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 8月4日、WithUヤマハRNF・MotoGPチームからMotoGPに参戦するアンドレア・ドヴィツィオーゾは、今シーズンの第14戦サンマリノGPをもってMotoGPから引退することを発表した。

 2008年からMotoGPに参戦しているヴィツィオーゾは、ドゥカティ時代の2017年から2019年まで3年連続でランキング2位を獲得する活躍を見せ、現在までに通算24勝を挙げている。2022年はペトロナス・ヤマハSRTから名前の変わったWithUヤマハRNF・MotoGPチームで2年目を迎え、現時点で10ポイントを獲得している。

 引退を発表したドヴィツィオーゾは、ヤマハのプレスリリースに以下のようにコメントを寄せた。

「2012年に磐田のマニュファクチャラーチーム(ヤマハ)からMotoGPに参戦した経験は、僕にとって非常にポジティブなものだった。それ以来、僕は遅かれ早かれヤマハと正式な契約を結びたいと考えていた」

「その可能性が、2021年に少し大胆な形で出てきた。このプロジェクトと、うまくいく可能性を強く信じていたので、僕は挑戦することに決めた」

2021MotoGP:ペトロナス・ヤマハSRTに加入したアンドレア・ドヴィツィオーゾ
2021MotoGP:ペトロナス・ヤマハSRTに加入したアンドレア・ドヴィツィオーゾ

「残念ながら、近年MotoGPは大きく変わった。当時とは状況が大きく違う。チームやヤマハ全体が継続的で貴重な助力をしてくれたにもかかわらず、僕はこのバイクに馴染めず、そのポテンシャルを最大限に活かしきれていなかった」

「結果はネガティブなものだが、それ以上に、今でもとても大切な人生経験だと思っている。これだけたくさん困難なことがあると、状況や感情をうまくコントロールする能力が必要だ。僕たちは期待していた目標には届かなかったが、ヤマハの技術者と僕とチームとの話し合いは、彼らにとっても僕にとっても、常に前向きで建設的なものだった。最も重要な瞬間でさえ、この関係は忠実だった」

「こうしたすべてのことや、彼らのサポートに対して、ヤマハ、RNFレーシング・チーム、WithU、そしてこのプロジェクトに関わった他のスポンサーに感謝している。期待通りにはいかなかったが、挑戦することは正しかった。僕の旅はミサノで終わるが、この挑戦に関わったすべての人々との関係は永遠に残るだろう。ありがとう」

アンドレア・ドヴィツィオーゾ(WithUヤマハRNF・MotoGPチーム)
アンドレア・ドヴィツィオーゾ(WithUヤマハRNF・MotoGPチーム)

 一方ヤマハモーターレーシングのマネージングディレクターを務めるリン・ジャービスは、ドヴィツィオーゾがチームのMotoGPプログラムに参加することができたのは、チームにとって非常に幸運だったとコメントした。

「まず最初に、アンドレアが予定よりも早くMotoGPを去ることを、私たちはみなとても残念に思っている。彼はMotoGPのビッグネームであり、パドックでは寂しくなることだろう」

「フランキー(フランコ・モルビデリ)がヤマハのファクトリーチームに移籍したことで、2021年シーズンの残りのレースで代役ライダーが必要になった。彼が我々のMotoGPプログラムに参加することができて、とても幸運だったと考えている。ヤマハとRNFチームはアンドレアの素晴らしい専門知識、経験、整然とした性格に大いに関心を持ち、プロジェクトは2022年シーズンも含めて行われることが決定した」

「残念ながらアンドレアはM1のポテンシャルを最大限に引き出すことに苦労しており、結果が伴わなず、それがアンドレアにとってフラストレーションとなった。最終的にサマーブレイクの間に、アンドレアはシーズンが終わる前に引退することを希望していると我々に伝えたのだ」

「お互いに話し合い、彼の母国レースであるミサノで最後のレースを戦うことがアンドレアにとって適切だと判断した。もちろん、ヤマハはこれからの3戦でドヴィへの全面的なサポートを続けていく。それまでの間、彼の最後の3つのグランプリを楽しみ、そしてミサノで彼の壮大なキャリアの最後を祝おう」

 なおWithUヤマハRNF・MotoGPチームは、第15戦アラゴンGP以降はヤマハの公式テストライダーであるカル・クラッチローを起用することも併せて発表している。

アンドレア・ドヴィツィオーゾ(WithUヤマハRNF・MotoGPチーム)
アンドレア・ドヴィツィオーゾ(WithUヤマハRNF・MotoGPチーム)