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狙われているのは、私たちの脳である――。SNSや動画、ニュースサイトを装った情報発信など、さまざまな手法で私たちの「認知」そのものに影響を及ぼそうとする外国勢力の「工作」が、絶え間なく行われている昨今。

「制脳権」の争いとも言われる情報戦で飛び交う「ディスインフォメーション」に、日本はどう備えればいいのか。笹川平和財団安全保障研究グループ研究員で、サイバー安全保障に関する政策提言の取りまとめにも参画した長迫智子さんに聞いた。

ディスインフォメーションにさらされる日本

――「ディスインフォメーション(disinfomation)」とはどういうものなのでしょうか。

長迫智子(ながさこ・ともこ)公益財団法人笹川平和財団安全保障研究グループ研究員
東京大学大学院人文社会系研究科修士課程(宗教学)および情報セキュリティ大学院大学情報セキュリティ研究科修士課程(情報学)修了。2019年9月より現職。近著に「【インド太平洋地域のディスインフォメーション研究シリーズ Vol.1】オーストラリアはディスインフォメーション(偽情報)にどう対処しているのか?」『笹川平和財団国際情報ネットワーク分析IINA』(2022年5月)、「情報戦は地政学ーロシアの偽情報戦略を解く」『外交』Vol.73 (May/Jun. 2022)など。

【長迫】「外国の情報機関から、あるいはステートスポンサー(国家から支援を受けた)組織や個人から、我々の国に対して、意思決定を害するために行われる情報工作、情報操作、それによって流布されるもの」がディスインフォメーションです。ディスインフォメーションの中には、事実でないものだけではなく、事実ではあるけれども文脈が歪められているものや、加工された情報といったものを含みます。

例えば2016年のアメリカの大統領選で、民主党全国委員会や民主党下院選挙委員会のシステムがロシア系ハッカーグループによるサイバー攻撃に遭い、当時の大統領候補だったヒラリー・クリントン陣営のメールなどが流出、リークされました。メールの内容自体は「本物」でしたが、情報の窃取・拡散はヒラリー候補に対する落選運動に使うためであり、大統領選の趨勢に影響を及ぼそうという意図が明確でした。そのため、これは「ディスインフォメーション」と定義できます。

――「フェイクニュース」とは違うんですね。

【長迫】フェイクニュースというのは、直訳すると「嘘のニュース」「偽物のニュース」ということになりますが、先ほど挙げた米国民主党の例で言えば、メールの内容自体は「嘘(フェイク)」ではありませんでした。しかしロシアという外国勢力が、ヒラリー候補にネガティブな影響を与えることを目的とし、窃取・拡散した、害のある情報です。そのため、この件は「ディスインフォメーション」とみるべきだとして、弊財団の「サイバーフェイクニュース研究会」、あるいは2022年2月に発表した「政策提言」でもそのように説明しています(参考:「我が国のサイバー安全保障の確保」事業 政策提言)。

一方、単なる間違った情報である「ミスインフォメーション(misinfomation)」や、ハラスメントやヘイトスピーチを指す「マルインフォメーション(malinfomation)」、そして「何らかの意図があったとしても主体が外国勢力とは言い切れない、あるいは単なる過失による虚偽の情報まで広く含んでしまう曖昧な「フェイクニュース」とは明確にレイヤーを分けています。

ウクライナ危機で飛び交うプロパガンダ

――現在、ウクライナ有事下ではロシア、ウクライナ双方から様々な情報が飛び交っています。特にロシアは駐日大使館の公式ツイッターアカウントやロシアトゥデイといった政府の意向を受けたメディアが連日、「ロシアが悪いのではない」「ウクライナはナチ化している」といった主張を発信しています。情報工作の一環だと思いますが、これもディスインフォメーションに該当するのでしょうか。

【長迫】確かにロシア大使館などの情報発信は、日本で主流となっている西側の情報環境に割り込み、ロシア寄りの世論を作り出そうとしていますから、「日本の意思決定を歪ませようという意図」があることは明確です。

ただ、今回の場合は有事における自らの正当性を主張するためのプロパガンダの側面が強い。ディスインフォメーションの議論は、有事ではなく平時において、相手の国に対する選挙干渉だったり、世論形成に影響を及ぼそうとするものを主としているので、有事の情報戦や情報工作とはそれぞれ分けて議論すべきだろうと思います。

ロシア発「ナラティブ」への対抗策

――ディスインフォメーションはあくまでも「平時」に行われるものを指すのですね。しかしロシアの主張は平時も有事も日本には入り放題。有事になって可視化されましたが、ロシア寄りの主張を繰り返している、日本人らしきアカウントや個人もかなり存在します。こういうものは明らかに外国の影響を受けていても、日本人の意見である以上、規制をかけるのは難しいんでしょうか。

【長迫】もちろん日本人、あるいは日本にいる人が日本で拡散するものでも、刑法にかかるような虚偽情報の拡散、誹謗中傷、名誉棄損などは許されません。ただし、そうでない意見、例えばフェイクニュースを信じ込んで拡散するものにしても、いわゆる陰謀論であっても、「言論の自由」の範囲に含まれます。これを規制することはできないし、すべきでもありません。

ではどうすればいいのか。例えばアメリカやEUでは、「こうしたディスインフォメーションが拡散されているから、気を付けよう」と具体的な事例をあげて、警告を発しています。例えばウクライナ有事であれば、「『NATOの東方拡大がロシアを追い詰めたからこそ、戦争になった』という情報が出回っていますが、NATOが拡大したことは事実でも、それを意図的に戦争の原因と結びつけるのはロシアの情報工作です」と警告しています。

「ナラティブ」と言いますが、ロシアは自国にとって都合のいい、あるいは相手国の政策決定を歪ませる、ある種のストーリーを人々に印象付けようとしてきますので、対抗して「それはロシア発のナラティブです」と指摘することで間違いを正していく、という取り組みを行っています。

情報統制と工作を活発にしている中露(2月の習近平、プーチン両首脳会談:ロシア大統領府サイト)

民主主義国家だからこそ難しい対策

――ロシアや中国は国内の情報をコントロールしているので、こちらが正しい情報を中露の国民に届けようと思っても難しい。しかしこちらには言論の自由があるので、外国発の情報が国民に拡散され、信じた人が拡散する分には制限のしようがない。何だか民主主義や言論の自由の「バグ」や、権威主義国家との非対称性をうまく利用されているような気がします。

【長迫】ディスインフォメーションは先にも指摘した通り、情報の真偽で言えば事実である情報を含んでいる場合も多いのですが、文脈を歪めるなど、問題のある情報の使い方をしています。そのため、民主主義国家がディスインフォメーションを相手国に流すことで対抗しようとしたり、あるいは国民に対して外国勢力の影響を上回る「ナラティブ」を行き渡らせることで対抗しようというのは、民主主義国家としては避けるべきだという専門家の指摘があります。

ディスインフォメーションは国民に対する信頼性を低下させますし、ひいては政府の公式発表さえ国民が信じなくなってしまう状況になりかねません。

――なるほど、外国勢力に対抗するためだからと言って、相手と同じディスインフォメーションを使ったり、自国民の言論の自由を制限するのは悪手だ、ということですね。

【長迫】はい。この点は当研究会でも、ディスインフォメーション対策の大前提としてメンバーが共有していたところです。あくまでも「外国勢力が特定の意図をもって流す情報操作」に対する対抗策を備える、という点を明確にしておく必要があります。