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<p>安倍元首相 銃で撃たれ死亡 各界から悼む声 | NHK</p><p>安倍元首相 銃で撃たれ死亡 各界から悼む声 #nhk_news</p><p>【NHK】奈良市で演説をしていた安倍元総理大臣が銃で撃たれ死亡したことを受けて、各界から悼む声が上がっています。</p><p>北朝鮮による拉致問題に早くから取り組んでいた安倍元総理大臣が亡くなったことについて拉致被害者、有本恵子さんの父親の明弘さん(94)は「受けた傷が大きかったんだと思う。とても残念です。安倍さんのところに行って会うのが楽しみでした」と話しました。そのうえで「安倍さんは拉致問題に精いっぱい取り組んでくれた。あとに残った人は安倍さんの思いを継いでやってほしい」と話していました。 横田早紀江さん「非常に悲しく打ちのめされている」 また、横田めぐみさんの母親の早紀江さん(86)は取材に対し「あまりにも恐ろしいことが起き、非常に悲しく打ちのめされています。安倍さんは拉致問題を解決したいと長い間言い続け、アメリカをはじめとする各国に対しても協力を得ようと頑張ってくださった。亡くなられたのは残念でなりません」と話しました。 めぐみさんの弟の拓也さんは「本当に残念で悲しくて言葉にならない。私たちの親の世代が苦しんでいた時から手を差し伸べ、国際社会に働きかけてくれたおかげでアメリカの協力も得て私たちの要求を北朝鮮に伝えることができた。心から感謝しており、お悔やみを申し上げたい」と話していました。 地村保志さん 富貴恵さん「大変悲しく残念でならない」 拉致被害者の地村保志さんと妻の富貴恵さんは8日夜、福井県小浜市を通じてコメントを出しました。夫妻は「突然の訃報にただただ驚き信じられない思いです」と述べたうえで「われわれ5人の拉致被害者や子どもたちの帰国に多大なご尽力をいただきました」とつづりました。 また拉致問題への取り組みについて「政権の最重要課題として、全面解決に向け、全力で取り組んでいただき、ことしの4月にお会いした際にも、問題の解決に向け全力を尽くすとの言葉をいただいたばかりでした」と振り返りました。そして最後に「このような形でお別れすることが大変悲しく、残念でなりません。今はただご冥福をお祈りするばかりです」とつづっています。 市川健一さん「残念で悔しい」 鹿児島県の拉致被害者、市川修一さんの兄の市川健一さん(77)はNHKの取材に対し「安倍さんは25年前に被害者の家族会が結成される前から拉致問題に関わっており家族は慕っていました。これまでに会った総理大臣で最も印象に残っています。回復してほしいと祈っていましたが、残念で悔しくてなりません」と話していました。 松本孟さん「残念としか言いようがない」 鳥取県の拉致被害者、松本京子さんの兄の孟さんはNHKの取材に対し「なんとか一命をとりとめてほしかった。本当に残念としか言いようがない。拉致問題がここまで大きく国民に伝わったのは安倍さんの力もあったので、その火を消さないように頑張らないといけない。安らかに眠ってほしい」と話していました。 日銀 黒田総裁「強力なリーダーシップ 経済発展に尽くされた」 日銀の黒田総裁は「ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。誠に残念でなりません。安倍元総理は様々な分野で大変に大きな功績をあげられました。経済の分野においては長期間続いたデフレからの脱却と持続的な経済成長の実現に向けて、多大な成果を残されました。強力なリーダーシップにより、わが国経済の発展に尽くされたことに心より敬意を表します。重ねてご冥福をお祈り申し上げます」とするコメントを出しました。 経団連 十倉会長「政治に対する暴力 断じて許されない」 経団連の十倉会長はコメントを発表し「突然のことで大変驚き、衝撃を受けている。このような政治に対する暴力は、断じて許されることではない」としています。 また、安倍元総理大臣の政権運営を振り返り「内政では『アベノミクス』を推進し、力強い日本経済の復活を成し遂げ、また外交面では『地球儀を俯瞰する外交』で国際社会における日本のプレゼンスの向上に貢献した。さらに安全保障に関しても関連法制を整備し、厳しい国際情勢への対応に万全を期すなど、極めて大きな功績を残した」と評価しました。そのうえで「在任期間最長の総理大臣として、わが国の憲政史上、最も傑出した総理大臣の1人だった。今はただ心よりご冥福をお祈り申し上げます」と悼みました。 日本商工会議所 三村会頭「深い憤りと悲しみを禁じ得ない」 日本商工会議所の三村会頭はコメントを発表し「このような蛮行はいかなる場合も決して許されるものではない。国家のために尽くした尊い命が奪われたことに、深い憤りと悲しみを禁じ得ない」としています。 そのうえで安倍元総理大臣の政治的な評価については「第2次安倍内閣では20年にわたるデフレで苦しんできたわが国の閉塞感を打開すべく果敢に挑み、経済再生の道に大きな突破口を開き、外交面においては強いリーダーシップで国益のために力を尽くし、世界におけるわが国のプレゼンスを大いに高めた」と振り返りました。