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どんなクルマだった? 何が凄かった? 1989年に登場した名車たちとその後

 1989年といえば、今から33年前。1989年1月7日に昭和天皇が崩御され、翌8日に元号が平成となり、文字どおり新しい時代の幕開けでもあった。

 株や不動産は爆上がりし、バブル紳士が夜の街を闊歩、フェラーリをはじめクルマが投機対象となり、新車価格の数倍で取引されたりと、日本中が狂ったようなイケイケ状態になっていた。

 その時に生まれた人は33歳、当時の新成人は53歳になる年だ。当たり前のことだが、ずいぶんと時間が経過している。そう、かなり昔だ。

 しかし、この1989年という年は日本のクルマ史において後世に語り継がれる名車が続々と登場した「ヴィンテージイヤー」でもあり、クルマ好きの記憶から消そうと思っても消すことができない、絶大なインパクトを持ち続けている。

 信頼性の高さで世界的な地位を確立した日本車が性能面でも欧州メーカーに本気で挑んだのが1980年代とするなら、その集大成が1989年で、初めて欧州メーカーをビビらせた年と言っていいはずだ。本企画では1989年に登場した日本の名車たちを回顧すると同時に、その後についても考察していく。

※本稿は2022年4月のものです
文/片岡英明、写真/ベストカー編集部 ほか
初出:『ベストカー』2022年5月26日号

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■日産 スカイライン(R32・1989年〜1993年)&日産 スカイラインGT-R(R32・1989年〜1994年)

日産スカイライン(R32)…全長4530×全幅1695×全高1325mm、1320kg、2L、直6DOHCターボ、215ps/27.0kgm、9.5km/L、266万1000円(2ドアGTS-tタイプM)
日産スカイラインGT-R(R32)…全長4545×全幅1755×全高1340mm、1430kg、2.6L、直6DOHCツインターボ、280ps/36.0kgm、7.0km/L、445万円

 歴代スカイラインの中で最大級の衝撃を与えたのが8代目の「R32」だ。

 開発陣は5ナンバー枠のなかで世界一のスポーツモデルを目指し、ボディをコンパクト化するとともに新しいメカニズムを積極的に採用して実力を高めた。

 RB20DE型DOHCと世界初のハイフローセラミック/ボールベアリングターボを採用したRB20DET型を中心に展開し、サスペンションは4輪とも革新的なマルチリンクだ。

 位相反転制御のスーパーHICASも採用し、意のままの気持ちいいハンドリングを実現している。

 また、GT-Rもパワフルな2.6LのRB26DETT型DOHCツインターボに電子制御トルクスプリット4WDを組み合わせ、公道でもサーキットでも規制が敷かれるほど驚異的な速さを誇ったのだ。

●その後どうなった?

日産 スカイライン400R

 スカイラインの転機となったのは2001年登場のV35で、一気に存在感が薄れた。現行のV37ではセダンのみ、2020年405psの400Rを追加して注目度が飛躍的にアップしたが、ハイブリッドは今年夏に生産終了の噂あり。

日産 GT-R

 R33、R34と正常進化したGT-Rだが、排ガス規制をクリアできず2001年に生産終了。

 2007年に「スカイライン」の名前が外れ、日産 GT-Rとして登場、世界を席巻した。今年8月でいったん生産終了説が有力。

■日産フェアレディZ(Z32・1989年〜2000年)

日産フェアレディZ(Z32)…全長4525×全幅1800×全高1255mm、1550kg、3L、V6DOHCツインターボ、280ps/39.6kgm、7.0km/L、425万円(2by2ツインターボ)

 第4世代のZ32型フェアレディZは3ナンバーのワイドボディに身を包み、精悍なルックスで登場した。

 欧州の一流スポーツカーを凌駕することを目指し、パワーユニットは3LのV型6気筒DOHCとDOHCターボを用意している。

 サスペンションは4輪マルチリンクで、4輪操舵のスーパーHICASも採用した。

 パワフルなエンジンに加え、冴えたフットワークも魅力だ。ボディの大きさを意識させない俊敏さを見せた。

●その後どうなった?

