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 元F1テストドライバーとしてシングルシーターでの輝かしいキャリアを築いてきたカナダ出身のロバート・ウィケンスが、2018年にインディカーで遭遇した大事故の後、麻痺の残る体で懸命のリハビリに耐え、2022年には本格的にプロドライバーとして競技に復帰した。

 今季もブライアン・ハータ・オートスポーツ(BHA)の一員としてエントリーするIMSAのTCRカテゴリー、ミシュラン・パイロット・チャレンジの第5戦ワトキンス・グレンで待望の復活勝利をマークすると、続く第6戦カナディアンタイヤ・モータースポーツ・パーク(CTMP/モスポート)では予選不参加による最後尾スタートながら、まさかの大逆転劇で連勝を達成してみせた。

 地元カナダでのうれしい優勝となったばかりか、直前には第一子誕生にも立ち合い「まるで御伽噺のようだ」と語ったウィケンスが「これは、これから起こることの始まりに過ぎない」と、新たな頂きに向け歩を進めている。

 米欧のジュニア・フォーミュラからFIA F2選手権やGP3を経て、DTMドイツ・ツーリングカー選手権ではメルセデスのジュニア契約ドライバーとして活躍したウィケンスは、2018年から北米最高峰のシングルシーターへと昇格。開幕戦でいきなり予選ポールポジションを獲得すると、序盤戦からつねに優勝戦線に絡むスピードを披露し、インディ500ではルーキー・オブ・ザ・イヤーに選出される活躍を演じた。

 しかし第14戦ポコノで宙を舞ったウィケンスは、キャッチフェンスに激突。その衝撃により、胸部脊椎骨折のほか脊髄損傷、首の骨折、両足の脛骨と腓骨の骨折、および両手の骨折を負う深刻な事故となった。

 ここから本格的な療養と懸命のリハビリに励んだウィケンスは、2021年5月にクラッシュ以来初めてレースカーのシートに戻る機会を得て、BHAが用意したヒョンデ・ヴェロスターN TCRをドライブ。チームとヒョンデ・モータースポーツにより特別に設計、構築されたステアリングホイールを使用し、操舵に加えてブレーキとスロットルの制御を同時に行うハンドドライブ機構での走行が実現した。

「あの瞬間、本当にたくさんの感情があった。大変な労力と献身が必要だったし、多くの善良な人々のサポートがなければ、僕はそこにいなかったはずだ」と振り返ったウィケンス。

 こうした経緯を経て、2022年よりヒョンデ・エラントラN TCRに同機構を組み込んだマシンでシリーズへの本格参戦を開始したウィケンスは、同郷のマーク・ウィルキンスと組んで開幕戦デイトナでいきなりの3位表彰台を獲得する。その後、ラウンド欠場を経て迎えた6月25~26日の第5戦ワトキンス・グレンでは、ウィケンスが2時間レースの前半スティントを担当。3番グリッドから最後の10周で首位浮上を果たす快走を披露すると、猛練習を重ねた迅速なドライバー交代で33号車エラントラを僚友に託し、後半スティントを手元のモバイル端末で見守ることに。

 その1時間後、33号車のエラントラはTMRエンジニアリングの開幕勝者アルファロメオを従えトップチェッカー。2017年にメルセデスAMG C63DTMでニュルブルクリンク戦を制して以来、ウィケンスにとって待望のプロ復帰後初優勝となった。

キャリア本格復帰初戦となった開幕のデイトナでは、いきなりの3位表彰台を獲得。しかし本人は「勝ちたかった」と不満げ
第5戦ワトキンス・グレンで待望の復活勝利をマーク。「正直に言うと、もっと早く(勝利が)来ることを望んでいたが、第5戦なら悪くないね!」

■出産の立会いから“ぶっつけ本番”の決勝レースに臨む

「僕はあまり感情的な男ではないけれど、さすがに今回は自分自身にその瞬間を焼き付けるよう意識した。それは本当に素晴らしかったね」と、周囲から嵐のような祝福を受けたウィケンス。

「最初から最後まで、これは僕らが戦った中で断然、もっともパーフェクトなレースになった。だから最後に勝利で報われるのは至上の喜びさ。ブライアン・ハータとBHAの面々が僕にレースの機会を与えてくれた。お互いに内面を深く知る仲だったし、本当なら(開幕の)デイトナで勝ちたかったけどね(笑)」

「その日の限界がトップ5でも、表彰台でも、どんな場合でも。良いポイントを獲得するため懸命に改善を続けてきた。僕らはお互い自分自身に正直になり、パッケージを最大限に活用できるよう働きかけを続けたんだ。正直に言うと、もっと早く(勝利が)来ることを望んでいたが、第5戦なら悪くないね!」

 続いて7月2日決勝の第6戦は、カナダのボーマンビルに位置するモスポートでの地元戦となったが、直前の木曜に妻カーリから緊急連絡を受けたウィケンスは、一旦カナダからインディアナポリスの自宅まで戻ると、夫婦にとって初の子供であるウェズリー・ジョセフの出産に立ち会うことができた。

 元気な産声に後押しされカナダへと舞い戻ったウィケンスだが、時間的に予選へ出走することは叶わず。土曜決勝は最後尾からのスタートとなった。しかし、ウィルキンスとのペアで文字どおり“ぶっつけ本番”の決勝に挑んだ男は、コースウォークやすべての走行セッションを逃したにも関わらず、筋書きのないドラマを地で行く2週連続優勝を成し遂げる結果となった。

「ワトキンスでの勝利は誰にとっても非常に価値があると感じたと思うが、この地元での勝利もまた格別だね。レースに先立って月曜、火曜、水曜とヒョンデ・カナダのプロモーション業務をこなしていたが、木曜に妻から予想外の電話があり『明日の朝、どうしても帰って来てくれないか』と言われたんだ」と明かしたウィケンス。

「トラックウォークや一切の事前走行もなく、レースに出場したのはキャリア初だね(笑)。ここを走行したのは10年以上も前だけど、フォーメーションラップが文字どおり最初の周回だったんだ。でも走り始めてすぐ、ここで長年ドライブしてきた感覚になったし、いくつかのリスタートを活用してトップ3に到達することができた。その後はリスクゼロでマーク(・ウィルキンス)のためにクルマをセーブしたよ」

 2019年以来のモスポート戦となった僚友ウィルキンスも「ホームレースでの勝利は、いつだって手に入れたいもののひとつだ。でも、まさかね(笑)」と、あまりにできすぎた筋書きに驚きを禁じ得なかった。

「それが決して簡単なことじゃないのは、誰もが知っているよね。僕も良いグルーブに入っていたし、ロバートも良いグルーブの中にいた。僕らはお互いに良い刺激を与え合っているような気がするよ」

BHAとHyundai Motorsportにより特別に設計、構築されたステアリングホイールを使用し、操舵に加えてブレーキとスロットルの制御を同時に行うハンドドライブ機構での走行が実現した
第6戦カナディアンタイヤ・モータースポーツ・パーク(CTMP/モスポート)では、連勝での地元勝利も飾ってみせた