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ゾンビ企業――。実質的には倒産状態にありながら、企業活動を維持している企業のことだ。支払うべきものを支払わない、文字通り「生ける屍(しかばね)」と化していることから、こう呼ばれている。バブル崩壊後の1990年代に日本で生まれた言葉だ。

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国際決済銀行(BIS)は、年間の事業利益が、金融費用(支払利息、割引料)の何倍であるかを示す数値である、「インタレスト・カバレッジ・レシオ(ICR)」が1未満の状態が3年以上続く、設立10年以上の企業をゾンビ企業としている。

そのゾンビ企業が、このところ増えていることが分かった。帝国データバンクの試算によると、2020年時点でゾンビ企業は約16万5000社、全企業の11.3%に上る。2019年と比較すると1万9000社増えている。

全企業の11.3%がゾンビ企業

ゾンビ企業の割合は、2008年のリーマンショック以降、年々上昇した。東日本大震災が起こった2011年度のゾンビ企業の割合は、全企業の19.8%に達した。帝国データバンクは、この理由を「(2009年に導入された)中小企業金融円滑化法により、延命した企業が多かったためと言えるだろう」と分析している。

2011年度をピークにゾンビ企業の割合は低下していき、2010年代後半は10%前後で推移していた。ところが、2020年は2019年比で1.4 ポイント増加の11.3%に上昇している。この理由はもちろん、新型コロナだ。帝国データバンクは、「コロナ禍におけるゼロゼロ融資をはじめとするコロナ関連融資などがその一因となっていると考えられる」としている。つまり、コロナ禍で資金を借りやすくなったことで、資金を借りたは良いものの返せなくなっている企業が急増しているということだ。

同友会代表幹事「企業の数が多すぎる、小さすぎる」

ゾンビ企業の急増には、経済界のトップも危機感を募らせている。日本テレビに、「平均賃金アップに必要なことは?」と問われた経済同友会櫻田謙悟代表幹事は次のように述べた。

櫻田経済同友会代表幹事(官邸サイト)

とにかく(企業の)数が多すぎる、小さすぎる、生産性というか利益率が低すぎるっていうのがはっきりしてるわけで。ここから目をそらしたまま『賃金を上げればなんとかなる』ということには、多分ならないし(賃金は)上げられないと思います。

“最低賃金を上げなさい、もっと出せ”と言ったら“無理です、つぶれます”となるんですが、店を閉める(廃業する)ことについての税制のメリットを与えるとか。

さらに、櫻田氏は、日本の賃金水準を引き上げるためには中小企業が合併や大企業の傘下に入るなどして、中小企業を脱していくことが必要と述べた。また、働き手がより給与の高い企業に転職できるよう学びなおしの機会など公的な仕組みの強化も必要としている。

アトキンソン氏「経営規模が大きいほど生産性が高まる」

デービッド・アトキンソン氏(政府サイトより)

櫻田氏が述べた「中小企業を脱却していくこと」を日本の競争力や生産性向上のポイントだと指摘する人は少なくない。代表的なのは、元ゴールドマン・サックスアナリストで、文化財の補修などを手掛ける小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏。菅義偉前首相のブレーンだったことでも知られるアトキンソン氏は、かねてから「中小企業は規模を大きくすることで生産性を高め、従業員の給与を挙げていくべき」と主張している。

時事通信のインタビュー(2021年7月7日付)では、次のように述べている。

日本では就業者の約7割が中小企業で働く。中小企業に頑張ってもらわないと、大企業だけ生産性を向上させても全体の水準は上がらない。その際、重要なのは企業の規模だ。「規模の経済」といって経営規模が大きくなればなるほど、生産性が高まるのは経済学の大原則。

日本の最低賃金は先進諸国で最低レベル。引き上げないと経営者が本来払うべき賃金を支払わず、付加価値の創出額が潜在能力よりも小さい生産性の低い中小企業の経営モデルを温存させてしまう。

また、プレジデントオンラインに掲載された寄稿文「慢性的な赤字企業は、ただの寄生虫 コロナ危機が日本最後のチャンスだ」(2020年5月29日付)でも、中小企業の規模を大きくすべきと強調している。

規模の問題を考慮せずに、中小企業の労働生産性を高めようとする試みにあまり意味はないと私は考えています。中小企業は、小さいこと自体が問題。ですから、中小企業を成長させたり再編したりして、器を大きくすることをまず考えるべきです。それができない中小企業は、どうすべきか。誤解を恐れずに言うと、消えてもらうしかありません。

ゾンビ企業を「生ける屍」として、そのまま生かしておくのか。それとも、介錯するのか。中小企業を潰すことに繋がるような議論は、日本ではタブーのようになっている。しかし、現実はアトキンソン氏が警鐘を鳴らしてきた通りになりつつある。遅きに失しているのかもしれないが、真剣に議論していかなければならないのではないか。