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経済安全保障の時代が到来し、台湾の半導体産業の躍進ぶりが日本でも注目を集めている。コロナ対策では蔡英文総統がリーダーシップを発揮し、DXはデジタル担当相のオードリー・タン氏が一躍名を馳せた。

日本人はこれまで台湾を「ロールモデル」としてこれまで考えることは少なかったが、台湾で30年以上仕事をしている実業家の藤重太氏は「新しく仕組みを考えるうえで、台湾の制度は大いに参考になる」と語る。この連載では、藤氏へのインタビューを通じて、台湾式「国益の作り方」を学ぶ。(3回シリーズの1回目)

台湾にあるTSMCの工場施設(BING-JHEN HONG /iStock)

台湾政府が「TSMC」を生み出した

――「経済安全保障」では、日本政府が4000億円もの補助金を出して工場を誘致した、台湾の半導体企業大手TSMCに注目が集まっています。給湯器や冷蔵庫のような家電に始まり、ハイスペックのパソコンにまで使われる重要物資であることから「産業のコメ」とも言われる半導体ですが、どうして台湾が半導体産業で世界をリードし得たのでしょうか。

藤重太(ふじ・じゅうた)
1986年、千葉県成田高校卒業後に単身で台湾に渡り、国立台湾師範大学国語教学センターに留学後、台湾大学(旧第七帝大)国際貿易学部卒業。1992年、香港にて創業、現在株式会社アジア市場開発の代表。2011年以降、小学館、講談社の台湾法人設立などをサポート、台湾講談社メディアでは総経理(GM)を5年間務める。台湾の資訊工業策進会(台湾経済部系シンクタンク)の顧問として政府や企業の日台交流のサポートを行い、各地で講演会も行う。2016年、台湾でも富吉國際企業管理顧問有限公司を設立。近著に『国会議員に読ませたい台湾のコロナ戦』(産経新聞出版)。

【藤】TSMCの創業が台湾の「国策」だったことはご存じでしょうか。今から半世紀近く前の1970年代に、台湾は国家プロジェクトとして今でいうIT産業、電子産業を育てて行くと決め、政策を練ってきました。

1973年には政府系シンクタンク「工業技術研究院(ITRI)」を設立し、半導体製造技術を導入すべく、国家主導でアメリカと交渉して技術移転を成功させます。その後、1980年にシンクタンクから「聯華電子股份有限公司(UMC)」という企業をスピンオフ創業します。UMCは着実に成長し、現在世界シェア第3位の半導体メーカーとなっています。

UMC創業の成功を受けて、台湾政府はさらに1985年に、モリス・チャンという人物をITRI院長に抜擢します。彼は中国の寧波市生まれですが、アメリカで博士号を取り、当時アメリカの半導体産業をリードしていたジェネラル・インストゥルメントのCEOを務めていました。

彼を台湾の政治家が直談判で口説き落とし、シンクタンクの院長に据えると、UMCに次ぐスピンオフ企業を生み出すべく計画を進めていきます。そこで生まれたのがTSMCで、モリス・チャン氏はTSMCの創業者になったんです。

莫大な利益を政府に還元

――まさに国策企業なんですね!

【藤】はい。TSMC創業当時の資本金、55億台湾元(約250億円)のうち、台湾の政府機関である行政院開発基金の出資比率は48.3%、つまり資本の約半分の120億円は政府が出資したわけです。2020年時点で、この行政院開発基金のTSMC株の持ち株比率は6.38%。台湾政府はすでに42%近くのTSMC株を市場に放出して多額の株式売却益を得ています。

加えて、2021年に台湾政府がTSMCから受け取った6%強の株式配当金は、約750億円。2020年にTSMCが収めた税金は、約500億元(約2250億円)にも上ると報じられています。投資効率だけを見ても、TSMC創業という国策の成功によって、政府は莫大な利益を生み出しています。また世界に冠たる半導体メーカーを台湾が抱えていることでこれから生まれる国益は計り知れないものがあります。

