スーパーGTの他にもスーパー耐久、ポルシェカレラカップ・ジャパンにも参戦するなど、ポルシェをメインとしていたチームだったが、なぜアストンマーティンに変更したのか。藤井はこのスイッチの過程について、こう説明する。
「2017年からD’station Racingをスタートさせ、2019年からはアストンマーティンを使っていますが、2018年はそれに向けて長期的なビジョンを含め、いろんな動きをしていました。それはもちろん日本のレースのこともあるのですが、大きなビジョンの柱のひとつが、WECにD’station Racingとして出場し、ル・マン24時間を含めてフル参戦するという目標でした。それがちゃんと実現したので言えることなんですけどね」
WEC世界耐久選手権のLM-GTEクラスに出場するためには、“手を組む”候補はポルシェ、フェラーリ、アストンマーティンしかない。「そのなかでアストンマーティンが候補に挙がりました。もともと自分も海外でアストンマーティンに乗ってレースをした経験があり(ドバイ24時間にクラフト・バンブーから参戦し総合3位に)、プロドライブとも10年くらいお付き合いがあり、またマネージングディレクターのジョン・ガウさんをはじめ経営陣と深い関係がありました」とアストンマーティンとの接触を図っていく。
このスイッチについては、藤井自身が記したコラムのなかでも記されているが、「我々のような島国の日本のプライベートチームがWECという世界規模の大きな操縦不能といえる『ポリティクス』が関わる世界で、ある程度優位に立ち、メーカーとも優位性のあるパートナーシップを将来的に構築するにはどうするのがベストか」を検討した結果でもある。
現在もチームが使うバンテージAMR GT3は、2018年6月のル・マンで公開された。メルセデス製4リッターターボを搭載し、GT3とWEC用のGTEはシャシーを共用。アップデートすることもできる。「タイミングも、総合的に見ても魅力的でした」とアストンマーティンへのスイッチを進めていった。
そして同じ段階で“もうひとつのビジョン”が動き出す。2017年7月にメルセデスがDTM撤退を発表し、その後の動向が注目されていたが、2018年7月に、アストンマーティンのDTM参戦の噂が出はじめた。噂の中心となったのは、スイスのプライベーターであるRモータースポーツ。メルセデスを走らせていたHWAと提携し、2019年からの参戦を発表した。アストンマーティンはライセンスサポートを行い、参戦車両はバンテージとなった。
「そのプロジェクトがちょうど始まるという記事を見ました。その段階ではRモータースポーツとは知り合いでもなんでもなかったんです。ただ、長期的なビジョンとしていたWEC参戦、ル・マン出場の難しさ……今となってはもっと難しくなっているんですが(苦笑)、それを考えた時のメーカー(=アストンマーティン)との関係、また、DTMに新規メーカーが出るというこれ以上ない良いタイミングでしたからね」と藤井は、プロドライブ、さらにアストンマーティン・ラゴンダ本社で当時のアンディ・パーマー社長やレース部門を統括するデイビッド・キング副社長とも協議の末、総合的にレースビジネスがRモータースポーツとできないかと2018年に探っていった。
■Rモータースポーツとスタートした交渉
アストンマーティンが実際にDTMに参戦した2019年以降にも分かることだが、DTM参戦プロジェクトはRモータースポーツが主導であり、クラス1車両の権利などはRモータースポーツがもっていた。交渉を進めるうちに、「彼らと何かしらのかたちで手を組まないといけないことが自分のなかでも分かりました」と藤井は言う。
「当時D’station RacingとしてスーパーGTに参戦していて、もちろんGT500に何か違う形で参戦できたら面白いな……とは思っていました。それがクラス1車両のアストンマーティンだったら話題にもなると思いましたし、具体的に考えていました」
この考えを現実に動かすべく、藤井はバンテージAMR GT3の実質のデビュー戦となる、2018年12月のアブダビ12時間に向かった。もちろん2019年から導入が決まっていたバンテージAMR GT3を実際に走らせるための打ち合わせや準備もあるが、もうひとつの目標がRモータースポーツのマネージングディレクターであるジュリアン・ロウスに会うことだった。ロウスはアーデン・モータースポーツ等にも携わっていた実績をもつ人物だ。
ここで、Rモータースポーツが日本やアジアで何かしらのレースに取り組む際に、建設中だったD’station Racingの御殿場ファクトリーを拠点として、「何か一緒にやろう」という合意に至る。手はじめとして、その年の8月に開催予定だった鈴鹿10時間に、Rモータースポーツ×D’station Racingで2〜3台のエントリーを計画した。