さらに「連続在任日数は憲政史上最長となり、まさに一国のリーダーにふさわしい偉大な功績を残された存在感のある政治家であったと思う。生前の功績をたたえ、謹んでご冥福をお祈りいたします」として故人を悼みました。 経済同友会 櫻田代表幹事「傑出したリーダーだった」 経済同友会の櫻田代表幹事は長野県軽井沢町で記者団に対して「怒りしかない。民主主義において大事な選挙のさなかにこうしたことが行われたことを重く受け止めるべきだ。安倍元総理大臣は、G7=主要7か国の中で影響力のあるリーダーの1人だったと思う。経済、外交を含めて傑出したリーダーだった」と述べました。 経団連 御手洗元会長「痛恨の極みで激しい憤り」 経団連の元会長で大手精密機器メーカー「キヤノン」の御手洗冨士夫会長兼社長は、「理不尽な凶行に倒れられたことは誠に痛恨の極みであり、激しい憤りを禁じ得ません。憲政史上最長となる盤石な政権を築き、後世に残る多大な功績を残されました。総理大臣の退任後も精力的に政治活動を続けていたやさきに、志半ばで凶弾に倒れた無念の思いを察すると、まさに断腸の思いです」というコメントを出しました。 日本生産性本部 茂木会長「日本経済の活性化に尽力」 日本生産性本部の会長を務めるキッコーマンの茂木友三郎名誉会長はコメントを発表し「安倍元総理大臣とは、1990年代からの長いお付き合いでしたが、まじめでお人柄がよい上に仕事ができる立派な政治家でした。2度目の総理大臣在任中のアベノミクスでは、長く低迷していた日本経済の活性化に尽力されました」としています。その上で「これからも政界のご意見番として、存在感を示されるものと期待しておりました。たいへん残念です。日本でこのようなことが二度と起こらないよう、強く願います」としています。 日本自動車工業会 豊田会長「無念 心中察するにあまりある」 日本自動車工業会の豊田章男会長はコメントを発表し「驚きと悲しみを深くしている。このような大変残忍で卑劣な行為は決してあってはならないことであり、強い憤りを感じるとともに、断じて許すことはできない。世界平和と日本の未来を誰よりも案じ、全身全霊で尽力されておられた元総理の無念は心中察するにあまりある」としています。また安倍元総理大臣の政権運営を振り返り「憲政史上最長の安定政権を土台に、卓越した外交や安全保障に足跡を残されるとともに、アベノミクスを掲げた強いリーダーシップにより、リーマンショックや東日本大震災から力強い回復を先導された」と評価しました。そのうえで「生前の多大なるご功績に深く感謝を申し上げるとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げる」としています。 富士フイルムHD 古森元会長「卓越したリーダーだった」 長年親交のあった富士フイルムホールディングスの古森重隆元会長はコメントを発表し「突然の訃報に接し、ただただ残念であり、がく然としています」としています。この中で古森氏は安倍元総理大臣の政権運営について「大局観を持って日本の課題を捉えつつ、常に的確に対処され、日本国を正しい方向へと導いてこられた卓越したリーダーでした」と振り返りました。そのうえで「何事にも全く私心無く、常に自然体で人と接し、力強さと優しさを兼ね備えられた方でした。安倍元総理大臣と、公私にわたって親交を重ねさせていただきましたことに深く感謝するとともに、生前の偉大なる功績をしのびつつ、心よりご冥福をお祈り申し上げます」と悼みました。 経済同友会 小林元代表幹事「功績に心から敬意」 安倍政権のもとで政府の経済財政諮問会議の民間議員や産業競争力会議の有識者議員を歴任した経済同友会の元代表幹事で東京電力ホールディングスの小林喜光会長は「突然の訃報に接し、大変驚いています。安倍元総理大臣は長きにわたって国民のために多くの政策課題に取り組んでこられました。改めてその功績に心から敬意をあらわし、哀悼の意を表します」とするコメントを発表しました。 住友林業 市川会長「許せない 言語道断だ」 安倍内閣のもとで第32次となる政府の地方制度調査会で会長をつとめた住友林業の市川晃会長はNHKの取材に対して「民主主義国家である日本で、民主主義で一番大事な選挙のさなかにこういうことが起きるとは許せない。言語道断だ」と述べました。 西武HD 後藤社長「悲しみと激しい憤り覚える」 中学と高校の同窓生として親交があった西武ホールディングスの後藤高志社長は「憲政史上最長の期間にわたって確固たる信念と強力なリーダーシップで日本を引っ張ってこられた。日本のリーダーとして多大なる貢献をされ、退任後も日本の将来を常に考えておられたなかでさぞかし無念であったろうと尽きることのない悲しみと激しい憤りを覚えます。安倍元総理のご冥福を心よりお祈りいたします」とコメントしています。 河野前統合幕僚長「日本にとっての大きな柱を失った」 安倍政権下で4年5か月にわたって自衛隊トップを務めた河野克俊前統合幕僚長はNHKの取材に対し「驚くと同時にとても落胆している。