戦闘艦になった“民間商船”どう使われた?「報国丸型」の知られざる活躍 武装は軽巡並み

優秀な船が戦争で重用されるのは古今東西の常のようです。なかでも大々的に世界各国で行われたのが、第2次世界大戦でのこと。戦闘艦艇に勝るとも劣らない活躍をした優秀商船の知られざる“戦い”とは。

なぜ高速を追求したのか 駆逐艦「島風」進水-1942.7.18 実戦で俊足は活かされた?

旧日本海軍の駆逐艦「島風」が1942年の今日、進水しました。「島風」は公試で最高速力40.9ノットを記録し、俊足だったことで知られます。なぜ旧海軍は高速を追求したのか、そして実戦ではどうだったのでしょうか。

海自US-2の祖先 九七式飛行艇が初飛行-1936.7.14 国産大型機の先駆 戦前航空技術の極み

7月14日は日本が独自開発した大型機の九七式飛行艇が初飛行した日。当時の航空機としては驚異的な高性能を誇った同機は、太平洋戦争の始めから終わりまでひたすら飛び続け、さらに今日の海上自衛隊飛行艇の始祖にもなりました。

乗り気じゃなかった? 日本艦隊ヨーロッパ派遣の残響 クレタ島の慰霊碑が物語る世界の評価

今から約100年前の第1次世界大戦で、旧日本海軍は遠く地中海にまで艦隊を派遣しました。なぜ行くことになったのか、その経緯と戦果、戦後の影響について軍事同盟だった日英同盟を背景に、旧日本海軍はどう対応したか紐解きます。

乗り気じゃなかった? 日本艦隊ヨーロッパ派遣の残響 マルタ島の慰霊碑が物語る世界の評価

今から約100年前の第1次世界大戦で、旧日本海軍は遠く地中海にまで艦隊を派遣しました。なぜ行くことになったのか、その経緯と戦果、戦後の影響について軍事同盟だった日英同盟を背景に、旧日本海軍はどう対応したか紐解きます。

兵装てんこ盛り… 重巡洋艦「摩耶」竣工-1932.6.30 後に主砲撤去し“防空”巡洋艦へ

旧日本海軍の重巡洋艦「摩耶」が1932年の今日、竣工しました。太平洋戦争の初戦は、南方と北方の両方で作戦を支援し善戦。中盤、空襲で大破すると、以降は対航空機を意識し、主砲を撤去してまで高角砲や対空機銃を増強しました。

貨客船→空母へ 「隼鷹」進水-1941.6.26 航空戦力つないだ「名リリーフ」

旧日本海軍の空母「隼鷹」が1941年の今日、進水しました。当初は貨客船「橿原丸」として起工しましたが、後に空母へ改造され、ミッドウェー海戦で喪失した空母戦力を補完。沈没することなく終戦を迎えています。

「真珠湾で日本がハワイ占領していたら…」が絶対にムリだったワケ 旧海軍も頭を抱えた力の差

太平洋戦争に関する論調で、日本がハワイを攻略できれば戦争が有利になったという意見があります。ほかにも開戦当初の真珠湾攻撃でハワイを占領すべきだったというものも。本当にそんなことが可能なのか考えてみます。