登場間近の新型フェアレディZ

 Z32は改良を受けながら2000年まで販売された。その後日産リバイバルプランの象徴として2002年にZ33が復活して登場。

 2008年にZ34へ進化し、さらに型式は同じながら4月25日に新型フェアレディZの価格が発表された。日本のみならず世界で今最もホットなスポーツカーだ。

■日産 180S(初代・X・1989年〜1999年)

日産 180S(初代・X)全長4540×全幅1690×全高1290mm、1190kg、1.9L、直4DOHCターボ、175ps/23.0kgm、11.0km/L、204万1000円(タイプII)

 シルビアは、操る楽しさを重視して最後まで後輪駆動にこだわり続けた。

 その5代目となるS13型は今も傑作として知られている。このメカニズムを用いたキュートな3ドアのハッチバッククーペが180SXだ。

 リアサスにマルチリンクを採用し、ビスカスLSDも装備したからハンドリングは軽快だった。

 1.8L4気筒DOHCターボを積むが、1991年に2Lに換装。10年近く第一線で活躍する名車に成長するのである。

●その後どうなった?

兄弟車のシルビアがモデルを重ねたのとは対照的に、180SXは一代限りで消えていった

 S13シルビアと兄弟車で、シルビアがS13→S14→S15とモデルを重ねたのに対し、180SXは一代限りで終えた。

 しかし、1989〜1991年の前期型、1991〜1996年の中期型、1996〜1999年の後期型の3タイプある。汎用性の高さから生まれたスワップモデルのシルエイティ、ワンビアも懐かしい。

■トヨタ セリカ(5代目・1989年〜1993年)&トヨタ セリカGT-FOUR(2代目・1989年〜1993年)

トヨタ セリカ(5代目)…全長4420×全幅1690×全高1305mm、1240kg、2L、直4DOHCターボ、165ps/19.5kgm、9.6km/L、197万3000円(GT-R)
トヨタ セリカGT-FOUR(2代目)…全長4420×全幅1690×全高1305mm、1400kg、2L、直4DOHCターボ、225ps/31.0kgm、9.8km/L、268万5000円(GT-FOUR)

 セリカは4代目でFFスペシャルティカーに生まれ変わり、フルタイム4WDにパワフルな3S-GTE型4気筒DOHCターボのGT-FOURも登場した。その5代目がST180系セリカだ。

 個性的なクーペボディをまとい、メカニズムも凝っていた。

 トヨタ初の4輪操舵システムを採用し、受注生産のアクティブ・スポーツは時代の先端を行く電子制御ハイドロニューマチックサスペンションを装備する。

 エンジンは全車2Lの4気筒DOHCで、フラッグシップのGT-FOURは3S-GTE型4気筒DOHCターボを受け継いだ。

 この5代目は北米でヒットしただけでなくGT-FOURは世界ラリー選手権でトヨタに初の2大タイトルをもたらすなど、イメージアップにも大きく貢献している。

●その後どうなった?

4灯ヘッドライトが印象的だった6代目セリカ

 1993年に丸4灯ヘッドライトが特徴的な6代目が登場。

 1999年登場の7代目はエッジのきいたシャープなデザインで登場したが、スペシャルティ受難時代に抗えず2006年に7代36年の歴史に幕を下ろした。

セリカGT-FOURの歴史はWRCマシンとしての歴史だった

 セリカGT-FOURの歴史=WRCマシンとしての歴史で、2代目、3代目ともにWRCで大活躍。限定車も登場し人気車種だった。

 1999年に販売終了。セリカ最終の7代目にはGT-FOURは設定されず。

■トヨタ MR2(2代目・1989年〜1999年)

全長4170×全幅1695×全高1240mm、1270kg、2L、直4DOHCターボ、225ps/31.0kgm、10.0km/L、277万8000円(GT Tバールーフ)

 日本初のミドシップ・スポーツカー、MR2の第2世代。

 リトラクタブルヘッドライトを受け継ぐが、セリカをベースにしているから車格は1ランク引き上げられた。

 パワーユニットもセリカから2Lの3S-GE型4気筒DOHCとセラミックターボを譲り受けた。

 サスペンションは4輪ともストラットで、タイヤは前後異サイズだ。初期モデルはクセの強いハンドリングに悩まされたが、潜在能力はとても高かった。

●その後どうなった?