自衛隊、安全保障に関心を持ち、強いリーダーシップを発揮した方で、統合幕僚長として務められたのは光栄だった。集団的自衛権の行使を限定的に容認する安全保障関連法についても、内閣支持率が下がるのを承知の上で決断していて、そばで見ていて、日本のために必要だという固い信念があったのだと感じた。これからも活躍してほしいと思っていた方だったので、日本にとっての大きな柱を失ったと感じている。本当にお悔やみ申し上げます」と話していました。 また自衛隊幹部の1人はNHKの取材に対し「第2次政権ではそれまで年々減っていた防衛予算を増やし、厳しさを増す安全保障環境にどう対応するか、強いリーダーシップを発揮した政治家だったと思う。特に安全保障関連法の制定は政治的に大きな議論を呼んだが、日米の連携のさらなる深化やインド太平洋地域への関与の強化など、自衛隊の活動が大きく変わるきっかけになったのは間違いない。自衛隊としては引き続き法律にもとづいて、国民の平和と安全を守るための能力を高めていくことに尽きる」と話していました。 政府分科会 尾身会長「危機乗り越えようという強い意志感じた」 安倍元総理大臣が亡くなったことについて新型コロナウイルス対策にあたる政府の分科会の尾身茂会長は「新型コロナウイルスの発生当初、情報が極めて限られていた中で最初の緊急事態宣言を発出する際に安倍元総理と対策の内容について何度もお話しする機会がありました。そのたびに一国の総理大臣として、この危機をなんとか乗り越えようとする強い意志を感じていました。長い間、我が国の発展のためにご尽力をいただき感謝したい。心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントしました。 JOC 山下会長「卑劣な暴挙 断じて許せない」 JOC=日本オリンピック委員会の山下泰裕会長は「民主主義の根幹をなす選挙という時期に起きたこのような卑劣な暴挙は断じて許すことができません。安倍元総理大臣は長くスポーツ界に心を寄せ、支えていただいておりました」とコメントしたうえで、東京オリンピックの開催が決まった2013年9月にアルゼンチンのブエノスアイレスで開かれたIOC=国際オリンピック委員会の総会で当時の安倍総理大臣が行った最終プレゼンテーションについて「スピーチの中で1964年の東京大会の思い出に触れ『スポーツこそは世界をつなぐ、そして万人に、等しい機会を与えるものがスポーツであると私たちは学びました』とおっしゃいました。スポーツに携わる者として安倍元総理が残したこのことばを改めて受け止め、多様性を受け入れ社会をつなぎ得るスポーツの根源的な価値をこれからも社会に伝えてまいりたい」というコメントを出しました。 後援会長「残念でならない」 下関市の事務所で取材に応じた伊藤昭男後援会長は「まだまだこれからわが国に必要な人材で期待していた。残念でならない。一報が入ったとき事務所にいたみんなが肩を落としていた。この国でこのようなことがあっていいのか。父の晋太郎さんが亡くなったのと同じ67歳で、早すぎる。初当選から思い出深いことばかりだ」と目に涙を浮かべながら話していました。 地元 下関では悲しむ声 60代の女性は「すごくショックです。地元で人気のある方だったのでとても憤りを感じます。とても気さくな方で何回かお会いすることもあって信じられない気持ちです。日本じゃないのかな、海外の話なのかなと思いました」と話していました。 また20代の男性は「悲しい出来事だと思います。長く日本を引っ張ってきた総理大臣で、日本のリーダーという方だったので、非常に悲しい気持ちです。ものすごく怖いなと感じます」と話していました。 震災の被災地でも悼む声 安倍元総理大臣が在任中、東日本大震災の被災地の視察で訪れた宮城県気仙沼市でも悼む声が聞かれました。 震災の発生から2年後の2013年に安倍元総理大臣が気仙沼市を訪れた際に案内をした気仙沼漁業協同組合の佐藤亮輔元組合長(81)は「ゆっくり話をする時間はありませんでしたが、被災地・気仙沼の現状について耳を傾けてくれました。大きな影響力を持った方だったので亡くなったと聞いてとても残念に思います」と話していました。 東日本大震災と原発事故のあと、安倍元総理大臣の視察のたびに復興状況を説明し要望を重ねてきた福島県飯舘村の菅野典雄元村長は「昼からずっとテレビを見ていて、なんとか助かってほしいと思っていましたが、亡くなったという話を聞き本当に残念でなりません。心から哀悼の意を表します。『福島の復興なくして日本の復興はない』という思いをもって村にも足を運んでいただいたことに感謝していたので、残念です」と語りました。そして、平成29年7月に村のうどん屋を訪れた時のことを振り返り、「店主から『昼は客がいるので困る』という話があったため、わざわざ時間をずらして立ち食いでうどんを食べていったことがありました。とても心配りのある方で、リーダーとしての強さとともに温かさがあった人でした」と話していました。</p>