ただ、この計画は思わぬ形で頓挫してしまう。2019年、D’station Racingはアストンマーティン導入後初レースとなったスーパー耐久第1戦鈴鹿で見事優勝し、新型バンテージAMR GT3の世界初勝利を飾るが、4月14日のスーパーGT第1戦岡山では、強い雨のなか13周目に起きた多重クラッシュにオリベイラが巻き込まれ、全損のダメージを負ってしまった。
この後、まだデリバリーが始まったばかりでパーツが少ないなか、チームは多忙な春のスケジュールのなかでスーパー耐久、スーパーGTとシャシーをやり繰りしながらなんとか乗り切ったが、鈴鹿10時間参戦への余裕がなくなってしまった。また、RモータースポーツもIGTCインターコンチネンタルGTチャレンジなどスケジュールが多忙で、鈴鹿10時間参戦は実現しなかった。
そのまま「何か一緒に」ができないまま、アストンマーティン・バンテージDTMのGT500導入の話は、進展しないまま立ち消えとなってしまう。「11月の特別交流戦のときにBMW、アウディは来日はしましたが、その後DTMの計画もなくなり、Rモータースポーツもなくなり、コロナ禍にもなり、クラス1の話はなんとなく消滅してしまいました」とD’station RacingのGT500参戦計画はなくなってしまった。
「彼らが長期的な展望でDTMに参戦していたら、何かしらはできたのではないかと思いますが」と藤井は振り返る。
「もしクルマがしっかりと出てきていたら、D’station RacingとしてはGT500へ出場するための具体的なアクションを起こしていたと思います。もちろん車両以外にも参戦に関してはさまざまな難しいハードルはあったと思いますが、ファクトリーもヨーロッパのメーカーが来ても対応できるレベルのものを作っていましたし、アジアン・ル・マン出場をはじめ海外レースへの対応もはじめていました。いろんな部分で国際的に対応できるようにはしていたので、GT500に1台か2台かは分かりませんが、チャンスがあれば何かしらのかたちでやっていたと思いますし、断る理由はなかったですね」
■交流戦実現は「とてつもないことですし、素晴らしいこと」
ただ、もちろん藤井とD’station Racingのなかで、クラス1車両でのGT500参戦は「現実的な可能性を含めてすぐにプランニングできる状態ではなかったので、優先順位で言えば3番目くらい」だったという。最もプライオリティが置かれていたのが、やはりWEC/ル・マン出場だった。
「WEC出場、それと国内での活動を含めて2018年から動き出して、彼らと何ができるのか探っていたので、そのなかでGT300がGT500になったらいいよね、という話でした。もちろん日本の3メーカーなどさまざまな事情もあるので、簡単な話ではありませんでしたが」
結果として参戦は実現はしなかったが、藤井はクラス1規定をこう振り返り、2019年に一度だけ実現したスーパーGT×DTM特別交流戦を評した。
「自分もいま海外のレースをたくさん戦っていて思うのは、日本の技術はすごいと思うんです。これほど多くの自動車メーカー、タイヤメーカー、パーツメーカーがあり、その多くがスーパーGTを軸に開発をしながら“道具の競争”をしているのは、良い意味で世界に他にはないと思います。高いレベルで車両やパーツ開発がされていますが、DTMがあったころはドイツでも同じレベルでやっていたんですよね。こちらはタイヤがマルチメイクで、向こうはワンメイクなど違いはありましたが、同じステージで同様にタイヤを作り込んで戦ったら、すごく面白いレースにはなったと思います」
「あと2年早ければまたいろいろな事情は変わったと思いますが、ファンの目線で良かったと思うのは、坂東(正明)さんをはじめGTアソシエイションさん、メーカーさんが努力をされて、DTMがまだクラス1をだった時に、日本のクルマがドイツで、DTMのクルマが日本でレースをしたというのは、どれほどすごいことだったかということです。ヨーロッパからクルマをもってきてレースを主催するというのは、言葉では表せないくらい大変なことだと思うんです。それが富士で実現したのはとてつもないことですし、素晴らしいことだと思いますね」
BMWやアウディと異なり、アストンマーティンの場合は本体が直接はタッチせず、プライベーター同士の交渉によるクラス1/GT500のプランが存在した。「WECのためのプロドライブ/アストンマーティン・レーシング/アストンマーティン・ラゴンダとやらなければいけなかったことと、Rモータースポーツとやらなければいけないことは別だった。だから(他の2社に比べると)少し特殊でしたよね」と藤井は振り返った。
プライベーター同士だったからこそ、実現したかもしれないし、実現しなかったかもしれないD’station Racingによるアストンマーティン・バンテージDTMでのGT500参戦。実現はしなかったが、藤井はしっかりとWEC参戦というビジョンを叶え、今後も長期的に活動を見据えている。
【連載終わり】