先出のセリカ同様、MR2も復活が望まれているモデルのひとつだ

 2代目のSW20は1999年まで販売。数は多くないものの、根強い人気を誇った。

 1999年にオープンのMR-Sにバトンタッチ。MR-Sは欧州ではMR2、北米ではMR2スパイダーとして販売。

 そのMR-Sも2007年に販売終了。復活が噂されるセリカと同様、MR2もその噂は絶えない。

■ユーノス ロードスター(初代・1989年〜1998年)

ユーノス ロードスター(初代)…全長3970×全幅1675×全高1235mm、940kg、1.6L、直4DOHC、120ps/14.0kgm、12.2km/L、170万円

 オープンカーが絶滅の危機に瀕している時に颯爽と現われ、大ヒットしたのがユーノスブランドの主役を任されたマツダのロードスターだ。

 FF車が全盛の時代に、運転するのが楽しい後輪駆動にこだわり、軽量化にも励んでいる。

 また、50対50の前後重量バランスと慣性モーメントの低減によって「人馬一体」の気持ちいい走りを実現した。

幌をしまえばオープンカーに。キビキビ走る性能とオープンエアの快感がミックスされた

 ボディは駆動系の周囲にパワープラントフレームを採用して剛性を高め、軽快なハンドリングのためにサスペンションは4輪にダブルウィッシュボーンを採用する。

 エンジンは平凡な1.6LのB6型4気筒DOHCだが、5速MTを駆使しての走りが楽しい。

 キュートなデザインに加え、コスパも高かったので北米を中心に大ヒットし、ギネス記録も塗り替えている。

●その後どうなった?

2015年登場の現行型ロードスター

 初代のNA型は1998年まで販売。その後NB型(1998〜2005年)、NC型(2005〜2015年)と続き、現行のND型は2015年にデビュー。

 ライトウェイトFRオープンスポーツとして貴重な存在であり、日本より海外で人気。今後もさらに進化を続けていく、世界中のクルマ好きが愛する宝だ。

■トヨタ セルシオ(初代・1989年〜1994年)

トヨタ セルシオ(初代)…全長4995×全幅1820×全高1400mm、1750kg、4L、V8DOHC、260ps/36.0kgm、7.1km/L、550万円(C仕様)

 トヨタが企画した高級車ブランドがレクサスだ。世界に通用するグローバルカーのピラミッド構想の頂点に据えたのが「LS」で、日本では「セルシオ」を名乗った。

目指したのは、世界最高の静粛性とアメリカのガス税をクリアする低燃費の達成に加え、最高レベルのパフォーマンスだ。

内装は仕立てのよさや見栄え、素材などもこだわった。また世界初の自発光式オプティトロンメーターも採用

 エンジニアは「源流対策」と「技術革新」を高い次元で両立させるために多くの新技術を採用し、セダンとして世界最高レベルのCd=0.29を達成した。

 インテリアの仕立てのよさも驚きだ。自発光式の電子式アナログ表示のオプティトロンメーターも時代に先駆けて採用している。

 総アルミ製の4L・V型8気筒DOHCは驚異的に滑らかだ。セルシオは欧米の高級車メーカーの首脳陣を驚愕させ、クルマづくりを変えさせた。

●その後どうなった?

セルシオはレクサスLSに一本化され2006年に惜しまれながら消滅。トヨタブランドではマジェスタが後を継いだが……

 2代目(1994〜2000年)の後を受けて2000年に登場した3代目が再びヒット。しかし2005年から日本でレクサスを販売するにあたり、セルシオはレクサスLSに一本化され2006年に惜しまれながら消滅。

 トヨタブランドではマジェスタが後を継いだが、いかんせん実力不足だった。

■トヨタ ランドクルーザー(80系) 1989年〜1997年

トヨタ ランドクルーザー(80系)…全長4970×全幅1900×全高1860mm、2220kg、4L、直6OHV、155ps/29.5kgm、4.2km/L、370万4000円(ワゴンVXリミテッド)

 プレミアムSUVとして世界に名を轟かせた最初の一歩は、1989年秋に登場した80系ランドクルーザーが踏み出した。

 強靭なラダーフレームを受け継いでいるが、サスペンションは4輪ともコイルスプリングのリンク式リジッドアクスルに進化し、快適性を大きく向上させている。

 バンが積むのは直列6気筒のディーゼルエンジンだ。8人乗りのワゴンは4Lの直列6気筒OHVガソリンでスタートした。

 が、1992年に4・5Lの直列6気筒DOHCに換装し、電子制御4速ATを組み合わせる。ワゴンの駆動方式は、クラス初のセンターデフ付きフルタイム4WDだ。

 ランクル80は過酷なステージで機動力の高さとタフさを強烈にアピール。ユーザーの信頼を勝ち取り、世界中にファン層を広げたのである。

●その後どうなった?

納期4年待ちといわれるほど人気の現行型300系

 高級ワゴン系SUVとしてエポックメイキングだった80系の後を受けて100系(1998〜2007年)、200系(2007〜2021年)と進化を続け、昨年はランドクルーザー70周年を記念するように現行の300系がついにデビュー。

 社会現象となるほどの人気を誇る高級SUVに君臨。

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