――海外の有望な人材を政治家が直接、口説きに行くというのは驚きですね。

【藤】台湾は官民の連携がしっかりしています。政府が立てた経済計画を、国を挙げて成功させる機運があります。私も台湾の政府系シンクタンクの顧問をしていた頃、こんな経験をしました。

台湾政府経済部、つまり日本でいう経産省から「電子書籍ビジネスについて教えてほしい」と依頼されたので、電子書籍を手掛ける日本の出版社の経営者を連れて台湾に行ったのです。すると、総統府で当時の馬英九総統との謁見が組み込まれていました。総統から直々に「日本の電子書籍ビジネスを台湾にも教えてほしい」と言われれば、安心して台湾に投資できますよね。

台湾が実現している「戦略的不可欠性」

――確かにトップから口説かれれば、外国人であっても「台湾のために一肌脱ごう」と思う人が多いでしょうね。

【藤】これが本当のトップ外交、国が産業を創る、ということなのではないでしょうか。私が台湾に留学した1986年頃、台湾政府は要人を足しげくアメリカへ通わせては、在米華人をヘッドハンディングして、産業振興を国家で推進していたのです。「帰国組」のために技術者の住宅整備や人材育成に投資し、「台湾のために働いて」もらった。その一番の成功例がTSMCだというわけです。

※画像はイメージです(PonyWang /iStock)

しかも政権が変わっても、「電子産業を育てよう」という国策については一貫しており、それが実に半世紀近く経って大きく花開きました。日本は逆に、1980年代の「日の丸半導体」という優位性を保つことができず、「半導体のような部品はよそで作らせてもいい。日本はブランドとして完成品(最終消費財)の製造販売を目指すべきだ」と、半導体製造に投資しなかったことで、徐々に凋落していきました。

――「台湾のTSMC」は、今や日本はもちろん、米中もこぞって取り合う存在になりました。日本も「経済安全保障」体制を構築すべきだという自民党の提言の中で、「戦略的不可欠性」、つまり「世界にとって日本がなければ困る、となる状態を目指す」、としています。

【藤】そう聞いて、「あ、台湾が1970年代に目指していたのがまさにこれだったんだな」と思いました。

――台湾が早かったというべきか、日本が遅すぎたというべきか……。

【藤】「戦略的不可欠性」とはつまり、産業で国を強くすることに加え、国際社会において「台湾がなければ困る」と思ってもらえるような存在になること。台湾は経済・産業的に必要不可欠な国になることで、政治的にも自国を守ることに繋がると考えたのでしょう。その意味でも、台湾では政策的な意味では「政治と経済」を分けて考えてはいません。経済であれ、外交であれ、国家が生き残るための政策、というとらえ方です。

対中ビジネスもあくまで「対等に」

――日米はもちろん、中国もTSMCに目をつけていますね。

【藤】TSMCは中国にも工場を持っています。台湾にとって中国は最大の脅威であり、政治的には台湾は完全にアメリカ寄りの態度を取っています。それでも台湾は中国とのビジネスをやめていませんし、中国が世界第2位の経済大国になっても、政治的・軍事的圧力をかけてきても、ビジネスではあくまでも対等だと考えています。ここは日本と違うところかもしれません。

――日本では少し前まで「中国崩壊論」が隆盛だったのに、GDPで中国に抜かれるや否や「中国随従論」そして「中国脅威論」に変わりました。軍事はもちろん、経済でも「中国と関わるとすべて盗まれる」「初心な日本人が、狡猾で共産党がバックにいる中国人に勝てるわけがない」という過剰なものも散見されます。それだけに政治的脅威の度合いが強い台湾がどうやって中国とビジネスをやっているのか、気になるところです。

【藤】先ほど台湾政府は政治と経済を分けていない、と言いましたが、一方で民間に関して言えば「政治は政治」「経済は経済」「民間は民間」と割り切っている部分があります。政治がしっかりやってくれているから、安心して経済活動ができる。例えば、台湾政府が対中ビジネスでの失敗事例をまとめて発表する事までしていました。政府に対する信頼感が、対中ビジネスを含む経済活動を闊達にしているという面はあるのではないでしょうか。